Episode10.舞踏会の始まりですわ①
リヴァイロスの舞踏会──
ヴァイオリン作りの巨匠からその名がつけられた舞踏会。天才と呼ばれたフルート奏者、盲目のヴァイオリニストなどなど、著名な音楽の巨匠達がうっとりするような
年に一度だけ。
壮大で美しい
音楽を楽しむのに貧富の差はない。
リヴァイロスが手記に残した名言である。
招待状か、招待状を持った人の連れとして認められれば、基本的に誰でも参加が可能だ。
見渡してみると、確かに少ないが明らか貴族ではない人もいる。奮発してドレスを調達したのだろう、これから始まる舞踏会に胸を膨らませ、そわそわしている。
(可愛らしい。わたくしも純真無垢な乙女の気持ちを忘れないようにしなくては。ラティアーノ伯爵家の娘ロサミリスは、公爵家嫡男ジークフォルテン様と婚約した愛らしい令嬢。こんなことくらいで挫けていては、ジーク様の隣には立てないわ)
ボックス席から一階にいる紳士淑女を見渡した後、ロサミリスは後ろを振り返る。
満面の笑顔がよほど美しかったのだろう。五分ほど前までは「うっかりお高いカクテルを零してしまったわ」とほくそ笑んでいた一人の令嬢が、「ひぃ!」とか細い声をあげる。
彼女の名前はプライゼル。
きつめの縦ウェーブがかかった栗色の髪にぱっちりとした瞳。爵位は持ってないけれど、所作から立派な貴族令嬢であることは
確かに、ドレスも黄色で趣味も合いそうだ。
わざとらしくぶつかってきて、ウェルカムカクテルを顔に浴びせかけるところなんて、いかにもビアンカの親友らしい。
プライゼルはカクテルをかけてドレスを汚した後、ロサミリスが全く動じないので、フルーツ用のナイフを投げて寄越した。
ドレスを汚せば、着替えが終わるまで踊れない。大事な舞踏会で
「どうせ、どこぞの子爵夫人からお金やら何やら握らされたのでしょう。爵位も後ろ盾もなければ、従わざるを得ないでしょうね。でも、まだまだですね。ビアンカ様ならこんな事くらいでへこたれませんし、泣き言なんて言いませんでしたよ?」
ビアンカ・ファルベ・ラティアーノという金色の髪を持つ令嬢は、いつも元気一杯で、暇さえあればロサミリスにちょっかいをかけてくる。紅茶をぶっかけようとした後も、何度も挑んできた。両親の目の前で失態を晒させるため椅子に
「本を二冊乗せただけでまっすぐ歩けない、背筋は何故か曲がってる、ダンスなんて
「なんの……話をしてらっしゃるの。貴女だって、大切な婚約者を横取りしてくるような
「そうよ。奇遇ね、あなたもそうなのかしら?」
「私だって、シャルローン様がいなければあんな女の友人なんてやってないわ。わがままで、傲慢で、友人と名乗るのも恥ずかしいくらいなのに……っ!」
「そう? 嫌いという割にはあまり見てないのですね」
「なんですって?」
「嫌なところはたくさんありますわ。機嫌が悪いとすぐ怒る、自分の事が可愛くて仕方ない、わがままで傲慢な人」
「ならどうして」
「あの子、わたくしに言いましたの。『自分がジーク様の婚約者になればお金持ちになれる。そしたらお母様は昔みたいに笑ってくれるのよ』って。ジーク様を目の前にすると怖くて顔を青ざめさせるくせに、わたくしを蹴落として、わたくしのかわりにジーク様と踊るために、必死にダンスの練習をしていましたわ」
町にジークとデートした際にその話を聞かされ、ロサミリスはひどく胸を打たれた。
本当にわがままで、まっすぐな令嬢。
ジークと会えば怜悧な顔で睨まれることを分かっているのに。
なぜジークがビアンカにそこまで怖い顔で睨むのかは分からないけれど、ビアンカはビアンカなりに母シャルローンのために頑張っている。
幸せになりたい気持ちは、みんな一緒。
ロサミリスが呪いから逃れ、平穏な日常を描きたいのと同じように。
「その結果、人を蹴落とそうとするのなら、まぁ、蹴落とされるのがわたくしならば気にいたしません。わたくしも自分の幸せを掴むために、ビアンカ様を蹴落とす覚悟ですから」
この乳白色のドレスはお気に入りの一つだったが、汚れた状態でダンスを踊るわけにはいかない。
ドレスを汚されるのは想定内。ニーナに何着か予備のドレスを持ってきてもらっている。うちの侍女は優秀だ。ニーナの手にかかれば、入場までには間に合わせられるだろう。
「プライゼル様。悪いことは申しません。このあとボックス席にお父様とお母様が参られますので、どうぞご退席くださいまし」
「っ伯爵夫妻がここに!?」
ドレスは汚れ、ナイフを投げられた事でぱっくり割れた手の傷。
両親が来れば、この状況をどう思うだろう。
間違いなくロサミリスが被害者、プライゼルは加害者となる。
「……し、失礼いたします」
「今日の舞踏会を楽しんでくださいね」
さすがに分が悪いと思ったのだろう、プライゼルが足早に去っていく。素直なのはいいこと、両親への報告は舞踏会が終わってからで良いだろう。ああなってしまえば、もうちょっかいをかけてくることもないだろうし。
入れ替わりにやってきたニーナに「しゅ、修羅場ですか!?」と目をひん剥かれたが、ニーナが求めるような愛憎まみれる血みどろの修羅場ではないのが残念だ。
日ごろ様々な恋愛小説を読み慣れているニーナは「女って怖いですよねー私も女なんですけど」とけらけら笑う。こういうニーナの性格は大好きである。
着替えるため移動してしばらくした後、父ロードステア伯爵と母リーシェンが姿を見せた。
「ボックス席にいないと思ったら、どうした? 着替えに手間取ったのか?」
「ええ。でも大丈夫ですわ」
ニーナに
母リーシェンは黒髪を美しく結い上げ、いつもは隠している額を見せている。口調がゆったりしているので危機感がないと言われるのだが、実は父よりも豪胆な性格。力はないくせに、友人を助けるために燃える屋敷に飛び込んで、逆に父ロードステアに助けられるという伝説を残した女性。
そんな二人は、喪服のような漆黒のドレスを着たロサミリスに、あんぐりと口を開けた。
「おまえは葬式に行きたいのか?」
「まあ、さすがのお父様とて失礼ですわ。黒とは、女性のミステリアスさを引き立たせる色。それに見てくださいまし。この胸につけた
「それは、確かジークフォルテン卿の贈り物……」
眼力を強めてみれば、何かを察したらしい。
父は「遅れるなよ」と言って背を向けた。
(もう、いつの時代でもお父様は頑固なものね。結婚式じゃああるまいし、娘が男の贈り物を身に着けて舞踏会に出るのがそんなに嫌なのかしら)
残された母リーシェンは、静かにロサミリスを見ていた。
ややあって──
「ビアンカの、ことですが……」
「はい。妹として、ちゃんと伯爵家に相応しい淑女になれるよう支援しておりますわ」
「ロサのことだから心配しておりません。……ただどうしても、あの子を見ていると……昔のロゼリーヌ夫人を思い出してしまって」
リーシェンとビアンカの母シャルローンは、寄宿学校時代のルームメイトだったらしい。
当時はとても仲が良く、親交も厚かったのだとか。
でも今は、リーシェンがシャルローン宛に送っている手紙に、返信がきたことはない。
「お母様」
「なにかしら」
「わたくしは、自分が思う通りに行動に移すまでですわ」
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