Episode09.いつだれが見ているか分からないわ
「おほほ。バファノア様の賢才ぶりには恐れ入ります。これで我がロゼリーヌ家は安泰ですわ」
「これもシャルローン夫人のお力があってこそ。ワタシ一人の力ではどうにもできなかった」
お互いの事を褒め称え合いながらも、決して隙は見せない。
ここは帝国でも有数の品良きお洒落な街。
帝都から距離も近く、上流貴族も足繁く通っているという。
格のある物を買い、格のある物を身に着け、格のある令嬢に見られたい。あわよくば自分よりも身分のある殿方に見初められ、ちやほやされたい。
年頃の乙女ならば誰もが持つ想いを胸に秘めながらも、目の前の現実は厳しい。母シャルローンが美女だと言われたのは二十年も昔の話。女癖の悪い夫への怒りでみるみるげっそりし、ストレス発散と言う名の爆買いで子爵家の貯蓄を食いつぶした。
母シャルローンの新しい金づるは、自称天才音楽家・バファノアという男らしい。
(ひげもじゃもじゃ。顔は脂まみれ。天才音楽家かなんだか知らないけど、うさんくさいですわ)
思わず、おぇ、と言いたくなるような脂まみれの顔。
肌艶が失われたとはいえ、まだ40手前の若い母シャルローンを見る目もイヤらしくて気持ち悪い。
天才音楽家と名乗る割には、弟子の一人も取っていないという。「ワタシは独創的な音楽を好むのでね、彼らはまだワタシの音楽の良さを知らないのだよ」なんて言っているが、本当かどうか疑わしい。
「これでようやく、あの女の娘を社会的に抹殺することができますわ。舞踏会で大恥をかかせれば、さすがのロンディニア家も、あの娘との婚約を解消せざるを得ないでしょう。ゆくゆくは、養女になったビアンカが……!」
「しかし、よいのですか? 大昔とはいえ元親友では?」
「いいえとんでもない。黒髪なんて薄気味悪い。
母は、個人的にロサミリスの母を恨んでいる。さすがのビアンカもこれには向こうの母娘に同情した。なにせ母がリーシェンを恨んでいる理由は一方的。自分はあんなクズ男と結婚させられたのに、リーシェンは幸せな家庭を描いているという、友人格差が原因だ。
母は、舞踏会でロサミリスを潰すつもりだ。
あの手この手で酷い嫌がらせをするだろう。そのために、多くの貧乏貴族の令嬢や紳士に金を握らせている。舞踏会の主催者が音楽学校時代の後輩だというバファノアと手を組んだのも、ここで完璧に仕留めるため。
(あーあー。どうせロサミリス様が潰れても、その婚約者が私に靡くわけないですのに)
ビアンカはロサミリスが嫌いだが、憎んではいない。
ジークフォルテンに近づいたのは、彼の美しさに惹かれたのと、公爵家ご子息という肩書きがあったから。鬼の形相で睨んでくる男に近づきたいと思うほど、愚かではない。ただ、母がそうしろと命令してくるから。
(つまらないですわ。こんなことなら、伯爵家でダンスの練習をしたほうが有意義ですの)
実は昨日、初めてロサミリスにダンスを褒められたのだ。
嬉しかった。
「むきぃい!」とハンカチを噛みしめながら屈辱に耐えた甲斐があった。悔しいが、ロサミリスはとんでもなく教えるのが上手い。怒鳴り散らすだけの母とは違い、理に適っており、たまに優しい笑顔を見せてくれる。
(せっかく伯爵令嬢になったのに、結局ビアンカはビアンカのままなのですわね)
仕方ない、こっそり抜け出そう。
(お母様はあのおひげもじゃもじゃとしばらく話し込むでしょうし、どうせ私がいなくなっても気付かないわ)
「あの髭もじゃは、きっとロンディニア家が所有している伝説のヴァイオリンが欲しいんでしょうけど、そう簡単に手に入るとも思えませんわ」
「わたくしが明日手酷い目に遭うのは、そもそもバファノア様がヴァイオリン作りの巨匠、リヴァイロスの一品を欲しているからですのね。ふふ、良い事聞いちゃったわ」
「ど、どうぇえ!?」
(いい事聞いちゃったハート、じゃないんですのよ!?!?)
なんで目の前に。
ジークフォルテンとロサミリスがいるのか。
というか今日はロサミリスがお出かけだと言っていたが、デートだと言っていなかったか。
(ジークフォルテン様なんて、目線で私の事殺そうとしてませんこと? ねぇ、怖いからやめてくれませんこと!? 私まだ、紅茶ぶっかけ未遂なのですけれど!?)
鬼の形相で睨まれた後は、殺人鬼のごとく冷えた瞳。
(え? 死ぬの? 私、死ぬの!?)
「心配しておりましたビアンカお姉様。急にわたくし達からはぐれられて、人さらいにでも遭ったのかとずっとヤキモキしておりました。ささ、向こうで何があったのか、無粋な妹のわたくしにお話しくださいませ」
(そのお姉様って言い方が超怖いんですけれど!?)
エスっ気あふれるロサミリスに笑顔で連行されるのは見慣れたはずだったが、今日はいつも以上だ。
(いや本当……絶対に十三歳じゃないわよね)
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