第27話 飛龍山の戦い

 「やはり、進軍経路を読まれていたのです。撤退すべきです」


張賓ちょうひんが渋面をつくる。

飛龍山を越えて更に北方を攻略せよ、というのが鄴に駐屯する漢の皇子、劉聡りゅうそうよりの指令であった。

しかし、飛龍山の山麓に軍を進めると、立ち込める霧の中で微かな悲鳴とともに分隊ごと、あるいは小隊ごとに兵達が消えていった。


「突っ込んでいけばどうにかならないか?」


「遭遇戦ならばそういう事もありえましょうが、我々は待ち伏せをされたのです。これ以上進んでも余計に兵を損なうだけです。突破する前に明公とのが死にます」


張賓がそう断言すると、石勒せきろくも頷く。


「大将!正気ですか。こんな青瓢箪あおびょうたんの言うことを間に受けて。何も得るところなく帰るなど!」


いきりたつのは十八騎のひとり、王陽おうようである。

古に活躍した異民族の犬戎けんじゅうの子孫だという一族の出で、戎陽じゅうようなどと渾名されていた。

しかし、凄む王陽に張賓もひるまない。


「その青瓢箪からもう一言だけ言わせていただきましょう。今まで私の読みが外れたことはありましたかな」


「おお、言うじゃねぇか。前々から気に入らなかったんだ。大将からちょっと気にいられたからって……」


風を切る鋭い音がした。

一瞬の後、王陽の目に矢が深々と刺さっていた。


「う、う、お、俺の目、目が!」


「いけません!早く抜かねば脳天に毒が回る」


王陽は苦痛の叫びをあげながら、右目を刺さった矢ごと引き抜いた。

石勒もまた叫ぶ。


「撤退だ!退けッ!退けぇッ!」


 「当たった。将軍らしき出立ちだ。石勒かもしれんぞ。いや、きっと石勒だ」


胡人の将が色の異なる毛皮を縫い合わせた羽織を翻して笑う。

傍に立つ晋人の将軍が低い声で返す。


「この霧の中で当てるのはさすがですが、石勒かどうかは首実験をしなければわかりますまい。さあ、段将軍、それを確かめるためにも追撃をかけていただこう」


段将軍と呼ばれた胡人は、晋人の将軍の首を掴む。


「おい、祁弘きこう。この段務勿塵だんむもちじん、きさまなどの命令で動くほど落ちぶれ覚えはないぞ」


「わ、私の命令ではない。この場で私の発することは王浚おうしゅん様の命令と考えよ」


「王浚がなんだって?同じことさ」


段務勿塵は祁弘の首を掴んだまま、肩より上に持ち上げる。


「ぐ、王浚様の娘を娶っておきながらそのような……」


「貰えるものは病気以外は貰っておけ、というのが鮮卑せんぴ族の流儀でなぁ」


「ここで追撃をかけたならば、さらに報酬をはずむ……と王浚様は仰るはずだ」


段務勿塵は祁弘の首から手を離した。

急に落とされて、地面に尻餅をついた祁弘に、彼はへらへらと笑いかけた。


「それを最初に言ってくれ給えよ、祁弘“どの”」


段務勿塵は素早く配下の鮮卑族に号令をかけると自らも悍馬に跨り駆けていった。

祁弘は首をさすりながら言う。


「鮮卑段部、確かに強いが……あんな連中と二人三脚でやっていけるのか?」


幽州の雄、王浚おうしゅんは鮮卑族の段部と結び、飛龍山において石勒を大破した。

一万の損害を出した石勒は黎陽まで撤退。北方への侵攻は一時取りやめとなるのであった。

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