第15話 怒り

 「汲桑きゅうそう軍の勢い止まるところを知らず、鄴城に禍乱が及ぶのも時間の問題です。陛下、今こそ死中に生を求める時です。財物などまたいくらでも得られます。願わくば……」


「もうよい」


魏郡太守の馮嵩ふうこうからの書状を読み上げる軍士を、司馬騰しばとうは不機嫌そうに遮った。


「兵糧はくれてやったではないか。さらに我からむしり取ろうなどと、あつかましいやつめ。足りん足りんは努力が足りん、そういうことよ」


司馬騰の守る鄴には非常の蓄えはあまりなかったが、司馬騰個人には莫大な蓄えがあった。

しかし、汲桑軍の迎撃に出た馮嵩に対して、司馬騰からもたらされた兵糧は米数升、帛一丈数尺程度と、わずかなものであった。


「我が并州に在ること七年、えびすどもが城を囲んだ事もあったが、遂に勝つことなど出来なかったのだ。ましてや汲桑とやらはつまらぬ盗賊あがりだとか。どうして臆するに値しようか」


「では、兵糧は……」


司馬騰は軍士から竹簡を奪い取るとバラバラにして床に放り投げ、踏み躙った。


「何をぼやぼやしておる。さっさと片付けろ」


 押し寄せる汲桑軍の前に馮嵩は呆然としていた。

もう城中の兵糧は尽きる。

ついに司馬騰からの増援も、兵糧も、返事すらも届かなかった。


「司馬騰のあほんだらが死ぬのは、あれが自分の吝嗇けちが原因でくたばるのは構わない。勝手にしやがれ。だが、俺まで巻き込まれるなんて全く納得いかん」


そう言いながらも、一本角の兜を被り、その緒を締める。

賊軍をかつて打ち破ったときとは状況が違いすぎた。

戦友の趙驤ちょうじょうは怪我が原因で臥せっており、指揮を執っていた丁紹ていしょうも帰ってしまった。

もちろん、今度は苟晞こうきもいない。

軍馬に跨り、兵士らの間を巡って声をかける。兵士らの目にも怯えが見えた。

対する賊兵達の姿は何か異様な熱気に包まれていた。

囚人や敗残兵の集まりと聞いたが、その熱気がこの雑多な集団を一つの強固な力の塊に変えていた。

この熱気の正体はなんだろう。

司馬穎の復仇の大義、そんな綺麗なものではないはずだ。

賊兵達が鬨の声を挙げた。

大地が震えていた。

どうしてこうなったのだろう。

晋王朝は、天下は、この大地はどうしてこうなってしまったんだ。

馮嵩は自分の血が熱くなるのを感じた。

怒り、怒りだ。

あれらの熱気の正体は。

この世界を狂わせた連中への怒り。

狂った世界そのものへの怒り。

馮嵩もまた、ひとりでに叫んでいた。


「さあ、かかってこい!俺も怒っているぞ!なんでもいいから、この怒りをぶつけさせろ!」


賊軍の中から悍馬に跨った将が躍り出て剣を抜いた。

以前剣を交えた賊軍の副将、石勒だ。


「その意気や良し!決着をつけようぜ!」


石勒を先頭に、賊軍は雪崩をうって攻め寄せてきた。

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