第24話 お風呂 


 でもって翌日。


 お日様がそこそこ高くなってから、チョコが目を覚ました。クロは床に座って、魔界へ持って行く道具を点検整備していた。


「起きたか?」

「おなか減った」

 昨日と違って目覚めがよい。だいぶ疲れがとれてる。

「ご飯はテーブルにのっかってるよ。着替えたら食べて良いよ。早く着替えれば早く食べられるよ」

 チョコは真剣な顔つきで着替えを始めた。


 朝ご飯は、濃いめの味付けにした昨日のクズ肉を、柔らかいめの硬いパンに挟んだサンドイッチ的なものだ。それと、温かい野菜スープ。

 驚くべき速さで食べ終えたチョコの口元をウエスで拭ってやる。布の上からでも、ほっぺと唇の柔らかさが伝わる。幼い子独特のムニムニである。


「今日は休日だ。休日を楽しもうではないか!」

「おー!」

 ちっこい拳を突き上げるチョコ。休日がなんたるかは、いまいち理解していない。

「では、チョコはおトイレを済ませたまえ。裏庭に集合だ。そこにチョコの仕事が待っているぞ!」

「りょうかい!」

 チョコはおトイレに向かって全力で走っていった。



 さて裏庭。


 一見トイレにも見えるおんぼろの小屋。中は風呂である。

 見た目、大きな木製の盥。そして深い。ずばり浴槽である。


 浴槽の中は、仕切り板で2つに仕切られていた。人が浸かる浴槽と、焼いた石を浸ける湯沸かし室だ。二つの間は、短冊状の木で仕切られ、水は動けるが人は手すら入らない。

 湯沸かし室だけ、屋外へ突き出していた。ここから水に焼いた石を入れてお湯にするのだ。


 先に火をおこしたクロは、石を焼きだした。火の加減をチョコに任せる。これがチョコの仕事だ。

 チョコは大きな薪を手にし、しんけんな目で炎を睨んでいる。けしてこの火を消してはいけないのだ!


 火の番をチョコに任せ、クロは水を汲むためすぐそばの井戸を覗いた。

 そんなに深くない。ロープを取り付けた桶を井戸に放り込み、引っ張り上げるタイプの井戸だ。

「釣瓶くらい作りつければいいのに」

 かと言って釣瓶を作ろうとはしないクロである。

 桶を放り投げ、水の入った重い桶を二動作で引き上げ、手桶に移す。手桶がいっぱいになったら。湯船にぶっちゃける。

 有り余るパワーに任せ、どんどん水を汲んでいくクロ。見る間に風呂桶に水が張られていく。


「チョコ、そっちはどうだい?」

「よくわかんない!」

 クロがフィルターを通した目で石を見る。盛んに赤外線を発していた。

「いいんじゃない?」

 専用の革手袋をはめた手で、焼き石をどんどん湯沸かし室へ放り込んでいく。焚き火の上の空いたスペースに、新しい石をどんどん置いていく。お代わり用だ。

 水に浸かった石は、ブクブクと勢いよく泡を立てる。チョコは背伸びをして、湯沸かし室を物珍しそうにのぞき込んでいる。


「クロ姉ちゃん! 石から泡がでてるよ! 魔法だよ! チョコ、魔法の石を焼いてたんだよ!」

「はっはっはっ! それは水蒸気だ。泡の中は空気に見えるけど、実は湯気なんだよ」

「え? どうして? どうして?」

 沸騰する様が面白いのだろう、尻尾が左右に激しく揺れていた。

「火の熱を石に閉じこめ、水の中で熱を解放する。……こういう言い方をすると魔法みたいだ」

「魔法だよ! それ魔法だよ!」

「理解を超えた科学は魔法と同じ。だとすると科学って安っすいねー」


 そうこうするうちに、風呂の湯が適温となった。

「ね、これなに? これなに?」

「そっか、チョコはお風呂を知らないのか。服を脱いで温かいお湯に浸かって、のんびりするんだ。新陳代謝が活発になって疲れがとれるのだよ。ああ、ついでに汚れも落ちる。さあ、脱いだ脱いだ」

「え? え? よくわかんない!」

 そわそわうろうろしているチョコの服を脱がせる。白いふかふかの毛が現れた。洗わなくても綺麗に見えるが、チョコの話を解析すると、生まれてこの方、湯船タイプのお風呂に入ったことがないらしい。


「怖くない怖くない。お姉ちゃんもいっしょに入るから。……その前に」

 風呂から一番近い宿の戸をがらりと開ける。へばりついていた男共に殴る蹴るの出血を伴う暴行をはたらいておとなしくさせてから、風呂の戸をくぐって閉め、かんぬきを厳重にかけた。

 クロも服をポポイと脱いで、逃げ出す直前のチョコを小脇に抱きかかえる。


 そっと、湯船をまたぎ、ちょっとずつ湯に浸かっていく。

「あっ! あっ! 水が熱いいよ!」

「お風呂だからね」

 チョコの狼狽えようが激しい。


「足が! お湯にさわって!」

「はいはい、怖いからっておっぱいを掴まないで、ここデリケートなんだから」

 かちこちに強ばるチョコ。ふわふわの体を抱いて、クロはゆっくりと湯に沈んでいく。

 風呂桶の高さはクロの身長で丁度いいのだが、チョコだと頭の上まで湯に沈んでしまう。かろうじて、獣耳だけが、水面より顔を出すだろうが。


「うぉー。うふーぅ!」

 チョコはほっぺたを膨らませ、くぐもった唸り声を上げつつ肩まで湯に浸かった。クロの体にしがみついたままだ。足をクロのお膝の上に置いてつま先立ちしている。

「ほらほら、お湯が温かくて気持ちいいでしょ? 体も軽いだろうし」

「ふ、うふー、うふ、うん、気持ちいいよ! なんか、体がフワフワする!」

「これが浮かぶって事さ。体が軽くなり、力を抜くことができる。体を温めると血の巡りが良くなって、体調不備や小さな怪我の直りを早める」

「ふー、ふー、……むー」

 どうやらお湯に慣れ、落ち着いたようだ。


 クロはチョコの体を抱き上げ、膝に座り直させる。クロのお膝に座ると、丁度首から上が湯から出る。片手でもチョコの体を支えられる。

 クロは手のひらで湯をかき回して湯の流れを作り、チョコの胸に当てた。無くて白い体毛がゆらゆらと揺れる。

「ふえぇー。なんかへん! なんかへんだよ!」

「ここまで楽しんでいただけると大変嬉しいです。さあ、湯から上がって体を洗おう。石鹸を用意してある」

 この世界、原始的だが石鹸が存在する。垢や皮脂汚れを落とすためだけの性能で、良い匂いはしないし、肌にも優しくはない。だが、石鹸は石鹸だ。


「ざばー!」

 勢いよく湯船から上がる。

 するとどうでしょう!

 チョコの顔はそのまま。首から下の体が針金みたいに細くなってる!

「え? だれ? って前にもあったな」

 チョコは5歳児だがろくに食べさせてもらってなかったので、成長が遅れている。見た目3歳児。体はやせている。

 そのふわふわの体毛により、そこそこふくよかに見えていただけだ。

 毛が濡れてペタリと体に張り付いてしまうと、ごらんの通り、本当のシルエットが浮かび上がる。前は肋骨が浮いていたが、今は少しましな状態になっている。まだまだ栄養が足りない。


「……お肉をいっぱい食べて、いっぱい運動しようね」

「お肉! お肉いっぱい食べていいの?!」

「はっはっはっ! これまでもいっぱい食べてきたじゃないか。これからもいっぱい食べられるよ。これから先ずっと、そんな生活が続くんだから。だから体を洗おうね。髪の毛も」」

「うん! 髪の毛もあらうー!」

「そこに座んなさい」

 床にペタンとお尻を落とすチョコ。チョコは獣足なので、踵から爪先までが長い。

「……かひゅっ!」

 猫が座ったみたいなフォルムにクロの何かがやられたらしい。

 ギュッと目をつむり、口を歪め、何かに耐えている。


「うぐぐ、やっぱ洗いにくいから立ちなさい」

 立ち上がったら立ち上がったで安定が悪い。目をつぶってるから、フラフラしている。

 獣足であるチョコが立つということは、生物学的につま先立ちで立つことである。二本足の場合、歩くかは知るか、とにかく動いてないと安定が悪い。

「踵を付けた立ち方に変えなさい」

 ペタンと踵を付けた。獣足の踵は、人間で言うところの膝の位置にある。チョコが踵を付けた立ち方をすると……


「ハッ! 3頭身!」


 背筋を伸ばした上半身に対し、短い太股と膝と臑。円を描いて何とも可愛らしい。そして長い踵から爪先部分。三角形の体型が出来上がった。

 頭身もずいぶん少ない。リアルデフォルメキャラのできあがり。

「は、はい、じゃぁ、頭からお湯をかけるから、お耳をたたんで、目を閉じて」

 チョコは頭頂の三角耳を両手を押し当てペタンとたたむ。キュッと目を閉じ、小さくなった。

「……ヒュッ!」

 クロの脳細胞活性化機能が脳の危機を感知して作動を開始。精神状態は正常化された。


「1、2の3でお湯かけるから息止めてねー。1、2の3、ザバー」

「あぷっ!」

 石鹸で髪の毛から体の毛、尻尾の先まで泡立てる……一回では泡立たなかったので、お湯ですすいでからもう一回、二回目で泡立った。

「あぷあぷっ!」

 溺れないように気をつけてお湯をかけて泡を落とす。

「最後は、わたし特製のリンスを少々振りかけて完成です」

 油分、酸性、そしてちょっとしたコツで陽イオン化させた謎の液体を振りかけ、揉み込んでから洗い流した。


 この後クロは手早く自分を洗い、チョコと一緒にもう一度肩まで湯船に浸かる。 

「あついよー。もうでるー」

「お風呂はね、10まで数えないと出られないシステムなんだよ。このシステムを応用したのがセッ部屋なんだ」

「1.2.3.4.5.6.7.8.9.10。でるー!」

 こうして、ドタバタしたチョコとクロの入浴が終わった。

 ドライヤーの無いこの世界。長毛種たるチョコの全身を乾かす手間に最も時間がかかったのであった。


 さて、出来上がったチョコは――


「ライオン?」

 毛がモフモフになっていた。



「さて、チョコちゃん」

 舞台は宿の食堂に移っていた。

「お風呂上がりは水を飲んで。ゆっくりとね」

「んぐ、んぐ、んぐ!」

 喉が渇いていたのだろう。チョコは冷たい井戸水を勢いよく飲み干した。

 入浴前に水飲ましときゃ良かったな。


「これからお風呂の後始末してくるから、チョコは部屋へ戻って休んでなさい。ご飯になったら起こすから、昼寝してて良いよ」

「えー! チョコもお手伝いする! チョコはいいこ!」

 風呂に入ったときはさっぱり爽やかだが、入浴後は焼いた石を取り出したり、湯を抜いたり、浴室を洗ったりと、結構な重労働が待っているのだ。休ませるのが目的のチョコに参加させるつもりはない。しかし、自主的にお手伝いをする子は良い子である、という教育を施してきた経緯もある。


「うーん、こまったねぇ」

 人間のIQ値を遙かに超える頭脳を持つ宇宙生物たるクロであるが、久しぶりに困ってしまった。

 そこに女神様が現れた。

「掃除だったらあたしがしたげるよ」

 婆、もとい、宿の女将だ。

「あんたら明日魔界へ潜るんだろ? 今日はゆっくり体を安めときな!」

 珍しく優しい気遣いだ。

「それは助かる! わたしのような美人が入った後の湯に、泊まり客の男共から金を取って入れようとする魂胆だろうけど、湯船とか洗い場にチョコの白い毛が沢山浮いてたりへばりついたりしてるから、ご期待された状況とはなはだ遠いのだが、ここはひとつ婆様のご厚意にあやかるとするよ」

「しまったー!」


 女将さんは頭を抱えた。



 翌朝。


 胸の膨らみを隠さない女性らしいデザインの黒レザーの戦装束。コルセットぽいデザインの胴巻きに、腰横に戦斧、腰の後ろに鉞を装備し、荷物満載のバックパックを背負ったクロと、厚めのワンピースに軽い盾をくっつけたバックパックを背負い、腰に安物だけど小綺麗なナイフを装備したチョコ。


 二人は魔宮の入り口をくぐった。

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