第12話 チョコちゃん


「お? 今夜はおいしそうな具の少ないスープだね。女将さん、なんか手伝おうかい?」

「よけいなお世話だよ! 手伝ってもらったって、宿代はまからないよ!」


 夕食前になって、急に泊まり客が増えた宿は、忙しくなっていた。年老いた女将さんは、鍋を前に汗を流し、最後の調整とばかりにオタマで掻き回している。後は皿によそうだけとなっていた。

「別におまけしてもらおうとは思ってないさ。お腹が空いたので、手伝えばそれだけ早く食べられると思ってさ。これ運べば良いのかい?」

「まだ早いよ。客は降りてきてないだろ?」

「それが、とっくに席に着いてるよ。ずいぶんお行儀よくね」

 女将さんが台所を隔てる隙間から覗くと、すでに客がテーブルに座っているのが見えた。男7人とチョコが一人。

 普段は行儀悪く持ち込んだ酒なんぞかっくらって賑やかにしてるってのに、今日の客層はずいぶんお行儀が良い。強いてお行儀の悪いところを見つけるとすれば、台所を覗き込んでいる事だけだ。

 台所を、と言うか、台所にいるクロをと言うべきか、そこは判断がつきにくい。


「ふん、……あんた黙ってると美人だね?」

 女将さんがオタマを回す手を止めて、うら若き乙女であるクロの顔を見つめる。珍しい事だが、クロの目は人を小馬鹿にすることなく澄んだ目をしていた。いつもこのように素直な表情をしていれば、絶世の美人さんで通るのだが……。

「確かにあんたら、福の神かも知れないね。あんたが皿によそって持って行ってくんな。宿代はまからないけど、なんか別のモンで穴埋めするよ」

「どうぞお気になさらずに。この木皿使えば良いんだね」

 クロは、席から自分が見えるようにわざわざ位置取りして、皿に具の少ないスープを盛る。

 両手に一皿ずつ持ち、調理場を出る。そこは、かろうじて食堂と言えるであろう簡素なテーブルと椅子が幾つか並んだ細長い部屋だ。

「はいチョコちゃん」

 スプーンを手にし、スタンバイしているチョコのテーブルに、ことりと皿を置く。

 客の入りが増えたとは言え、たかだか7人程度。テーブル数に比べ、客数は少ない。チョコが獣人である故に、他の客と離れたテーブルに座っている。座る場所を指示したのはクロだが。

「わーい! おいしそー! これお姉ちゃんが作ったの?」

 お姉ちゃんが作った。その一点に男共の聴力が集中した。

「もちろん、お手伝いしたよ」

 よそうのと配るのをね。

「冷めないうちに食べてくれたまえ」

「いたたたまーす!」

「いただきますだろ。良い子にしてるんだよ」


 クロは、すぐ次の皿を手にし、次々と配膳していく。

 中にはクロの体に手を出そうとする者もいたが、そこは大気が無ければ光速を突破する能力持ちの彼女である。体裁きでかわす事など造作も無い。

 多少サービスの低さにぶーぶー言う客もいたが、皆さん概(おおむ)ね、味わいながら食べ始めた。婆さん手作りの肉少なめスープを。

 配膳を全て終え、自分の皿を持ってチョコの前の席に着く。

 クロの皿は肉が多かった。こうなるよう肉の割合を調整する事など、2つも3つも副脳を持つ優れた宇宙生物であるクロにとって造作もない事だ。

 

「はい、良い子にしていたチョコちゃんにご褒美だ」

 肉の半分をチョコの皿へ移動させた。

「わーい!」

 純粋な笑顔とはチョコのためにある。クロのためではない。絶対にだ!

「ありがとうお姉ちゃん!」

「はっはっはっ! お姉ちゃんはチョコを甘やかすぞー!」

 チョコは、あっという間に食べ終わった。肉だけ。

「口の周りをべたべたにしないように食べたまえ」

「んーんー!」

 口の周りを布きれでムニムニと拭いてやる。

「明日は武器屋巡りだ。いい子にしてられるかな? いい子にしてたら、してるだけチョコに買ってやるブラシの質が上がる」

「やったー! チョコね、いい子にしているよ!」

 チョコの笑顔がクロの邪な心をも溶かしますように。

「よしよし、肉もう一切れ食べるかい?」

「たべるー!」

 どこまでもチョコを甘やかすクロであった。

 

 その夜。

 一つのベッドで、一つの毛布にクロとチョコがくるまっていた。

 クロは睡眠をとらなくてもよい体の造りである。脳から不具合物質を除去する、生体電子シャワー器官を装備している。これを使い、脳内より疲労物質や薬物を除去し正常な脳へリセットすることができる。

 だがしかし、記憶の整理や、脳内活動の仕切り直しのためにも、寝ないより寝た方がいい。

 実際のところ、これまでの人間として生きてきた生活習慣により、毎晩睡眠をとるようにしている。

 メインの脳が睡眠をとり、いくつかあるサブの脳の一つが交代で起きていて、外界の情報を処理するという用心深さを持っていたが。

 チョコは旅の疲れからか、ベッドに入ってすぐ眠りに落ちた。食事の最後の方ですでに船をこいでいたが。


 ……あれは獣人の村でのことだった。初めて、チョコと同室で寝た夜だった。

 チョコは、当然のように椅子の上で丸くなって寝ようとした。狭い椅子の上で、体を横向きにして、自分のしっぽを枕にして寝ようとした。

 アンモニャイト。

 気がつくと、チョコの頭をなでていた。何で? という顔をして、クロを見上げる顔がおかしかった。

「これからは一緒のベッドで寝ることにしよう」

 そう言って毛布をあけたら、チョコは、照れくさそうな、うれしそうな、困惑したような顔をしてクロに飛びついてきた。

 その夜から、チョコはクロと寝ることとなった。

 チョコはクロの腕にしがみついて寝る。過去の辛い経験によるのであろうか? 不安だとか甘えだとか、愛情に飢えていたりしたのだろうか?


 寝顔の可愛いチョコだが、夜中に何度もうなされていた。

 それは旅の途中でも起こっていた。日を重ねるごとにうなされる回数は少なくなっていき、旅の終わりには無くなっていた。

 心を開いてくれたのだと思うことにした。整理できたのだと思うことにした。

 両親は早くに亡くなり、お爺さんに育ててもらったようだが、その爺さんも去年、病で亡くなったらしい。

 クロは母の顔を知らぬ。おそらく同族であろう宇宙生物だ。その知識を記憶の一片として記憶脳に納められている。だが、母の顔や人となり、もとい、宇宙人となりは記録されていない。

 クロは父の手で育てられた。人として。

 父との思い出は、何物にも代え難きものであった。……宇宙人である母を受け入れた父の度量の深さにも驚かされるが。

 人類、人間、人である父は寿命で死んだ。何度か病に倒れ、その都度、原子配列調整技術による外科手術で延命した甲斐もあって、天寿を全うできた。

 身近な者の死、親しい者の死、愛する者の死、という別れを経験し、世の理不尽をこれでもかと目にし、クロは変わった。それこそ人間をやめた。

 この世界に転移するため莫大なエネルギーを消費した。熱、真空、衝撃波。元いた世界にどのような影響を与えたかまでは関知しない程に人間をやめた。


「そして、チョコを甘やかす自分がいるって寸法さ」

 クロは自嘲気味に呟いた。

 とはいうものの、この世界の存在にも、チョコの将来にも責任なんか持てないがね。

 チョコがクロの手を握った。寝ぼけているのだろう。ほほを当てスリスリしている。

 手を預けたまま、クロは目を閉じた。

「ちゅちゅちゅちゅちゅ……」

「ひゃい!」


 びっくりした。


 温かい、柔らかい、くすぐったい、なんかいろんな感覚を小指が拾い、主脳へ送り込んでくる。

 チョコがクロの小指をチュウチュウと音を立て吸っているのだ。

「真空でも、放射能バリバリでも、素粒子ごんごんの外宇宙でも平然としていられる宇宙空間生物の末裔たるわたしがダメージを受けた?」

 クロは戦慄した。初めての経験。

 恐るべし……


「寝よう」


 クロは目を閉じた。指を吸われるままにして。 

 

 

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