第11話 アリバドーラの宿屋


 ギルド内で起ったトラブルを上手に処理した後、クロとチョコは大通りを歩いていた。


 チョコは大きな町が初めてなので、キョロキョロしっぱなしだ。

 クロも、この世界の大きな町は初めてだが、キョロついていない。魔宮の外へ出れば、遠隔感知力場が使える。大通りの情報など、見ずとも分かる。

 たとえば、宿を探すクロの腰に、これ見よがしにぶら下げれた巾着袋を狙うスリ達の動きとか。ちなみに、膨らんだ巾着の中身は擦り切れた銅貨ばかりだ。……わざとだ。

 ただ世間的に周知されているのは、巾着の中に大金が入っている事だ。魔宮コアの代金の一部が入っている。クロは一部の人の間で有名人だ。一騒ぎあった事だし。

 さっ!

 ぽきっ!

 クロは、巾着に手を出すスリの指を余所見しながらヘシ折った。

 こういう事をする女なんだ。こ い つ は !


「お姉ちゃん、お姉ちゃん、あそこでおいしそうなお肉売ってるよ!」

 串に刺したナニカの肉を焼いている屋台だ。油やソースや香辛料の入り交じった匂いが、ここまで流れてくる。

 時刻は昼をいくらか回った頃。夕方と呼ぶには少々早い時刻。いざこざに手間取り、昼ご飯を抜いていた事を思い出した。

 クロは平気だが、チョコは耐えられない。


「宿を探すまえにまずは腹ごしらえといこうか」

「うん、はらごらしえ。はらごらしえって何?」

「腹ごしらえね。あれ腹ごしらいだったっけ? 軽くお腹に入れることさ。もちろん食べ物をね」

「お肉おなかに入れたい! お肉!」

 チョコの見た目は狐である。狐である以上、肉食なのだろうか? 性格はネコが一部入っているが。ネコも肉食だから、どっちでも一緒だった。

 懐も暖かくなったところだし、クロはチョコを甘やかすことにした。


「よしよし、ご亭主さん、串焼きは一本いくらだい?」

「へい、30セスタでやんす」

「じゃ、2本ちょうだい」

「へい、1030セスタいただきやす」

「んんー30足す30は60。ご亭主、それじゃ計算が合わないよ」

「姉さんは30セスタでやんすが、そこの獣は1000セスタでやんす」

 意地悪な目でチョコを睨み付けるご亭主。

 思ったより人種差別が強い世界だった。

「どうしようかな?」

「ねえ、高いの? 買えないの?」

 クロとチョコの注意は、美味しそうに焼けた何かの肉に向けられている。

 この隙を逃すスリではない。

 無防備に飛び出た巾着にスリの指が伸びる。

 伸びた指をクロが掴む。そして小気味よい音を立て、指を脱臼させる。

「ぎゃ」

 悲鳴を上げている途中のスリに足払い。空中で一回転している間に、手首の関節を外す。続いて肘、そして肩を外し終わったところで、背中から地面に落ちた。スリは白目を剥いてのびていた。

 クロはスリに馬乗りになり、外れた腕を追い打ちでキメる。外道の技だ。


「チョコちゃん、これで何人目だ?」

 チョコは小さな指を折って数えた。片手を全部折り曲げ、もう片方の指を2本曲げる。

「6人」

「7人だ。うっとうしいな。そうだ、見せしめでこいつの手を落とそう!」

 良い事を思いついたとばかり、いそいそと腰から例の柄が短くなった鉞(まさかり)を抜いた。

「お姉ちゃん、それはちょっと可哀想だよ」

 あわててクロの腕にしがみつくチョコ。

「そうだね、お店の前が汚い血で汚れるものね」

 クロは立ち上がり、軽くスリの頭を蹴ってから、店の亭主に微笑んだ。

「じゃ、2本もらおうか。えーっと、1030セスタだったけな。ちなみに、ご亭主はどこら辺に住んでるのかい? 家は木造かな? 家族はいるんだろう? 火は嫌いか? 家族の血は流したくないタイプかい?」

「えっ、いやっ、2本で60セスタで結構です!」

「そうかい? まけてくれるんなら、3本頂こうか。90セスタだよね」

「まいどありー」

 2本をチョコに手渡し、クロは1本に噛みついた。

「やったー! 両手にくしだー!」

 両手に何かの肉の串を持ったチョコはご機嫌だ。いままで生きていたなかで、最高の幸せだ。

「よかったねー、チョコ。落とすんじゃないよ」

 クロはホッコリした目でチョコが小躍りする姿を見ていた。

「よかったねー、ご亭主。落とすんじゃないよ。手首を」

 クロは感情が死んだ三白眼でご亭主を睨(ね)めつけた。

「ひっ!」

 ご亭主の首筋の毛が逆立っていた。


「次は晩ゴハンの材料を買いに行こう」

「お肉! チョコ、お肉がいい!」

「はっはっはっ! 野菜も食べようね。キュウリは食べなくてもいいけど」

 クロは、宇宙人ですら嫌うキュウリを除外して食材を買い求めつつ、ジャンナの記憶を元に、宿屋街へ向かった。

 宿屋街の裏手。複雑に入り組んだ建物群を縫って奥へ奥へと進む。奥へ進むごとに建物が古くなっていく。

 狙うのは安宿。日本で言うところの木賃宿に似たシステムの宿。素泊まりがベース。食材は客が持ち込み、調理する薪代を支払う。その薪代が宿賃となるのだ。安宿の中の安宿である。

 基本、客は大部屋一つに雑魚寝だが、そんなところには泊まる気がしない。

 探しているのは一風変わった経緯を持つ宿屋。木賃宿の一種だが、客が持ち込んだ食材をあれこれと併せて、宿の主が調理して客に出してくれるのだ。もちろん、個人で料理することもできる。

 ジャンナの記憶によると……、

「あったあった。ここだここ」

 看板も出てない、古びた石造りの3階建て。

 宿の名は「女神の加護亭」。


 クロの探査能力は魔宮外だと無敵。探知力場で宿の中を一撫でする。特に危険物はない。泊まり客は――、推して知るべし。

「静かで願ったり叶ったり」

 ここに来るまでの道中、そこそこの宿屋は客で溢れていた。この宿とは別の最安宿も客はそれなりに入っていた。

 クロはとっくに串肉を食べ終わっていたが、チョコはつい今し方食べ終わったところだ。

 口元にベッタリ付いているタレと油脂をボロで拭ってやる。

「手も綺麗にしよう」

「串は? 串は?」

 チョコが後生大事に持っていた串をその辺に放り投げる。ゴミ集積所やモラルなんて気の利いたモノはこの世界にない。

 手を拭ったボロもその辺に放り投げて、宿屋の入り口をくぐった。


「ここしばらく景気がよすぎて安宿に泊まる客が少なくて、どうしようかね、この際どんな客でも良いから泊まりに来てくれないかね、と思案顔の女将さん。わたしと獣人の子ども2人だ。泊まれるかい?」

「……いいともさ」

 カウンターだか台所だかで、火のついてないキセルをもてあそんでいた婆さんが鷹揚に答えた。化粧が濃い。さらに服が古びたゴスロリ。派手な色の紅。

 チョコは婆さんの顔を見るなり、口を半開きにしたまま硬直した。

「窓のある部屋を希望したいんだがね。お金ならあるよ」

 銅貨しか入ってないけど膨らんだ巾着を見せる。

「ここは前金だよ。部屋は好きに選びな」

 一応は愛想笑いを浮かべてくれる。


「ねぇねぇお姉ちゃん、このおばさん、お顔にまゆ毛のお絵かきしてあるよ」

 クロの袖をチョンチョンと引っ張るチョコ。

「いい子はだまっていなさい」

 婆さんの本当の眉の位置より1センチ上に描かれた眉がピクピク動いている。

「ねえねえお姉ちゃん、このお宿、人がいないよ」

 建物内に入れば、チョコも鼻と耳である程度状況が分かるのだ。

「もとはちゃんとした宿屋だったのに人手不足が祟って個室の木賃宿にしたので中途半端に値が高いんだ。お金があればきちんとした宿へ行くし、無ければもっと安い宿へ行く。だから今この中途半端な景気の時期は客の入りが極端に悪いのさ」

「グチャグチャ文句言ってないで! 泊まるのかい? やめるのかい? 足もと見るんなら出ていっておくれ!」

 さすがに婆さんが怒る。

「ふふふ、そう怒りなさんな。わたし達が福の神になるかも知れないよ」

「さっさと2回へ上がんな!」

 二人は階段を駆け上がった。


 さっそく旅装束を解いた。

 チョコはワンピースを脱いで、カボチャパンツ1枚。白い体毛が服にも見える。

 クロは薄桃色の薄い部屋着になった。寝間着に見えない事もない。うら若き女性にしては無防備な格好と言えるだろう。しかしここは階場の窓枠。不埒な者共の手は届かない。目は届くが。

 四人部屋に陣取った二人は、窓枠に腰掛け通りを見下ろしている。

 方角は南じゃないどちらかだが、宿の入り口に面した部屋を取る事が出来た。ここなら外が見える。その気になれば、見張りも出来る。客だとか、宿に張り付く見張りとか。

 気にしすぎと言われるだろうが、用心に越した事はない。攻略者はヤクザ者とさして変わらぬ。それが証拠に乱暴事が絶えた事が無い。

 コネがあって金を積めれば少々のことはもみ消せる。生きる権利はないが生きる自由はある。

 ここはそういうステキな町だ。


 窓のある部屋とは言え眺めはよくない。ここと同じか、もっと高い建物がひしめいている。とてもじゃないが、貴族街は見えない。町の中心にあるはずの城も見えない。

 逆に言えば、彼らからもここが見えない。

 いや、隠れる必要は今のところ無いが、面倒事に巻き込まれるのも嫌だ。ここしばらくは。少なくとも生活の基盤を作るまでは。

 クロは荷物からブラシを取りだし、チョコの毛並みを整えている。

「あのゴスロリ、婆さんが若い頃からのだな。さて、明日は買い出し日だ。旅の疲れもあるから今日は早めに寝よう」

 たぶん、チョコはご飯食べたらすぐ寝るだろうがね。

「お買いもの?」

「魔界へ潜るのに使う道具とかだね。チョコの着替えも買いたいし。そうだそうだ、肝心の武器を忘れていた」

「クロ姉ちゃんのあわてんぼさん!」

「はっはっはっ! チョコに掛かっちゃ台無しだね」


 チョコにブラシを入れれば入れるだけ毛が抜ける。季節は春。そろそろ夏毛に生え替わる時期か?

 このブラシは獣人の村から持ってきた物だ。ずいぶん年季が入っている。そろそろ引退を勧告せねばいけない。

「明日の買い物ついでに、チョコ用の新しいブラシを買おうか?」

「ほんと? うれしー!」

「あっはっはっ! 抱きついたらブラシ出来ないぞ」

 こんな感じでじゃれ合う美少女(クロ)と、獣耳だが見た目可愛い幼女のペアを道行く人は皆、見上げて歩く。


 ここ宿屋だよね?

 ってことで、客が幾人か戸をくぐった。

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