第8話 取引
「その件に関して、わたしに何か利点はあるのかい?」
「え?」
思いも寄らない言葉を出されたのだろう。ジャンナは戸惑ってしまった。
「わたしは金を持ってない。旅の装備も貧弱だ。なのに10日も旅をせよと言うのかい? それも、わたしの都合を横に置いて? 魔界に足を踏み入れるという、一歩間違えば命を落とす危険を冒したのに?」
この部屋にいるのはジャンナと村長とクロの3人だけ。……チョコは勘定に入らない。
滅多なことも言えるし、意思決定も早い。秘密露営の可能性も低い。言えることは言っておこう。
「ジャンナさん。あなたはいずれ復帰するでしょう。一方、わたしは根無し草です。復帰した暁には、わたしの身元を保証してもらいたい。まあ、目をかけていただいて、できる限りの便宜を図ってもらいたいと。不正にならない範囲で」
クロは、はにかむように笑った。
その悪意のない、ちょっとだけ意地悪な笑みに、ジャンナは頷いた。痛てて、とこぼしながら。
「それと、手元が不如意でね。そこのところを解決してもらえれば、アリバドーラへ向かうこともやぶさかではない。それと――」
クロは言葉を句切り、聞き耳を立てている者はいないかと、周囲を見渡した後――、
「わたしは少々性格が悪い」
「でしょうね」
苦笑いをするジャンナ。落として上げる。上げてから落とす。クロの悪い癖だ。
ジャンナは村長に視線を合わせた。
「ならば、こう、しましょう。村長さん」
「へ、へい!」
獣耳の村長が慌てて姿勢を正す。権力に弱いタイプらしい。
「巡回騎士の、権限で、あなた方に、依頼します」
「なんなりと!」
ジャンナが決めたのは以下の通り。
魔宮コアと質のよい幾つかの魔性石は、本件の証拠および、クロへの報酬という事になった。アリバドーラの攻略者ギルドで換金すれば、大金となる。
残りの魔性石を村で買い取ってもらう。ただし、村に現金の手持ちは少ない。出せる範囲で最大の現金を出す。つまり村の言い値で買い取るということだ。
この条件で村長は了承した。収支という面で、村側が圧倒的に有利なのだが、そこはこれから色んな面倒をかけることとなるので、先払いの意味もある。
村は、攻略者ギルドの調査が入るだろう。ギルドの無茶振りを飲んでもらわねばならない。この事に村長は気づいているかどうかなど分からないが。
「そこに、わたしへの報酬を追加して良いか?」
「……聞こう」
チョコを膝の上に抱え直した。
「この子をもらい受けたい」
「は?」
「お金を稼いで小さな店を開く予定なんだ。この子に身の回りの世話とか、小間使いだとか、要は気に入った。相性も良さそうだし。どうだチョコ、わたしと一緒に来るか?」
「いくっ! いくいくいく! クロお姉ちゃんと一緒に行く!」
一気に目を覚ましたチョコは、クロの首にしがみついた。
「一緒に旅をして大きな町へ行こう。アリバドーラという町だ。知ってるか、チョコ?」
「しってる! 聞いたことある! 東か西にある町だよ! 道あんないはまかせて!」
……それは心強い。
「それに――」
クロは、またもや意地悪な目を村長に向けた。
「そちらに不満はないでしょう? ないよね?」
「えー、はぁ、はい。それはもう喜んで!」
厄介払いが出来る。村長は逡巡少なくOKを出した。
――後でこの子の利用価値に気づた時が見物だけどね――
クロの口角が跳ね上がる。その笑顔を見て、村長は嫌な予感にとらわれた。その予感はたぶん正解だ。
「ならそれで手打ちとしようではないか。チョコ、今晩からわたしと一緒に寝るか?」
「ねるねるねるねる!」
クロの首にしがみついたまま、膝の上でピョンピョン跳びはねる。
「はっはっはっ! しょうがないなー」
クロはチョコの頬に両手を当て、かいぐりかいぐりしてやった。
次の日。クロとチョコは旅立った。
ジャンナはあれから一度も目を覚まさない。長くて浅い眠りについている。どんどん寝て体力の回復に努めていただきたい。なにせ大事な伝手なのですから。
チョコは魔宮で使ったバックパックに、いろんな物を詰め込んで背負っている。
クロもそれなりの物を詰め込んだバックパックを背負っている。村長を脅したら提供してもらえた。丈夫な逸品だ。
村人が見送ってくれた。村長以外、若い男子が数名だけだったが。残りの者は、家の中からこっそり見ている。なかなかにチョコを巡る複雑な人間模様だ。
村の境界線辺りで、見覚えのある若い男が待っていた。
誰だっけ?
「その腰の斧だがな。俺のだ」
「ああ、これね」
腰のベルトに差し込んでおいた斧だ。柄が短いままだが、さしたる影響はない。
どさくさで持ちだそうとしたが、そうはいかなかったか。条件闘争の時、これも入れておけばよかったと反省。
腰のベルトから抜いた。
「いいよ、やるよ。柄が折れてるし、いらねーし!」
腕を組み、ぷいと横を向いた。わざわざそれを言いに、朝早くからここで待っていたのだ。
――異世界でツンデレを経験するとは思わなかった――
「こ、これ、餞別だ!」
ブンと音を立て付きだした手に握られているのは、木の棒。
「柄が折れてるだろ? 代わりの斧の柄だ。あと楔。それと修理用のトンカチ。それと研ぎ石。あと油。頭にも柄にも塗ると使い勝手がよくなる。あと、……分け隔て無く俺たちと接してくれてありがとう」
「あと」からのセリフが長い。
「有り難く頂戴しておくよ。ところで、親切なお兄さんの名は?」
「え、あ、ブ、ブラート」
「ブラート君か。男らしくて良い名前だな。覚えておくよ、ブラート君」
じゃあね。と手を振ると、真っ赤な顔でしどろもどろになっていた。
チョコは……、終始クロの陰に隠れていた。
ちなみにアリバドーラの町は、獣人の村から真南の方角だった。
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