第2話

「ふぅ~」

 とりあえず光は安堵する。人間界も同じでよかった。そして、部屋の主が取り出したものを興味深そうに見つめた。部屋の主の名前は本堂茂。茂は今年で高校3年生。今はこのアパートで一人暮らしをしていた。外見はざっくり言えばひょろひょろでどこか頼りなく見える。身長も男子高校生の割には低く、光とそこまで変わらない。だからなのだろうか。茂が取り出したキャンディーに光は少し違和感を覚えた。なんとなく男と不釣り合いな気がする。光は人間界の男子高校生のイメージとしてスナック菓子を好むものだと思っていた。しかし、そこではない。実際の違和感は別にある。なるほど。よく見れば全体的に痩せている。それに体が薄いような・・・。そこでようやく違和感の正体に気がついた。違和感があったのはキャンディーでももちろんこの部屋でもなく、この茂という男にあったのだ。なんと茂の体は透明化していた。さらに言えば、実体がなかったのだ。つまり、茂は俗にいう幽霊になっていた。死神の瞳には幽霊が映るため、光には茂の姿が見えたのだ。茂は平然とキャンディーを口に加えているが、果たして幽霊である自覚はあるのだろうか。幽霊になっていることに気付かないで、死神に指摘されて初めて幽霊であることを自覚する幽霊も多いと聞く。特に最近はそういった自覚なしの幽霊が多い傾向にあった。死神の仕事には、そういった幽霊のもつ魂を冥界へと連れて行くことも含まれている。特に近年は自覚のない人間界に留まる幽霊が多いため、死神の仕事量は格段に増えていた。実は人間界に光が派遣されたのは、そういった近年の現象に対する応急処置でもある。光はそのことを知らない。光はを確認するべく、懐中からランプを取り出した。といってもただのランプではない。仕事用のランプ、というべきだろうか。死神はこのランプを利用して仕事をこなす。ランプの役目はブルーゴーストを顕現させることだ。ランプを照らせばブルーゴースト、魂の実体が現れる。それを冥界へと連れて行くのだ。光はランプにテルマーと呼ばれる光を差し込んだ。これでようやくランプは明かりを放ち、周囲を照らす。もちろん、茂も照らされた。そして、ブルーゴーストが茂の体に現れる。これで間違いない。茂は死んでいたのだ。光はランプの光を消すとそのことを茂自身に知らせるため、茂に話しかけた。

「あの、すいません」

 及び腰に光が話しかけると、茂は冷蔵庫を閉めながら後方を振り返る。そして、ようやく初めて光の存在に気づいたようだった。ひどく驚いた顔をしている。開いた口がふさがらないとはこのことだろうか。光は自分の仕事がこの男に何らかの関係があると踏んで、茂に事情を説明する。

「えっと、生きてませんよ」

「・・・」

 光は超がつくほどの口下手だった。もちろん、人間と言葉を発するのは初めてで、そのために緊張していたというのもあっただろう。しかしそれ以上に光は人、もしくは死神と会話することが苦手であった。いつもどこかおどおどとしていて、はっきりと話せない。相手の顔を見て話すこともままならなかった。そんな光が今、勇気を振り絞って人間と会話を試みている。知る由もない茂にとっては頭にクエスチョンマークを浮かべるばかりだった。

「えっと・・・」

 困惑する茂に光は『また、やってしまった』と後悔する。いつも私は口下手ではっきりと言葉を発せないのだ。相手の顔を見ながら話すなんてとても出来ない。そのことも原因でいじめを受けているというのに私は何一つとして成長していない。人間界に来れば、何かが変わるかもしれない。そう思っていたけれど。結局、自分が変わろうとしなければ何一つとして変われないのだ。光は途端に不安に駆られる。私はこの先、人間界でうまくやっていけるのだろうか。やっていけないかもしれない。そんな思いが強かった。思うたびに不安は大きく募っていく。光の顔はみるみるうちに青ざめた。そのことに茂は気づいたのだろう。

「君、大丈夫か?」

 憂慮そうに話しかけてきた。自身は気づいていないが光はその瞳に涙を浮かべていたのである。

「だ、大丈夫だから・・・」

 ぎこちなく答える。本当はすぐさまこの場から去りたかった。しかし、仕事という言葉が光をその場に引き戻す。そこには強い使命感があった。きちんと仕事をこなさなければならない。だから、逃げなかった。

「・・・私の話を聞いてくれませんか?」

「う、うん」

 茂もぎこちなく答えた。どこかこの部屋には気まずい雰囲気が漂っている。

「じゃあ言いますね。あなたはもう死んでいます」

「えっ」

 突拍子もない光の言葉に茂は困惑する。茂は自身が死んでいるという自覚がなかったのだ。そのために光の言葉はとても衝撃的だった。しかし、大抵の人間というものは事故や自殺、病気、事件が原因で死んでしまうと聞く。仮に事故や事件に巻き込まれたなら、死者はその事件に巻き込まれたという自覚なく死ぬのは難しいのではないだろうか。誰かに襲われて。車に巻き込まれて。眠っているときならともかくとして、巻き込まれたという自覚はあるだろう。ならば、自分は死んでしまったという自覚もあるはずである。しかし、茂という男にはそれがなかった。茂だけではない。最近はとにかく自覚なしに気づけば幽霊になっていたというケースが非常に多いのだ。死ぬ前にはその前兆を感じ取ることが出来るらしい。老衰や過労死だった場合、その前兆は必ず起きると言われている。だから、自覚なしに幽霊になることは難しい。今までの場合、自覚なしに幽霊になる原因は突拍子のない急死が大半を占めていた。しかし、今はどうだろう。もしかしたらこの人間界では何かが起きているのではないだろうか。

「ちょ、ちょっと待って。それは本当のことなのか?」

 信じられないとばかりに口をあわあわとさせる茂。しかし、光は残念そうにしながらも首肯した。

「待て。冗談だろ。そんなわけがない。第一、俺はキャンディーを食べて。キャンディーに触れて。普通に生活できているじゃないか」

「幽霊でも物に触れることは出来るんです」

「そ、そんな・・・」

「これは本当のことです。私を信じてくれませんか?」

「で、出来ない」

 茂はきっぱりと否定した。当たり前である。今まで自分は当然ながら生きて普通に生活していると思っていて。見知らぬ少女に突拍子もなしに第一声に宣言されたのだ。信じられるはずがない。信じろという方が無理な話であった。そこで光は今更ながら自己紹介する。

「そ、そうですよね、ごめんなさい。名乗りもせずに言うなんて。私の名前は真杜光。実は私、死神なんです」

「そういうことじゃないけど・・・って、へっ? し、死神?」

 ますます困惑する茂。泣いたと思ったらこの光という女の子は何を言い出すんだろうか。

「やっぱり信じられませんか?」

「さ、流石に急には、ね・・・で、その死神は何をしに来たんだ?」

「す、すいません。言いそびれてました。私はあなたの魂を、魂を・・・」

 先生は住宅街に現れる青い光、ブルーゴーストを冥界へと連れて行くように命令していた。しかし、光はその時人間界行きの知らせに浮ついていたため、肝心の魂の行く末について聞いていない。今から思えば、人間界行きは断ればよかったかもしれない。あの時は私はこれをきっかけに変われると。そう信じて疑わなかった。

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