二家本は、携帯スマホで、ここから歩いて行けるホテルを検索しはじめた。

「ラブリーなとこにして」

東京トーキョー、知らねぇんだよ」

「歩こうよ。恋人繋ぎして?」

「……」

 八代は、自分の冷たくなった指先を二家本の左手に絡めた。その体温が心地よい。心の温度は知らないけど。

(なんて、私は怖がりなんだろう) 


 好きだと言ったなら、たぶん、二家本は聞こえなかったふりをする。なぜか確信する。そして、二度と、こっちを向かない。

 変わる天気のように、たまたま、今、そんな気持ちなんだ。たまたま、今、雨が降ったから、自分は、そんなお天気次第の人間なんだよ。そんな言い訳ができるようにした。 

 あたりは、もう夕暮れていた。

 冬の日の入り、東京は早いな。

 とくとくと心臓が波打ちだした。苦しい。


「ちなみに、二家本君、彼女はいるの?」

「……いるって言ったら」

 二家本の声は平坦だ。

「基本、彼女持ちとホテルには行けん」

「いないって言ったら。ヒトの目は、モノを自分の都合のよいように見てしまうだけだろ。それ、聞くことに意味あるのかな……」


 大通りを路地に曲がると、キラキラネオンの建物群の通りだった。一足先にクリスマスが来てる。その中のひとつに、二家本は、さっと入った。でも、振り向いて、「やめとく?」とも聞いてきた。

 八代は黙って二家本のそばをすり抜けて、ホテルに入った。

 案外、フロントは狭い空間だ。タッチパネルで無人。


「……コスプレ、選べる」

「選ばんでいい」

「……シャンプー&トリートメント」 

「任す」

 緊張して顔が上げられない。

 大理石模様の床だ。


「……なんか、ドナドナな気分」

 顔を上げない八代を、二家本は手を引いた。

 

 部屋に入るまで八代は、まともに顔があげられなかった。

 顔をあげたら、部屋が天井までピンクで、びっくりした。

 ピンクといっても上品なピンクで。花柄。シャンデリアに、白雪姫のお話に出てくるみたいな鏡、白い猫脚の楕円ローテーブル。

「うはぁ」

 思わず、声が出てしまった。

「……ラブリーっていうからさ」

 二家本も、まさかここまでとはという困惑顔だった。八代は、ちょっと笑ってしまった。

「ワリカンで、おいくら?」

「いらない。すぐ、お返ししてもらうから」

 その二家本の表情が見たことがないもので、八代の下半身に響いた。して仄暗い照明のせいではない。

「……お風呂、先、入る?」 

 二家本が聞いてくる脇で、努めて明るく振舞った。

「あ、TVテレビ、おっきーい。ゲームもできるんだー」

「……お風呂」

「二家本君、先、どーぞ」

「うん」

 さっさと二家本は風呂に行ったしまった。


「……」

 手持無沙汰てもちぶさたになった八代は、TVテレビゲームをはじめた。

 

「八代」

 気がつくと、そばにバスローブ姿の二家本が立っていた。

「はっ」

 けっこう、TVゲームにのめり込んでしまった自分が、八代は恥ずかしかった。

「……風呂」

「ごめ、熱中しちゃった」

「……お湯、入れ替えてるから」

「ありがと」

 急いで、風呂場に行く。お湯は、たまっていない。でも、バスタブに入った。

 風呂場の中で体育座りして、ひざのところまでお湯が来るのを待った。

 八代の下宿は、バスタブとトイレ一体型だった。彼のワンルームマンションでも風呂独立型だとはいえ、満々とバスタブに湯を満たしたことがない。

 そんな、みみっちい八代に彼は飽きたのかもしれない。新規出店のカフェに行きたくなっても、それが人の心だ。

 風呂は鏡張りだった。自分のボディを、八代は見つめた。美術学科の学生なら、ヌードも描く。男のヌードも描く。自身のヌードは、まだ描いたことがない。

 お腹は二段腹ではないし、お尻も、たれてない。胸は成長止まったけど。 

 全身映る鏡で、こんなふうに自分の体を見たのは、はじめてだった。

 

 風呂から上がって、八代はバスローブしか着る物がないことに気づいた。本当に今さら。

(これ、着るのか)

 それから、(下着、一度脱いだの履くのは、ちょっと)とか、(ムダ毛処理してない)とか、いろんなことが怒涛どとうのように押し寄せた。

(うわぁ、思いつきで誘うんじゃなかったっ)

 今さら。

 ついには下着は付けず、バスローブの胸元をきっちり合わせて着た。


「こん、こん。八代やしろさーん」

 ドアのノック音を、二家本の声で伝えられて、八代は飛び上がった。

「……静かだから。倒れてるのかと思った」


 二家本は、そっと八代の左腕をつかんできた。

 そのまま、ソファーに連れてかれた。

「無料飲料、冷蔵庫にあった。どれ、飲みたい?」

「お、お茶で」

 本当に、のどが渇いていた。

 隣の二家本を、ちら見すると、TVテレビのリモコンで、ニュースにチャンネルを合わせていた。

 報じられるのは、不幸なニュースばかりだ。


「……進級制作、進んでる?」

「あっ、うん。もちのろん」

「……」

 二家本が黙ってしまった。

 すーっと近づく気配が。

「ごめ、歯みがくの、忘れたっ」

 八代は20センチぐらい、飛びのいた。


「……八代やしろ。いつも、こんな感じなの」

 二家本は笑いかけている。

「気のすむまで磨いて来て」



 洗面所で八代が歯磨きをしている間に、二家本は部屋の照明を落としたようだ。

 八代は、ぼんやりとしか見えない部屋に、そろりと戻ってきた。

 二家本は静かだ。眠ってしまったのか。それもいいか。

 ダブルベッドの端っこに、八代はすべり込んだ。

 掛け布団の布地が冷たくて気持ちいい。

「……そんな端っこ、寝てたら落ちるよ」

 二家本の声がした。


「寝てなかったんだ」

「女子、目の前に眠れるわけない」 

 あっという間に組み敷かれた。

 二家本の顔が近づいて来て、唇を。

「……ミントの香り」 

 それから、胸を。 

「……待たせるから」

 右足を持ち上げられた。


「あ、あの」

 八代が、はじめてじゃないとわかっているからか、遠慮がない。

「二家本君、ヒニンって知ってるよねっ」

「……しょーがくせい小学生じゃないよ。3年生のオネエサン」


 ベッドサイドにあるだろう、それを八代は探そうとする。

「……自前の、ある。ラブホの備品は信用するなと、じぃちゃんの遺言だから」

「笑うとこ?」

「余裕ない」  

 二家本は、もう八代に、あてがってきていた。

 八代の身体からだが大丈夫と言ってしまっている。 

「……」

 二家本の声が。かすれていて、聞き取れない。



 そういえば、八代は二家本の声が好きだったのだ。

 ぼそぼそと何言ってるかわからないぐらいのトーンで話す二家本。

 絶対、フレッシュな新卒のスーツのCMには起用されない二家本。





 あ。


 二家本は、どこで、そんなことを覚えたんだろう。

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