「ね、もえ

 そして彼は、やたら、べたべたとしてくる。


 この週末は、八代やしろのアパートに彼が来ていた。

 まだ、日が暮れていなくてカーテンを閉めた。

 部屋付きのシングルベッドは意外と丈夫で、きしみもしない。ただし、壁は薄そうで、いつもTVテレビをつけている。

 まだ明るい内にというのが彼は、たまんないらしい。


 二人きりで会うようになったら、そういう階段があるかのように、1回ずつ、キスから挿入までの階段を慎重に上った。

 彼も八代も、ハジメテで。


 『今度会うときは、次の段ですね』って、暗黙の約束を交わしている二人は、会う前から緊張で手のひらが汗ばんでいた。

 今、思えば、かわいい。


もえ……」

「……ん」

 八代は後頭部を、ぐっと彼に抑えられた。 

(……っ)


 でも、まぁ、彼が満足してくれることは、やぶさかではない。  

 そのあとは、TVテレビ観ながら、ご飯食べてというのが最近のデート。風呂に入ってから、近くの吉野屋きちのやに行く時もある。そこの店舗は最近全面改装して、ちょっとカフェっぽい。吉野家きちのやだけど。


 TVテレビでは、ハローウィンのシーズンを迎えたテーマパークの特集をやっていた。 


「ここのハローウィンイベント、まだ行ったことがないんだよね。行ってみる?」 

 ひとり用の足折れテーブルの前に体育座りした八代は、ベッドに背中をもたれさせ、脚を伸ばしている彼を横目で見た。

「ちょっと課題が立て込んでるからなー。余裕なくってさ。あ、萌の誕生日に、行こっか。クリスマスイベントになっちゃうけど」

「ありがと」

 八代は、やさしい彼に満足したのだ。 



 その彼の、まさかの浮気だった。 

 八代が、久しぶりに行った彼の下宿。コトのあと、彼は風呂に入っていた。

 彼の下宿はトイレと風呂が別々の、大学生の下宿としては、よい価格のワンルームだ。

 くしゃみが出そうで、八代がティッシュボックスのティッシュを取ったら、最後の1枚だった。

 買い置きは、いつも作り付けのクローゼットの上に重ねてある。ティッシュの箱をあわてて取ろうとして、ばらばら、何個か落としてしまった。

 拾い集めて戻そうとしたら本棚の上から、何かのチケットがのぞいているのが見えた。


 それは魔が差したのだろうか。神のお告げだったのだろうか。

 八代は、そのチケットに手を伸ばし、見てしまった。

 それは、さっきTVテレビで特集していた、テーマパークの1デイパスポートだった。それも2枚。今度の連休初日の日付だ。

 八代は、あわててチケットを本棚の上に戻した。ティッシュボックスも戻した。


 そして、彼が言い出してくれるのを待った。

「今度の連休、テーマパーク、行かない? チケット、もう取ってあるんだ」って。

 しかし、彼は言い出さなかった。


「……今度の連休、どっか出かけよっか」

 八代は、さりげなく言ったはずだ。

「あー、課題で忙しくて。ごめん」

「そう……。あ、ごめん。使い切っちゃった」

 ティッシュの空箱を今気がついたというように、八代は片手でゆらした。

「持ってくるっ」

 彼は、ばっと立ち上がって、本棚の上のティッシュを取りに行った。


(……誰と、テーマパークに行くんだい?)

 妄想で取り乱すのは、いけない。

(友だちと?)


 なら、なんでペアチケット。

 なら、なんで八代に言わない。



 そのうち、どんどん、彼との家デートの間隔は開いていった。

 季節が夏から秋へ変わる頃だった。

「他に好きなコ、できた」

 彼は、吐いた。インカレサークルに新しく入って来た新入生と、仲良くなったんだって。そんなつもりじゃなかったんだけど、向こうから告白されたんだって。八代とも、インカレサークルで意気投合したんだよね?

 別れに至る階段があればマニュアル通りの、下り方だ。

 それも、八代の誕生日の1ケ月前なんて。6月の彼の誕生日は、八代はイタリアンの店、予約して皮の小銭入れ、プレゼントしたのに。

(おまえにとって、コスパよ過ぎるだろ)


 八代は最悪な気分だった。

(私は付き合っている人いたら、告白されても断るけど!)


 残酷なのは友人経由で、彼が何て言ったのか知ってしまったことだ。

「今カノ彼女の方が、イイんだよね」


 そんなとこか。死ぬまでシてろ。


「経験豊富な彼女のようで、イイんじゃない? 彼も、ハジメテ君で、つたなかったし」

 八代も、彼と共通の友人にディスっといた。

 浮気者の烙印は押してやる。絶対、あとで泣く目に合え。でなかったら、こっちが浮かばれない。

 八代の誕生日は、大学の実技室で課題と格闘していたら終わった。ある意味、美大生としては正しい生活だ。

 この分ならクリスマスも新年も、課題、バッチコーイ、だ。



 そんな冬のはじまりに、また、〈美術研究所OBの集い〉があった。

 散会して、黄葉した銀杏並木の下で二家本にかもとを見た時、八代の気持ちの箱のフタが開いた。

(てゆうか、もう何の遠慮も、いらないじゃん)


 歩道の人通りが切れた。

二家本にかもと君、私と付き合わない?」

 さらりと言ってみた。どうして、好きです、付き合ってください、じゃなかったんだろう。

「……」

 二家本は、いつも反応が遅い。不安になる遅さだよ。

「……八代、彼氏、いなかったっけ」

 やっと、口を開いてくれた。

「いなくなりました」

「……捜索、しないの」

「ふ。二家本にかもと君の冗談て、笑うの迷う」

 昔も、そうだったなぁと、八代は懐かしかった。


「……落ち込んでんの?」

 二家本の目が、こちらを探っている。体温は、1℃だってあがっていないのが、わかった。これはムリだ。恋に持ち込むのは、ムリだ。八代も直感が鋭いから。


 どうしよう。でも、言ってしまった。引き返せない。

「――今日は、帰りたくない気分です」


「……」

 少しだけ、二家本がゆらぐのがわかった。

「――女子が帰りたくないって言ったら、帰さないもんでしょ」

 ネットカフェで過ごそうと言ってるんじゃないってことは、いくらなんでもわかるだろ。

「今日は帰りたくない気分なんです」

 さすがに二家本の目を見ては言えなかった。それでも、ダメ押し。


「――オレの下宿、許可なく異性泊めたら、退寮って知ってる?」

「誰が県人寮に泊まりたいって言った?」

 二家本は逃げようとしているのか。それならそれで、完璧にふられたってことだ。


「……ホテル、でいい?」

 二家本は、八代の目を見ていた。

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