恋は共有結合
真白 まみず
卒業。そして、新しい世界へ
「共有結合というのは要するに、互いの足りない部分を互いに補うために、お互いの持ってるモノを渡し合って結合することなんだ」
くだらない、高校の授業中。退屈そのもの。これを知ったからって僕の将来のなんの役に立つのか全くわからないようなことを、舌に油でも塗ってんのかよってぐらい饒舌に話す。あ、ちなみに、僕の人間性も退屈そのもの。もっと言うと、僕の人生も退屈そのもの。
高校1年生になっても、世界は何一つ変わっていなかった。
昔はよく、高校生になればもっと大人になって色んなことを〜なんて思ってたけど、期待外れ。
社会の仕組み。
学校の仕組み。
ご立派なことを語る先生達。
生を全うする義務。
友達の作り方。
休み時間の過ごし方。
呼吸の仕方。
何者にも成れない自分。
何も成せない自分。
ある意味期待通りだ。全部全部全部全部ぜ〜んぶが、同じ。
ただ唯一違うことがあるとすれば、中学校の頃にはなかったいい場所を見つけたこと。誰も所属していないらしい部活の空き部屋を、一部屋だけ、見つけた。ここ2ヶ月間毎日使っているのに、誰にも遭遇したことがない最高の部屋。
放課後、ただでさえ暑い上に湿ってきた季節に、むさ苦しい運動部の声が、学校という世界を支配していた。
その世界に一人、哀れにも紛れ込んでしまった文化部でも運動部でもない僕は、逃げるように例の部屋へ転がり込む。
これが日課。
いったい何をしているかというと、大抵は寝てるか携帯を見てるか、本を読んでいる。
今日もサイコーにテンションをブチ上げて一人楽しくお寝んねタイムと洒落込もうと、わざわざ持ってきたマットを引いて、ダイブをかます。
するとみるみる、暑苦しい運動部の声はBGMに変化し、僕の睡眠を見る見ると、促してくれた。
そうして僕は、意識をシャットダウンしていく。
「君、こんなところで何してるの?」
意識の闇の中で、聞いたことのない声が反響する。うるさい。もう少し、寝させろよ。
「ただでさえ狭いんだから、せめて座ってくれないかな?」
僕の頭の上に、人の気配を感じた。誰か、いる。夢か現実かわからないけどとりあえず目をあせてみると、そこには一面の、人間の顔。
「誰だよ」
「生きてたのか」
セミロングの髪をして、白衣を纏っているその女の子は、僕の顔を踏みつけるなりそう言った。
「死んでるはずないだろ」
「私は雨音。雨音心愛。心も愛も証明出来ないけど、化学部にいる。君は?」
僕の話なんて全く聞こうとせず、せっせとビーカーやら何やらを集めて、机の上に置き始めた。
「一年の、七条」
「クラスでも7番目みたいな顔してるし、似合ってるよ」
初対面で、あまりにも失礼な奴。
「ここにいるんだから、勝手に化学部と判断させてもらうね。Are you OK?」
手の平を天井に向け、僕に指差して挑発的に聞いてくる。何か足りないと思ったのか、ウィンクなんかを付け足して。
「というか待てよ。化学部って、ちゃんとした教室あるだろ」
ここは確か、心理とかそういう、もっと変な歩活のはず。
「そうだよ。私は化学部じゃない。自称化学部。化学なんてまるで興味ないからね」
「ならこのフラスコはなんだよ」
「あぁ、それは偽造用。前、化学部名乗ってるのに実験道具の一つもないのはおかしいって言われたから強奪してきた」
それでいいのかよ、なんてツッコミたいけどとりあえず無視しておく。多分、雨音に対してツッコミだしたらきりがないから。そんな予感がする。なんとなく。
「それじゃ、入部に当たってテストするね」
「強制?」
「Of course!」
どこからいつの間に出してきたのか、手に持つノートをペラペラ素早くめくったりなんかして、彼女はやる気満々。
「あ、これアンケートみたいなもんだから合格不合格ないよ」
なら、強制入部じゃないか。
「わかったよ」
「第一問。私に恋愛感情を今、抱いていますか?」
「いいえ」
「第二問。今までに彼女がいたことはありますか?」
「いいえ」
「寂しい人生だね〜」
目を見開きながら言うのが、本気で僕を哀れんでいると伝わってくる。
「うっせ」
「第三問。私のことを容姿的に可愛いと思いますか?」
「はい」
こんなぶっ飛んだ性格をしてる割に、顔はかなり整っている雨音。誰でも知ってるはずなのに知らないということは、それだけぶっ飛んだ性格なんだろうな、ということを予想付けさせてくれる。
「第四問。私の第一印象は?」
「イカれたやつ」
「今の印象は?」
あって10分くらいなのに、変わってるわけ無いだろ。いや、でも一つ、話していて気づいたことがある。
「目が死んだ人生に飽きてる奴」
僕と同じ目をしてる気がした。何事も退屈な、そんな目。
「おめでとう!君は合格だ!今日から私の実験パートナーだ!」
「そんなの望んだ覚えないんだけどな」
「これは決定事項だから。残念だったね」
あ、今の印象にもう一つ加えよう。話を聞かない奴。
「それで、何するんだよ」
僕が聞くと、雨音は僕の手を取り、自分の胸に押し当てた。微かだけど、柔からさと、心臓の鼓動を感じられる。
「おい」
「私、生きてるよね?」
神妙な面持ちで、でも薄く笑って、雨音が言う。だからなんだか僕も、動揺が消えた。心臓の音は、変わらずうるさいけど。そして雨音の心臓の音も、うるさい。なんだよ雨音。お前も緊張してんのかよ。
「生きてるよ」
「私、心臓の持病でね。卒業出来るか、わかんないんだ。でもそれがさ、怖いとか、思わないの」
「いいのかよ僕に、そんなこと話して」
焦るとか、驚くとか、そんなことよりもっと先に、気になることがあった。
「いいんだよ」
「それで、実験と、何の関係があるんだよ」
「生きる力の源は、心にあるって言われてる。生きたいっていう気持ちが強ければ、生きられるって。でも、ね。私は誰を愛したこともないましてや、恋なんて、したことない。そんな私に、心なんてあるのかな」
「そんなこと、わからないだろ」
気になってること。それは、この話をし始めてから、死んでいた彼女の目が、生き生きし始めたこと。水を得た魚なんてモノじゃない。生と死のルーツを知ることができた脳科学者のよう。
「恋はね、共有結合だと思うの。私達みたいな同じタイプの人間が、お互いにないところを出し合って安定して、人間の形を保つ。そうすることで、私達の一部を共有することで、愛し合えると思うんだ。だから私の仮説があってるか、検証するの。そして七条に、大事なお約束がある」
「なんだよ」
「私に全力で恋してほしい。でも、私を恋させないで欲しい。でもでも、私に構って。私を呼んで。私のことを、大切にして。その代わり私は、等身大のラブで、七条君を受け入れるから」
えらく、傲慢。いや、傲慢すぎる。雨音は恋せず、僕は恋しろと言う。決めつけられた片思い。周りに知られれば終わりの、ある意味デスゲーム。
「これはゲーム。卒業までに、私が君に恋しなかったら私の勝ち。勝敗がわかったとき多分、私はこの世にいない。もし私が惚れたら、私の負け。七条君と一緒に、このくだらない世界を共有して、生きてくことにする」
これでどお?なんてサラッと笑顔で聞いてくる。雨音の言ってることはつまり、今はサラサラ、生きる気がないということ。
「いいよ。乗ってやる」
「なら、早速今から勝負開始。手段は選ばなくていいよ」
「惚れたって、知らないからな」
「You can try〜!」
「そんな感じで始めたんだっけ」
「忘れてた?」
卒業式前日、高校一年生のときに始めたゲームの起源を今、思い出しに来た。
「いや、覚えてた」
「結局、私達、引き分けだったね」
僕の背に、雨音が前のめりにもたれる感触がする。今やもうそれは、振り返らなくてもわかるぐらいに、慣れ親しんでいた。
「恋は共有結合、だったな」
「そうだよ。ほら、今も共有してる。七条君に足りなかったところが、私で埋められてる。能力も、記憶も、感触も、感情も」
そう言う雨音の顔が薄く笑ってるのが、見えた。だからそうこれは、いい思い出なんだ。
「雨音にも心、あったな」
「そうだね」
「ちゃんと、人を愛せる人間だったじゃないか」
「ううん。それは、違う。君と一緒にいることで足りないところを共有されて、愛せる人間になれた。心を持てた。人を愛することで、私はちゃんと自分の意思で動く人間なんだって、私は私っていう人間なんだって、気づけた。だから、なんだろうね」
「前にもそんなこと、言ってたな」
「告白のときだっけ?」
そうして感傷に浸っていると、夕方になっていた。そろそろ、こことも、雨音ともお別れ。
「そろそろ、時間だね」
何かを悟ったように、雨音が言う。
「そうだな」
一つ寂しく残ったフラスコを手にとったものの、持って帰った後に何も残ってないこの部屋のことを想像して、元の場所に戻した。
「じゃあな」
ドアを閉めると、現実世界に引き戻された。静かな、夕日が差し込んでいるだけのなんの変哲もない、廊下。寂しく続いているそれは、これからの不安のよう。
「七条君!」
大きな声がしたような気がして振り返ると、現実世界にまで飛び出してきた雨音が手をメガホンのようにして、僕に向かって叫んでいた。
「この先で、私は待ってるから!」
「七条君なら、出来るから!」
何が出来るとか何が出来ないとかわかんないけど、それでも雨音の言ってることがわかるような気がする。僕はこれから、一人の世界で生きていく。共有された雨音の一部と共に。
「大好きだよ!新しい世界へ、行ってきて!」
「それでも僕は……」
行きたくない。
正直、行きたくないんだ。
ずっと雨音のそばにいたい。
雨音に依存していたい。
辛いこと、悲しいこと、現実から逃げたいこと。それ全部を、雨音に投げ出したい。
ぐっと涙腺を引き締めて、雨音のいる方を見つめる。
「それでも僕は、君を愛してる」
雨音への愛は本当で。
僕の心は存在していて。
雨音に教えられたこと。
雨音と共に得たこと。
雨音に僕が与えたこと。
それ全部をひっくるめて、生きていく。
ここに雨音を置いていくのは辛いけど、行かなきゃ行けないんだ。
「またね!」
雨音の声が後ろでそう、消えるように響いた。
恋は共有結合 真白 まみず @mamizu_i
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