第20話 本心

 走って自宅に戻り、本日の売上金を金庫へしまい、また外へ飛び出す。

 リラとノアの借家は近い。ここまで近いなら隣でもよかったのでは? と思うのだが、ノアが頑なに『距離が愛を育む』とよくわからないことを訴え、五軒隣に落ち着いた。

 でも焦っている今は、この距離がもどかしい。


「リラ、どうしたの?」


 扉に取り付けられた白い魔法石を押しながら声をかければ、ノアがすぐに顔を出した。

 思っていたよりも彼の声色は明るい。笑顔でもある。だから拍子抜けしそうになるも、やはり目は少し赤く、泣いていたことがわかった。


「話したいことがあるから、入れてくれる?」

「あ、もしかして泊まりに来てくれたの?」

「なんでそんな話になるのよ!」


 いつも通りすぎるノアに声を荒げるが、彼の家に明かりが灯っていないことに気付き、思わず手を取った。


「何?」

「無理、しなくていい。今日のこと、知ってるから」

「……誰から聞いたの?」


 魔法で明かりを灯しながら、ノアがリラを招き入れる。

 彼の家は白が基調だが、家具などにはやはり、黒や深い藍が差し色で使われている。ここまで徹底しているのはすごいなと、幼なじみ馬鹿の暴走に対して、ただただ感心している。


「今日ね、私のところに、ノアが担当していた患者さんの、お母様が来たの」


 案内された長椅子に腰掛けながら話せば、ノアも勢い良く座り、歪な音を響かせた。


「なんで? どういうこと?」

「クロエさんはね、明日を占いに来たの。理由は、ターニャと一緒だった」


 リラの言葉が引き金となったように、ノアがさらに距離を詰めてきた。


「まさか、そんな。リラ、今日はもう休むべきだ。一人になるのも――」

「落ち着いて。私は大丈夫。クロエさんも大丈夫だから。あと先に伝えておくわね。『娘の決断を見届けて下さり、心から感謝しています』って、もう一度伝えてほしいって、言っていたのよ」


 取り乱すノアの頬を両手で挟み、しっかりと目を合わせる。

 そのまま、彼の返答を待たずに言葉を紡いだ。


「ねぇ、黙ってるなんて、酷いじゃない」

「それは、その……」

「気持ちは嬉しい。でもね、私は頼れない? 私だってノアのこと、大切なのに。お願いだから、一人で抱え込むのはやめてよっ!!」


 視線を泳がすノアへ、リラは思った以上に大声で訴える。不安なのだ。ターニャのように、また自分が知らない間に悲しい決断をされてしまうことを。

 ノアに限ってそれはないと思いたい。それでも、絶対なんてこの世に存在しない。


「ごめん。泣かせるつもりはなかったんだ」

「なに、言って……」


 ノアの両手が、リラの頬を優しく包む。彼の親指が目元をなぞり、そこで初めて、リラは自分が泣いていることに気付いた。


「リラの傷を、これ以上深くしたくなかった」

「それは、私だって同じなのに。私を優先しないでよ。辛いのはノアなのに。ターニャと同じこと、しないで……!」


 まぶたをきつく閉じる。こんなことを言うつもりではなかった。ノアにもっと寄り添いたかった。それでもくすぶる怒りが言葉になってしまう。


 今日、たくさんターニャを思い出した。だからクロエさんに対して、あそこまで言えた。

 ずっと、後悔していたから。

『私は諦めない』って、言えなかったことが。

 きっとターニャは、私やノアの反応を予想できていた。

 だから、何も教えてくれなかったんだ。


 幼かった自分を、今でも責めてしまう。

 ターニャは同い年なのに、もっと先を見ていた。

 それが悔しくて、今まで言えなかったことを声に出した。


「私が、ターニャを殺した」

「リラ!! それは違う!!」


 ノアの手に力が入り、リラは目を開く。

 眉を寄せる大切な幼なじみの瞳からは、涙がこぼれる。

 だからリラの視界もぼやけた。


「違うけど、違わない。私があの時、ターニャより絶望しなければ、諦めずに何度でも占ったのに」

「無理だよ、そんなの。大切な人に呪いが、なんて知ったら、正気じゃいられないよ」

「それでも! それでもターニャは、自分だけで解決してしまった。何も、させてくれなかった」


 涙があふれすぎて、お互いの手で拭いあっても追いつかない。

 けれど今は、こうして触れていたい。目の前に生きる大切な存在を感じたい。

 ノアもそうであってほしいと、なぜか願ってしまう。 


「国に報告すれば、もっと穏やかに終わることもできた。なのにそれをしなかったのは、神と悪魔の耳を使われたくなかったとしか思えない」


 だからきっと、ターニャは――。


 言ってはいけないことかもしれない。

 でもノアに伝えたかった。

 彼だけには、リラの考えを知ってほしかったから。

 それを、ノアも気付いたのかもしれない。

 輝く碧の瞳がリラだけを映していたから。


「ターニャは、生きたいって、思っていたはず」


 リラを苦しそうに見つめていたノアが、僅かに目を見開く。傷付けたかもしれない。それでも、止められなかった。


「ターニャはいつも明るくて、優しくて、誰かが悩んでいると寄り添って、前を向かせてくれる子だった。そんな彼女が自分の願いを、諦めて、まで、残される人、の、ことを」


 もう、言葉にならなかった。

 今となっては、真実はわからない。それでも、ターニャとはそういう子なのだと、リラは知っている。

 だから、ターニャが呪いと向き合った結果、何もできなかった時のリラやノアのことまで考えて逝ってしまったのではないかと、予想がついてしまった。


 謝り続けても、過去には戻れない。だからこの気持ちはどこへ持っていけばいいのか、わからないままだ。

 そんなリラを、ノアが抱きしめてきた。


「僕も、同じことを考えていた。だからね、リラだけが苦しむ必要はないんだ。僕も、ターニャを殺してしまったから」

「そんなことあるわけ――!!」


 自分の言った言葉をノアが伝えてきたことに、悲しすぎて怒りが膨れ上がる。だが、ノアも同じ気持ちになったのかもしれないと、ふと頭をよぎる。

 それでも腕を振り解こうとリラが動けば、さらに抱きしめる腕に力を込められた。


「聞いて。僕は神の手だ。それなのに、救えない命がある。そんなの、おかしい。おかしいんだよ。どうしてなんだって、ずっと、悔しくて。だから、それを誤魔化すように、医師をしているのかも、しれない。一人でも多く救いたいって思いながらも、自分のために動いてるんだ」


 初めて聞いた、ノアの本心。

 いつも手術に対して自信が持てない彼は、ずっと悩んでいたのだ。

 きっといろいろな感情が渦巻いて、震えている。そんなノアの背中に手を回し、リラも抱きしめ返す。


「でも、それでも、ノアは立ち止まらなかったじゃない。医師を続けなくてもよかったのに。救いたいって気持ちがあっても、怖いことに変わりないのに。自分のためだっていいじゃない。それでも医師を続けるノアは、やっぱり立派な先生ね」


 震えが止まり、しがみついてきたノアが今、何を考えているかはわからない。それでも、彼をあやすように背中をとんとんと叩く。


 昔から泣き虫なノア。どうしてそんなに泣くのだろうと思って、両親に聞いてみたことがある。

 その時、命を救うことは命を消してしまうこともあると教えてもらった。

 あの時はあまりわからなかったが、自分の力が元気にする時もあれば、二度と会えない星にしてしまうこともあると説明され、リラもその日は泣いた記憶がある。


 だから次の日、ノアを励ました。悪魔の目が使えたらもっとよかったのに、自分が言った言葉は現実になると信じて伝えたことを思い出す。あまりにも純粋で無責任だが、ノアは本当に立派な医師になった。それは彼の努力の賜物なのだ。


 だからリラも、本心を告げる。


「私は立ち止まった。未来を視るのが怖くなった。だからね、呪いの始まりが見付かりやすいようにとか、大層な理由まで考えて、明日までしか視ない選択をした。もっと先を視れば、死の色が視える確率が高くなる。それが怖い。でもここで占術師すら辞めたら、ターニャに顔向けできないなんて、ターニャのせいにして。情けないでしょ?」


 ずっと言えなかった。

 ターニャを大切に想いながら、ターニャに酷い仕打ちをし続けていることに。彼女はそんなリラを見て、何を思うのだろうか。

 けれど考えに耽るリラを、ノアが優しく引き剥がした。


「それこそ、リラもだよ。そんなに怖いなら、続けなくていいんだ。それでもこうして占いを続けてる。それにリラだからこそ、救えた人もたくさんいるんだ。だから、情けなくなんかない。リラも立派な占術師だ。そんなリラが、僕は大好きだよ」


 涙はいつの間にか止まっていたが、潤んだ瞳を通して見るノアの微笑む顔に、どうしてか胸が高鳴る。


 けれどこの関係は、傷の舐め合いなのかもしれない。

 それでも、こうしてお互いを大切な存在として認め合える関係が心地良い。

 だからずっと、この関係は変えたくなかった。

 幼なじみでいるからこそ、ターニャのことをいつまでも忘れずに済むような気がしていたから。

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