第19話 ノアの記憶
明かりをつけないまま自室の長椅子へ寝転んでから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。花祭りで賑わう町の喧騒を遠くに感じながら、ノアは伊達眼鏡を外して目を閉じる。
原因は違えど、今までも見送ってきた。
でも、慣れることなんてない。
これだけはずっと変わらないだろう。
礼を言われる立場ではないのに、患者の母親から頭を下げられた。
助けられなかった。
何が英雄の子孫だ。
神の手なら全てを救わせてくれ……!
思わず握りしめた拳を、自身の額にぶつける。
『あたしの父も、同じでした。だから、この姿をこれ以上、母に見せたくないんです。母はずっと苦しんできました。だから、辛い思い出を増やしたくないんです。でも、母への気持ちは内緒にして下さい。母に知られたら、きっと自分を責めてしまうから』
患者の最後の願いを思い出す。
どうして人は終わりを見つめながらも、こんなに強くなれるのだろうかと、目頭が熱くなる。
情けない。
何もできなかった僕が。
今もこうして、動けない僕が。
呪いの経過は知っていた。
記録されたものもある。最後に立ち会うこともあった。けれど、担当した患者に呪いが発現するのは初めてだ。
治療法が見付かる未来は、リラの父親でも視えなかった。それでも諦めたくはなかった。けれどその想いすらも奪うように、呪いの進行は早かった。
いったい、いつになったら呪いは消し去れるんだ?
治療法が見付かったとしても、呪いが発現した別の者には効かない。同じ呪いではないのか? と考えたこともあるが、やはり始まりは風の音。いつから? と尋ねても、はっきりと覚えている者がいない。
それはターニャもだった。
『今年の花祭りからって、朝から? 何かきっかけがあったりしない?』
『覚えてなくて……。気付いたら、風の音がしていたんだ』
呪いの始まりを知ることが解決に繋がるかもしれないと、ノアも考えていた。だからリラを応援しているし、止めたいとも思ってしまう。
リラはまだ、受け止められないだろう。
もしまた結末だけ視えて何も治療法が見付からなかった時、その度にターニャを思い出して傷を深くする。
でもリラは自分の感情には鈍感なところがある。
そうやって心を守るしかなかったんだろう。僕はそんなリラのそばにいることしかできない。
だから、今までの傷を一度に受け止める日が来たら、今度こそリラの心が壊れてしまうかもしれない。
『またねって、言ったのに。わた、しが、私が、未来なんて視たから』
ターニャの両親から聞かされた、自死の情報。残されていた遺書。それを知った時の、リラの言葉が忘れられない。
ターニャの自宅は外側に近く、リラと一緒に途中まで送っていった。いつもなら家までついて行くのだが、花祭りの最後の日だけはターニャにお願いされたのだ。
『今から話してくる。でもね、二人が一緒だと、泣いて話せなくなるかもしれない。だから、ここまででいいよ』
『未来は、ちょっとしたことで、変わるから』
『リラの言う通りだよ。だけど僕たちは変わらずに、ターニャのそばにいるから』
『……そうだね。未来は変わる。それに二人が一緒だと思えば、怖くない』
あの時のターニャの言葉は、嘘じゃなかった。
でも僕たちの言葉は、最後へのひと押しをするために伝えたものじゃなかったのに。
ずるりと、額に当てていた手が滑り落ちる。
過去の絶望が身体を支配したように、力が入らない。
『最初に聞いてくれてありがとう。それじゃ……、またね』
これが最後の言葉だった。
この後ターニャの母親から、『ターニャが帰ってこない』と連絡が入り、リラと一緒に必死に探した。
しかし、森の中にあるたくさんの花が生息している場所で、ターニャは風魔法を使い、命を絶っていた。
あの時と同じだ。
命を絶つ選択をさせるために、僕たちは存在しているわけじゃない。
だから、立ち止まるわけにはいかない。一人でも多くの命を救うべく、ノアは自身の力を使い続けると、再度誓う。
しかし、手の震えが止まらない。
命に手を出す行為は、寿命を縮める行為でもあるのを、ノアは身をもって知っているから。
けれどこういう時、大切な言葉がいつもノアの心を包んでくれる。
『だいじょうぶ。ノアがこんなになきむしなのは、やさしさがなみだになってるからだよ。だからずっとそのままでいいんだよ。リラにはね、ノアがりっぱなせんせいになるみらいがみえてるんだから! こんなにやさしいせんせいなら、みんなあんしんだね!』
リラ……。
幼い頃から、命について教えられていた。まだよくわからないながらも、自分の行動がその人の生き死にに繋がることだけは理解していた。
それがものすごく恐ろしく、泣くことが増えていた時期がある。
そんな時、リラが励ましてくれた。彼女はまだ悪魔の目を使ってもいないのに、笑顔で断言してくれた。
この時から、ノアはリラを想い続けている。
会いたい。
今、何時だ?
力が戻り、身体を起こす。
リラのことを想うだけで、ノアは立ち上がれる。まさに彼女は女神だ。でも、ずっと自分だけの女神であってほしいと、願い続けてもいる。
その想いが届いたのか、愛しい人の声がした。
「ノア、いる?」
本当に、リラは僕の心を離さないな。
来客を知らせる訪問音がリラの声を遮る。それが煩わしく、ノアは玄関へ急ぐ。
『ノアはさ、そのままでいいんだよ。詳しいことはよくわかんないけど、ノアだって普通の男の子だもん。その好きって気持ちは、素直に表現していいんだよ』
一時期悩んていたこともあった。
神と悪魔の力を持つ者が惹かれ合うなんて、前例がなかったから。どうにも仲間という意識が強いらしく、恋仲に発展しにくいのも理由ではあるようだが。
それをターニャに相談すれば、彼女は普通の人間としてのノアへ、困る様子も見せず答えてくれたのを思い出す。
だから笑顔で、リラを出迎えることができた。
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