第18話 クロエ④
「今からは、前だけを見ていて下さい」
「いえ、もう、占いは……」
動揺したのか、目を逸らされる。きっと今、クロエの未来は変わりつつある。そう信じて、リラは話しかけ続ける。
「私たち英雄の子孫と呼ばれる者の力は、この世界に生きる全ての者を守るものです。ですので、自ら命を絶つと宣言する方をこのまま帰すわけにはいきません」
いざとなればリラは家族に連絡し、国で保護するように進めることもできる。でもその前に関わりを持ったリラだからこそ、出来ることをするのだ。
命より大切なものなどない。
生きる人のために国があるのだ。
だからリラは、本来の力を使う決意をした。
「そう、ですか……。でも、私の覚悟は変わりません」
「それでも構いません。では、そのままで」
弱々しい声に力が戻れば、クロエは背筋を伸ばした。
そんな彼女の真っ直ぐな視線を受けながら、リラは呪文を唱える。
「
水鏡、そして銀の首飾りの封具が黒の霧になり、リラの身体に溶け込むように戻る。
クロエさんの明日を映し出せ。
「
普段は力を抑えることで、限定した未来だけを視る。
けれど封具を通さずに力を使うことで、あらゆる可能性のある未来を一度に映し出す。
「何度でも言いますが、私の覚悟は変わりません」
リラとクロエを隔てるのは、大きくて丸い黒の鏡に見えるもの。未来の色で染まる欠片が形を成した姿だが、その向こう側からクロエの声が響く。けれどリラは、光を探し続けた。
「それでも、私は諦めません。クロエさんは私の中に、あなたの大切な家族の記憶を残そうとしましたよね?」
長く話したことには意味がある。そこから予測できたものを伝えていく。
その間も、目はいつも以上に熱い。けれど、黒が動いた。それを見逃さず、リラは喋り続ける。
「クロエさんは気付いていますよね? 自分の中に大切な人たちが今でも生きていることを」
クロエの息を呑む音と、きらりと光るとても小さな輝きを見付けたのは同時。
だからリラは、クロエの心を刺激する。
「もし明日、クロエさんが消えてしまったら、大切な皆さんも消えてしまう。もう覚えているのはクロエさんだけの方もいるでしょう。それでも、本当にその選択でいいのですね?」
無理やり生きさせようとするのは、エゴでしかない。
それでも生きてほしい。生きていればまた、光が差す。
クロエが見送った人たちも、それを望んでいるはずだから。
「でも、もう、苦しみたくはないのです」
か細い声が聞こえる。クロエには支えがないのだろう。けれど星が瞬くように、欠片が増える。それらが集まり、明日を映し出す。
まるで本物の万華鏡のように、未来が変わり続ける。
「よく視て下さい。クロエさんは一人ではありません。今は苦しくとも、寄り添ってくれる方はこんなにいます」
「それでも、家族は……」
「その苦しさの中には、愛おしさもありますよね? そのどちらの想いも、ご家族との繋がりになる。クロエさんが思い出す度に、皆さんがクロエさんを見守っていることを、思い出してあげて下さい」
リラは沈黙したクロエへ、彼女が歩き出せるようにと願いを込めて、言葉を送る。
「クロエさんがご家族の幸せを望んだように、皆さんもクロエさんの幸せを望んでいるでしょう。今までの幸せも、これからの幸せも、誰かを犠牲にして成り立つものではありません。ですからどうか、幸せになることを恐れずに生きて下さい」
クロエの嗚咽が聞こえる。けれどリラの目の前には、黒が存在しないほど輝く未来があふれている。彼女の中で生きたいと思う気持ちが優ったのだ。
それに安堵し、リラは力を封印する。
久々に全力を出したからか、目が痛む。けれど、いつもの位置にある封具の存在を確認し、立ち上がった。
「また悲しみに囚われた時は、ここへ来て下さい。クロエさんの本当に望む未来が見付かるまで、いくらでも占いますから」
本来なら、心の傷は神の目に任せればいい。けれどクロエの場合、誰かに頼ることが難しいだろう。だから、彼女が話しやすいであろう事情を知るリラを選べるように、少々強引な言い方をした。
そのまま、リラはクロエのそばへと近付けば、涙を拭い終えた彼女も立ち上がった。
「……リラさんの中にも、大切な方がいるのでしょうか?」
「はい。私の中にも、生きています」
「だから、ですね。リラさんの声は確かに、私の心に届きました」
クロエの労わるような眼差しに、リラも穏やかな表情で応える。
「ここへは、自分がちゃんと命を絶てるのか知りたくて、来たのです。中途半端なことになれば、周りに迷惑をかけてしまいますから」
クロエは懺悔のように話し続けるが、目にはちゃんと光が宿っている。けれど、ここまで他者を気にかけ続けるクロエが心配でもある。その考えが今後も彼女を追い詰めなければいいと、切に願う。
「そして、ノア先生のお知り合いと知って、ここへ来たのもあります」
「ノア、ですか?」
急に幼なじみの名前が出て、リラは続きを促すように尋ねた。
「はい。娘の担当はノア先生でした。今日まで、とてもよくしていただけました」
ノアはずっと、私に黙っていたの?
クロエの声が遠く感じる。
ノアもまた、無力さを感じたに違いない。リラと違い、ノアはたくさんの命を見送る側でもある。
けれど、呪いの犠牲になった者の終わりを見届けるのは初めてではないだろうか?
それなのに、リラには何も言わなかった。それはターニャを思い出させるからだろう。そんな優しさを向けてくるノアが、どうしようもなく許せなかった。
きっと今、彼は一人で泣いているだろうから。
リラに静かな怒りが宿れば、クロエの声がはっきりと聞こえた。
「そして娘を天へ送った後、他の先生方がリラさんについて話していまして……」
穏やかに話していたクロエが、表情を曇らせる。その原因がリラには予測できたので、「気にせず続けて下さい。言われ慣れているので」と笑ってみせた。
すると、クロエは気遣わしげに口を開いた。
「それが、『ノア先生の幼なじみの悪魔の目が少しでも先の未来を視てくれれば、もっと早く動けたかもしれないのに』、『ノア先生も病院から近いからって、なんで明日までしか視ない占術師の元に通うのかね?』と言っていたのが聞こえてしまって」
そう言うでしょうね。
不確かなことを嫌う医師は多い。だから悪魔の目に頼るのを嫌がる人もいるのは知っている。
けれどそれでも頼る場合、リラの存在は最も不適切だ。でも自分には理由がある。だから何を言われても文句はない。
なので表情を変えずに頷けば、クロエはさらに申し訳なさそうに、続きを紡いだ。
「その方たちから、こちらの場所を教えてもらいました。そしてお恥ずかしながら、私のやり場のない怒りをぶつけに来た、というわけです。夫を見送った時、悪魔の目でも呪いを見付けられないと説明をされていたにも関わらず、ご迷惑をお掛けしました」
頭を下げるクロエの肩に触れれば、彼女は顔を僅かに上げた。なのでリラは謝罪はいらないとして、首を横に振った。
「今日、ここへ来ることができて、救われました。私の声を聞いていただき、感謝申し上げます。そしてノア先生にも、娘の決断を見届けて下さり、心から感謝していますと、再度お伝え下さい」
姿勢を正し、目を潤ませるクロエへ、リラは微笑む。
「必ず伝えます。クロエさんがこうして私のところへ来て下さったことに、感謝します」
きっとまだ、たくさんの涙を流すであろうクロエを励ますように笑顔で見送り、リラは急いで店じまいを始めた。
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