第17話 クロエ③

 ごくりと、リラの喉が鳴る。先ほどのクロエの告白よりも惨い事実が語られることを予測して。

 彼女は確かに『生きる理由がない』と言った。

 けれども、それは神や悪魔が決定したことではない。そこまで操作されるように関与していると思いたくはない、リラの願いでもあるが。


「娘は父親が亡くなるまでの姿を見たことで、心に大きな傷ができてしまいました。それでも私に心配をかけまいと、明るく振る舞う優しい子でした。けれど二年前、大病を患いました」


 クロエは感情を抑えるように話し続けるが、瞳に宿る激情は消えない。

 そんな彼女の様子に、リラはいつの間にか自身の手をきつく掴んでいた。こんなことが本当に起こっていいのかと、その事実を握り潰したかったのかもしれない。


「それでも娘は、前を向いていました。娘には将来を誓い合った相手がいたので、耐え抜けたのでしょう。結果、病気は快復へ向かい、皆で喜びを分かち合いました。ですが……」


 ここで話が終わってくれればと、リラは天に祈りたくなった。しかし、クロエの瞳から涙があふれ、目を逸らすことができない。


「退院したら結婚する。その約束が成就する時がすぐそこまで、きて、いたのに。呪いが、娘を……」


 そんな……。


 嗚咽を抑えながら話すクロエの言葉に、耳を塞ぎたくなる。どうしてと、リラも神と悪魔に問いたくなる。

 これが試練だというのならあまりに酷いではないかと、叫びたくなった。


「この後、娘は、夫と同じ選択を、しました。姿は誰にも見られたくないと、言っていました」


 クロエは「失礼します」と震える声で言いながら、ハンカチを取り出した。彼女が涙を拭う間、リラの頭の中をターニャの遺書が埋め尽くす。


『わたしは、わたしのまま死にたい。破壊神の食べ残しなんて、言われたくない。だから、自分の命の責任は、自分で取ります。こうして終わり方を自分で決められたことが、わたしにとっては救いでした。だから誰も悪くありません。わたしに関わる全ての人が、どうかこの先も幸せでありますように。そして誰にも、呪いが降りかかりませんように』


 呪いはいつ、消えるの?


 終わりが見えない中、生き抜くことさえも許されない。

 しかも遺体は呪いの残骸破壊神の食べ残しと言われるほど、無残なものになる。加えて、神の慈悲の花を使用しても、修復しない。

 それを知っているからこそ、クロエの娘もターニャも、終わり方を決めたのだろう。


 幸せに生きることに、罪なんてあるはずがない。


 リラの答えは決まる。しかし許せない。何がではなく、全てが。

 そんなリラを、クロエがハンカチを下げ、睨みつけた。 


「どうして私ではなく、私の愛する者を苦しめるのでしょうか? これが幸せを感じた私への罰ならば、私は、この世界を創った神と悪魔たちを、許せません」


 当たり前だ。

 誰だってそう思う。

 だから私なのね。

 神と悪魔の力を持つ英雄の子孫も憎いはず。

 それなのに、どうして……?


 言い切ると同時にクロエの瞳から憎悪が消え、憂いが帯びる。

 けれどすぐに目を伏せ、まるで今の言葉に苦しめられるように、彼女は腕をきつく掴んだ。


「そのように思うのは、当然です。だからどうか、吐き出して下さい。この店をどうやって知ったのかわかりませんが、悪魔の力を持つ者として、クロエさんの気持ちを受け止めたいのです」


 もう、後悔したくない。

 そしてクロエさんには、生きてほしい。


 ターニャが全てを話さなかったのは、リラとノアを想ってのことだ。けれどそれが今でも許せない。自分の幼さ、無力さ、そして、愛されていたことが。

 だからクロエの声を聞きたい。彼女はこの状況なのにまだ抑え込もうとしている。そんなことをする必要はどこにもないのに。


「誰を責めても、変わらない。ならば恨まずに終わりたいのです。娘が消えてから時間が経っていない今だからこそ、なのです。時間が経てば、この感情に飲み込まれます。ですからこれ以上、自分の醜い感情に支配されたくないのです」


 想像できないほどの悲しみの中を生きるクロエの言葉は、あまりにも綺麗に思えた。ずっとこうして抑え込んできたのかもしれない。けれど、彼女は目を逸らさず向き合ってきた証拠でもある。

 だからこそ、リラは尊敬の念を抱く。


「……こんなことを私から言われるのは癪に障ると思いますが、私たちは皆、神と悪魔から創られました。ですから、正も負も、どのような感情が芽生えたとしても、不思議ではないのです。だからどうか、命を投げ出さないで下さい。誰もクロエさんが自ら命を手放すことを、望んでいません」


 こんな小娘に言われるなんて、きっと腹立たしいだろう。けれどこの言葉で、クロエが感情を吐露できればと、リラは祈りを込める。


「もう、私には誰も、いません」

「本当に? 普段挨拶する方も、買い物に行った先にいる店員も、クロエさんを知っている方も、誰もいないのですか?」

「それは……」

「もしいないと言うのであれば、ここにいる私がクロエさんのことを知っていると、お伝えしておきます」


 最後の言葉は依存させてしまうこともある。だが、今のクロエには必要なものであると判断し、伝える。

 そして目を見開く彼女へ、リラはさらに畳みかける。


「もう一度、占わせて下さい。クロエさんが本当に望む未来を、私が見付け出してみせます」


 人生は天気と一緒だ。

 けれどいつの日も、私の万華鏡カレイドスコープが曇ることはない。

 だから目を凝らせ。

 クロエさんが望むしかなくなった未来の陰に隠された、本当に望む未来の欠片を探し出せ!


『十五年後が知りたいんだ。わたしの願いが叶ってるか、気になって』


 ターニャは一度しか占えなかった。

 それは、リラが彼女の死に衝撃を受けたから。

 そして、その事実とまた向き合うのが怖かったから。

 だから、二度と同じ過ちを繰り返したくない。

 その想いが、リラの背中を強く押した。

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