第16話 クロエ②
「
音の届かない深海の中にいるような占術部屋に、リラの声だけが響く。
そして映し出されたのは、黒。他には何もない。
この色は……。
ターニャが視せてくれた、終わりの色。死の光景だ。
やはり予感は当たり、上手く呼吸ができない。だが、クロエの様子を見やる。
すると彼女は穏やかに微笑んでいた。
「何も見えないということは、私の未来はない、ということですよね?」
「確かに、そうですが……」
通常、生きたいと思う者はこのような発言をしない。回避するにはどうすればいいのかと、助言を求めるだろう。
しかしクロエは違う。もしかしたら、病気を患っているのかもしれない。でも、明日に終わりが来るなんて、断言できるものなどない。
だから、自ら命を終わらせようとしていると考えるのが妥当だろう。
「これで気掛かりはなくなりました。ありがとうございます。もう顔を上げてもよろしいですか?」
「大丈夫です。けれどこれは、本当にクロエさんが望む未来ですか?」
「はい」
少しでも揺らぎがないかと、変化を探る。しかしクロエの覚悟は変わらないようで、何も見付けられない。
「質問してもよろしいですか?」
「どうぞ」
「どうして、この未来を望むのですか?」
このまま会話を続ける。
その間に考えが変われば……。
クロエが決めたことに、知り合ったばかりのリラが意見を言える立場ではない。
けれど、生きられる命なら大切にしてほしいと、願ってしまう。それこそがクロエにとって負担になるのだろうが、それでも、リラは引き止めたかった。
「もう、生きる理由がないのです」
「詳しく教えていただいても、よろしいですか?」
「少し長くなりますが、聞いていただけますか?」
話を聞いてほしいのは本当みたいね。
聞かれたくない内容だから、最後の客かクロエに確認されただけかもしれないと、リラの中に予想が追加されていた。
しかし、戸惑うことなく口を開くクロエの様子に安堵しつつも、彼女から目を離さないように気を付ける。
何がきっかけで口を閉ざされてしまうかわからない。だから、聞く姿勢を崩さない。
すると、品の良い笑みを浮かべるクロエの瞳が、暗さを増した気がした。けれどそれは、彼女が瞬きした途端に消えてしまった。
今のは……?
宿った感情を理解する前にクロエが話し出し、リラは彼女の声に集中する。
「私には、家族がいません。いえ、家族がいなくなったと言った方が正しいです。幼き頃、両親と兄妹は他界しました。別の町へ向かう途中、馬車が魔物に襲われ、私だけが生き残りました。とても仲の良い家族でした。けれど、私だけが取り残されたように、生き残りました」
魔物は人を襲う。大抵は御者と一緒に傭兵も雇われる。それでも、こうして被害が出てしまう。
悪魔の手や悪魔の心臓が率先して倒し続けているが、存在を消し去れない。
何が英雄の子孫だと、リラは奥歯を噛みしめる。全ての人を救えるわけではない。それなのに超越した力を持つ自分が何もできない事実に、怒りが渦巻く。
「私はこの時、死ぬべきでした」
クロエの言い切った言葉に、リラは正気に戻った。
「そんなことはありません。生き延びた命を、そんな風に言わないで下さい」
「そうでしょうね。貴女なら、そう返答するしかないでしょうから」
クロエさんは、悪魔の目の私に用があるのね。
ひやりとする眼差しと、ちくりと胸を刺す言葉を与えられ、リラは気付いた。こうして最後にここへ来たのも、閉店時間を確認したからだろう。
それは、他のお客様の迷惑にならないように配慮した結果の行動。そこまでしても、今日、悪魔の力を持つ者に会いに来たのだ。
「私個人の意見も、変わらないです」
「そうですか。私もきっと、誰かから相談されれば、同じように返答するかもしれません。なので、続きを聞いていただけますか? 最後まで話し終えた時、リラさんの意見をお聞かせ下さい」
クロエさんの気が済むまで付き合うしかない。
そして私の意見は絶対に変えない。
たとえリラの想像以上の話を聞かされたとしても、揺らぐわけにはいかない。だからリラは、クロエの目をしっかりと見つめ、頷いた。
それを合図に、クロエがまた口を開いた。
「この後も、私の幸運は続きます。遠縁の者に引き取られ、何不自由なく育ちました。その土地で夫とも出会い、幸せな時を過ごしました」
言葉とは裏腹に、クロエの顔に笑みはない。
それでも彼女は姿勢を崩さず、リラだけを見ている。
「まるで、亡くなった家族の幸運を奪い実現したような、幸せすぎる日々でした」
そのような悲しい表現を選ばざるを得ないほど、今のクロエには希望がないのだろう。
その事実に、リラは胸を痛めるしかない。
それに、リラが発言するならば、全てを聞き終わってからだ。クロエが過去に思いを馳せるのを邪魔すれば、再度当時の記憶に深く潜らせることになる。苦しみの中にいる時間を少しでも減らすべく、リラも微動だにせず座り続ける。
「だから、罰が下ったのでしょう。全てが順調すぎて、気付けなかったのです。子を宿しにくい体だったとはいえ、娘を授かることができました。夫の事業も成功し、これからという時でした。夫から、『風の音が鳴り止まない』と言われたのは」
それは……!!
『ターニャ、いつから……?』
『……今年の、花祭りが始まった日から、だよ』
この世界に生きる者を脅かす、呪いの始まりの音。それが聞こえるのは、本人のみ。だから、気付いた時にはすぐに国へ報告する。
しかし最初は風の音が微かに聞こえる程度。鳴り止まないということは、最後の時が近い証拠でもある。
呪いの進行はさまざまで、すぐに命を落とす場合もある。
しかしどの種族でも、呪いが発現してから十三年以上は生きられない。これだけは未だ変わることのない事実だ。
「病気とは無縁だとばかりに思っていた夫の姿が、急激に変化しました。それを、娘も目の当たりにしました。結果、天へ送ってもらったのです。これ以上、娘の心に傷を付けたくないと、二人で話し合った結果です」
治療法は見付かったかもしれない。
でも、それを待てないほど呪いが進んでしまったのかもしれない。
けれど、自分ではなく残される家族のために……。
呪いは全ての英雄の力を使い、対処する。けれど、本人の心が折れてしまったり、クロエの伴侶のような事情がある場合、魔力を根こそぎ奪う、悪魔の心臓の力が適用される。
その際に、神と悪魔の耳で心の声を聞くので、彼女の話に嘘はないだろう。
けれど、自分の終わりを決めた時を聞かされるほど、絶望を感じる瞬間はない。
何のために、私たちは力を持ち続けているの?
そう、自身へ問いかける。
ずっと疑問があった。
なぜ破壊神を倒し役目を終えたのに、与えられた力が残されているのかを。
呪いに対して万能ならまだしも、防げない。それならそれぞれが持つ力の本当の使い道は? と、昔から考えていた。
けれどクロエの声に、リラは現実へ引き戻される。
「とても辛い決断でした。けれど、娘が私の生きる希望でした。だから今まで生きてこられたのです。けれど、神も悪魔も、まだのうのうと生きている私のことを、許しては下さらなかった」
ゆっくりと話し続けていたクロエの表情に変化が訪れる。
険しくなった彼女の瞳に激しい憎悪が宿ったのを、リラは確かに感じ取った。
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