第9話 花祭り前日

 入院生活は快適だったが、いかんせんお金がない。

 入院費は悪魔の目だからと、国が支払ったのも納得できない。こういうものは本当に必要な人へ与えるべきだ。

 けれど、不満をこぼしても始まらない。貯金に余裕があれば拒否を選択することができるので、今後はもっと蓄えを増やすと決意をする。


 五の月もだいぶ過ぎ、明日からは花祭り。二週間も開催される催し事に、リラは全てを賭ける。浮かれた観光客が今年も立ち寄ってくれると信じて。

 ただし、最終日は休む。これは毎年変わらない。ノアも同様で、ターニャへ会いに行く日でもあるから。


 しかし、目の前には誰よりも浮かれた顔をしたノアが座っている。


「あのさ、稼ぎたいから休めないよ?」

「そんな!! たまにはゆっくり花祭りを楽しもうよ!」


 子供のように駄々をこねるノアに呆れつつ、視線を僅かに下げる。

 リラとノアの間にあるのは、脚が三又に分かれた円形の机。わざわざ占術部屋に合うようにと、藍色で染めたものを選んでくれたらしい。


「それよりも、これ、何?」

「退院祝い。はい、目覚めの季節の野菜たちと花仔牛はなこうしのパイ包み。一緒に食べよう? でも、もし食べるのが怖かったら、無理しないで」


 リラは机に対して質問したが、そこへ昼食を並べられ、唖然とする。


 花仔牛は花も食べさせて育てるから、甘みが強くて柔らかい。けどそれって……。


 その意味を察し、リラはうろたえた。


「あのさ、お祝いって、ノアがここまですることないのに……」

「ん? いいんだよ。口から摂取したわけじゃないけど、花に関するものは怖いでしょ? 身体が拒絶反応を起こすこともあるし。リラはこのパイ包みが好きでしょ? だから、医師として僕が様子を見るから」


 ほんとに、お人好しなんだから。


 他の医師に任せてもいいのに、ノアが率先して動いてくれている。その事実が頼もしく、彼に向かって自然と微笑む。

 でも、机はやりすぎだ。しかし、贈り物を突き返すわけにもいかず、悩む。

 そこへ、ノアの弾む声が邪魔をしてきた。


「でもこれで堂々とリラとお昼ご飯が食べられるし、当分は、とか言われたけど、ずっと一緒に食べてもいいよね? それにこれ、軽くて丈夫なんだ。だから変な人が来たらこれで殴ればいいし!」

「ま、待って! いろいろ追いつかないから!」

「リラはね、頷くだけでいいんだよ?」

「よくないっ!」


 思わず両手で机を叩くが、自分の好物が揺れた音で我にかえる。


「机は、有り難くもらっておく。でもお礼はさせてね。あとは食べてみるから、大丈夫なら来なくていいから」

「お礼はリラが使ってくれるだけでいいんだよ。だからね、来なくていいなんて言わないで……」


 げっ!

 やめてー!!


 さっきまでの幸せそうな笑みを消し、昔からの技を発動させるノアに、リラの顔がひきつる。その間も、彼の碧の目は潤んでいく。


「で、でもね、朝にほぼ顔合わせるでしょ? だから十分じゃない?」

「朝もほんとは毎日会いたいのに、手術がない時は来るなって、酷いよ。さっきも、花祭りを断ってくるし……。病み上がりで無理しないでほしいのもあるのに。それにさ、僕はもっとリラと一緒に過ごしたいだけなのに……」


 こうなると、ノアの要求が通るまでこのままだ。たまった不満をあえて聞かされているとしか思えないのだが、どうしてもこのノアには強く出られない。


「いっそさ、僕もここで医師をすればいいと思わない? リラより強いから変な客は追い払えるよ!」

「それはだめ!!」


 しかしリラの想像以上の言葉が飛び出し、さすがに拒否する。


「ここで医師って何考えてるの!? ちゃんとした場所で、ちゃんと補佐してくれる人と一緒に仕事しなさいよ!」

「ここの周りの土地を買って、増築すればいい?」

「そうじゃなくて!! あと神の手なんだから体術使うな! その手は助ける時だけ使いなさいよ!」


 ノアの言葉が現実味を帯びてくるが、それでも断る。それ以外の答えなんてない。増築どうこうではなく、彼を頼ってくる患者が安心して過ごせる場所で力を使うのが一番だ。

 ついでに、エイミーから助けてくれた時、占術部屋の扉を魔力の流れを拳に集め、ぶち破ったことへも言及する。

 ちなみに修繕なども国が動いてくれたので、入院している間に元通りだ。


「リラを助けるのに使ったんだから、問題ないよね?」

「そうじゃなくてっ!!」


 おどおどした顔を向けてくるが、わかってやっているのではないだろうか? と、考える日もある。でもこれがノアなので、きっと無意識なのだろう。

 それでも、理解してもらえない怒りを声に出せば、『コンコン』と音がした。


「ん?」

「リラは座ってて」


 扉から、また同じ音がする。お客様が来たのだろうが、今は休憩中の札を出してある。

 急ぎの用でもあるのかと予想するが、扉を開けたノア以外、姿が見えない。


「あれ? どうしたのかな?」


 ノアの声がいつも以上に優しくなり、しゃがんだ。

 そこでようやく、小さな女の子の存在が見えた。


「あっ、あくまのめ、さんじゃ、ない?」


 指の隙間からこちらを覗く大きな瞳が、ノアだけに向けられている。

 だから、リラは立ち上がった。


「悪魔の目は私だけど……?」

「ひゃっ!!」


 これは、度胸試し?


 リラが声をかければ、すぐに小さな女の子はぎゅっと目を閉じてしまった。その様子に、リラとノアは顔を見合わせた。

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