第2話 悪魔の目と神の手

「リラ、あの、あのさ、僕の、僕の手術さ……」

「ノア、深呼吸して」

「…………あのさ、明日の僕の天気って、どう?」

「明日も晴れよ」

「ほんとに?」

「ほんとに」


 リラの目の前で震えていた幼なじみが、ぱぁっと笑顔になる。


 もう十八なのに、女の私より可愛らしい表情をするとは、許せん。


 深海の中にいるようなリラの占術部屋は、そこまで広くない。十人も入れば窮屈に感じるだろう。

 自分の椅子は暗い藍色。ノアが座る長椅子も同色で三人掛け。待合室にも同じ長椅子があるのみ。

 藍色の六角柱の建物は、中の見えない鳥かごのような外観だ。


 そんな青だらけの部屋の中心には、両手を広げたほどの大きさの水鏡が浮かぶ。

 けれど、封具から解放した状態の仕事道具は使っていない。ノアに必要なのは自分の言葉だけ。なので、彼の透き通るような碧の目を見て話す。


「リラがそう言ってくれるから、僕は仕事ができるんだ」

「そんなことないでしょ? 末の息子だからって、神の手のプトラシオン家なんだから」

「それを言うなら、リラだって末の娘だけど悪魔の目のカイアノス家だよ!」

「あーはいはい。そんなさ、末とか関係ないし。その家系なら大丈夫だって」

「そうかもしれないけど、その言い方はどうなのさ!」


 末の子だから経験が積めていない。そう思われることはよくある。

 しかし、お互いに仕事を始めて三年経っている。だから、そんな言葉は気にしなくていい。

 けれど、ノアは怒る。わざと試す言い方をしたが、これぐらい元気があれば明日の手術も成功するだろう。

 だが、彼は勢いあまって水鏡に手をつっこみ、瞬時に青ざめた。


「ごめん!!」

「ノアならいいから。ほら、そんな泣きそうな顔しないの」

「リラ……」


 先ほどから顔色をころころ変えるノアの頬が、今は赤く染まっている。


 ノアは、少し癖のあるふわりとした白の短い髪を、後ろだけ肩まで伸ばしている。

 そして太陽の光で透かしたように輝く、大きめで優しげな碧の瞳が他者へ安心感を与える。

 なのに、伊達眼鏡をかけているのだ。


『こっちのほうが医師っぽいでしょ? それに普段と少しの違いがあると飽きないって、リラとターニャが言ってたし』


 確かに言ったが、まさかずっと続けるとは思っていなかった。けれど、本人がやりたくてやっているので止める理由はない。


 ノアの封具は、両手首にある金の腕輪。

 そして、魔力の流れを整える神の手を持つ。なので、魔力を生み出す大元の心臓の手術を担当する者でもある。

 通常業務は治癒になるが、これも魔力の流れを利用して行なっているそうだ。


 対してリラは、直毛で長い黒髪を膝まで伸ばしている。占術師ならヴェールを被る、なんて面倒なしきたりは守らず、自分の髪をヴェールに見立てた結果、長い髪になったのだ。これには、家族やノアからもため息をつかれたが、今さら変える気なんてない。


 そして暗く深い藍色の目は、女にしては鋭い。まるで野良猫のようだと自分では思うのだが、ノア曰く、『綺麗なのはもちろん、神秘的でいつまでも見つめていたくなる瞳』だそうだ。

 しかしノアは幼なじみだからこそリラを褒めてくれるだけなので、彼の意見は参考にしていない。


 リラは数多の未来を覗く目を持つ。

 しかしターニャが消えてしまった時から、全てを視ることをしなくなった。

 結果、次の日までしか視ない占術師として細々と生計を立てている。


「あのさ、占うのが少しでも辛いなら、言ってよ?」


 白衣の上に羽織る金の刺繍が施された白のローブを無意味に直しながら、ノアが真剣な顔になった。


「全然平気」

「ほんとに?」

「……ほんとに」


 まったく。

 ノアはこの時期になるといつも確認してくるんだから。


 けれど、リラもわかっている。自分の時が止まっていることを。

 けれど、それでもいいと決めたのだ。

 だからこそ、占術師にしがみついているのに。


「答えるまで一秒も時間がかかった! リラ、僕さ当分お休みするからどこかに――」


 また始まった!!

 あんたが長く休んだら、神の手を頼ってくる人たちが困るでしょ!?


 気持ちは有り難いが、リラも十八歳。成人を迎えてから五年も経つ。時が止まってからも、五年。だからもう、泣くことはしない。


「いちいち大げさ! そんなに言うなら今から占うから。ちゃんと水鏡覗いておきなさいよ!」

「えっ! ちょっ、ちょっと!」


 あたふたするノアに、自分の口角が勝手に上がる。きっと、本物の悪魔みたいな顔をしているに違いない。けれどそのまま占うものを強く意識し、いつもより自分の目に魔力を集中させる。


 明日の、ノアの手術後を。


「待ってよ!!」


 リラが口を開く前に、焦るノアが伊達眼鏡を外す。彼はいつも占う時には直接見てくれる。

 だが、リラ自身から作られた水鏡に顔をつっこみそうなぐらいに近づけた彼が、若干心配になる。

 けれど、リラの占いに一番慣れている人なので遠慮なく呪文を唱えた。


万華鏡カレイドスコープ


 リラの言霊に反応して、水鏡が波打つ。その中を、キラキラと輝く未来の欠片がくるくると動き回り、模様を描く。

 それらの中で大きめな欠片が集まり、ぴたりと止まる。

 すると、泣きながら笑う優しい表情のノアが映し出された。


「今回は特別に、ノアにも見えるようにしたから。これで満足?」

「そういう意味じゃないんだけど……。でも、リラが力を使う瞬間ってほんとに綺麗だよね」


 そういう顔をすぐに見せるから、女の子に人気なのよね、きっと。


 甘い笑みとは、今のノアの表情そのものだろう。可愛らしいくせに大人びたように笑うから、女心をくすぐるらしい。

 それに似合う穏やかな声に、囁かれたい女性は多いようだ。

 あと、リラも背は高いほうだが、ノアはさらに高く、頼れそうな印象もあるのだろう。

 町では『砂糖菓子王子』なんて通り名をつけられているぐらいだ。


 けれど、リラからすればずっと一緒にいる大切な幼なじみの見慣れた顔なので、心が温かくなる程度だ。


「あのさ、やっぱりさっきの――」


 リンと、六芒星型の時刻とききざみから鈴の音が響く。朝の三十分とは本当に早いものだと思いながら、リラは笑顔を作った。


「はい、お時間です。またのお越しをお待ちしております」

「話ぐらいさせてよ!」

「お客さんも好きですねー。では延長料金は三万ベルからで」

「三万!? 三千の間違いじゃなくて!?」

「ノアは常連なので、特別料金にて対応させていただきます」

「そんな特別いらないから! でもそれで今日のリラを独り占めできるなら……」


 たまに馬鹿な発言をする幼なじみが本気で心配になるが、これでも立派な医師なので丁重にお断りをする。


「だめです。ノア先生、出勤のお時間ですよ? それでなくとも早めにお店開けてるんだから、早く行った行った」

「リラの、言葉は素直じゃないとこ、ほんとに可愛いね」


 幼なじみ馬鹿にもほどがある。


 褒めることに慣れすぎているのもあるのだろう。けれど、親馬鹿並みなのは今後矯正しないといけない。

 そうしなければ、いつかノアと結ばれる人に刺されかねない。


「そんなことはどーでもいいの。明日の手術を受ける患者さんのとこ、行ってあげなよ」

「僕にとってはどっちも大切なのに……」


 大切の度合いは違うだろうが、優しさで出来ているノアへ、気持ちをこぼす。


「ノアはさ、私が占わなくても、何が起きても、晴れだよ。それぐらい、私はあなたの実力を信じてる。だから後悔しないように、全力でお仕事してきて下さい」


 改めてこういう言葉を伝えるのは、気恥ずかしい。

 けれど、花祭りが近づいている今の時期だからこそ、同じ胸の痛みを宿し続ける幼なじみに伝えておきたかった。


「………………リラ! 僕やっぱり――」

「あの……、人生のお天気を、占ってほしいのですが……」


 魔力が切れたように動かなくなったノアが、今度は力を暴走させるかの如く真っ赤になりながら話し出した。

 けれどお客様の声が聞こえ、会話は中断した。

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