第30話 - 地下迷宮 水平線

「へぇ。そんな言葉を聞くとはね。それを知りたいというより、坊っちゃんのことを知りたい、ということかな?」

「……昨日、彼、うなされながら、水平という言葉を呟いていた。周りの人も、彼に同じ言葉を投げている。だけど私は、それを知らない。直接聞けば、早いかもだけど、辛い記憶、みたいだから」


 シャロは、大きな瞳を《魔法卿》に向けた。

 ハーヴィスはぽりぽりと頭を掻きながら、どうしようかと思案したみたいだが。


「ま。隠すことでもないしな。一般教養としての範囲で、教えてやろう。と言っても、大して難しい話ではない。《水平線》ってのは、その昔あった、思想の名前だ」

「思想……?」


 ハーヴィスは、大きく頷く。


「その名の通り。万物水平を掲げる思想だな。あらゆるものは、平等で水平である、という考えだ。つまり、そこの石ころも、その辺を飛ぶ虫も、俺ら人間も、全部水平だ、という思想を持った集団のことを《水平線》と呼んだ」

「……万物水平。なんだか、素敵な言葉に思えるけど」

「ふははは! ま、それだけ聞けばな。一見、優しい考えに見えるが、その実は結構ハードな思想だ。考えてみろ? お前さん、そこの石と自分が、本気で同じ価値を持つと、考えることができるかい?」


 どこかの地下迷宮の小部屋。そこに転がる、なんの変哲もない石ころをハーヴィスは指さす。

 シャロはそれをじっと見つめた。石ころと、自分が、同じ価値。水平。

 とてもではないが、心の底から認めることはできない。

 万物水平という思想がハードである、という意味を、なんとなく理解した。


「あらゆるものが水平だというんだ。単純な理念に見えて、その思想体系はかなり複雑だ。俺も理解しきれないものだが、それに惹かれる奴らも一定以上いた。《水平線》はどこかの山奥に集落を作って、共同生活を送っていたらしい」

「そこに――レウは、いた」

「おそらくな。年齢から言って、自ら参加したというより、親についていったんだろう。まぁとにかく。《水平線》は穏やかな生活の中で、教義の理論を練り上げ、万物水平の思想を深めていた。――そしてある日。《水平線》は皆殺しになった」


 突然の言葉に、シャロは息が止まった。

 万物水平。難しくも、気高い理想のみを求めた集団。思想の深淵にしか興味がないであろう、隔絶した人たち。

 なのにそこに、皆殺し、なんて、不釣り合いな言葉が出てきた。

 シャロはハーヴィスに、食い掛るようにして尋ねる。


「ど、どうして……!? 皆殺しって、誰が」

「ギルドだよ。一人残らず徹底的に、ギルドは《水平線》を滅ぼしたのさ」

「なんで、どうして」

「言っただろ。《水平線》は万物水平を掲げる。石ころも、虫けらも、人も――妖精も、神も。全て同じ地平にあると考える奴らだからだ」


 言われてみれば、当然の結論である。

 石と人が同じと考えるのであれば、妖精も神も、人と同じでなければならない。

 万物水平。その言葉に例外なし。


「だ、だからって、それだけで……皆殺しに、するほどなの……?」


 シャロの疑問に、ハーヴィスは、意地悪そうに、笑った。


「それだけでも、結構危ない思想なんだがな。しかし、潰されたのは、それだけが原因ではない。奴らは考えた。人も妖精も同じであることをどう証明するか。理屈だけならいくらでも捏ねられるが、所詮机上の空論だ。なにか実感を伴わなければ、万物水平は成り立たない。考えに考えて、一つの結論を導き出した」


 ハーヴィスは、宝石の嵌った指を一本、ぴんと立てた。


「人も妖精も同じなら、人が妖精を殺すことも叶うはずだ。同じ地平にいるのだから。だから、妖精を殺すための剣を考えた。その過程で生まれたのが魔崩剣。この世で唯一、魔法を斬る剣技だ」


 シャロは開いた口が塞がらなかった。

《水平線》という思想、いや、妄念とでも呼ぶべき執念は、妖精を殺す術を生み出そうとしていたのだ

 否。そんな不可能を覆すには、妄執からでなければならないのだろう。


「結局、妖精を殺す剣なんてのが完成したかは知らないがな。危険視をした妖精の命により、ギルドは突然、《水平線》を皆殺しにした。……裏を読めばつまり、彼らはいずれ、妖精殺しをやってしまうと確信したんだな」

「そん……な」

「坊ちゃんは運よくそこから生き延びたんだろうな。呪いのせいか、元からできてたのかは知らんが、水平流剣術の魔崩剣を身に付ける、唯一の人間、水平の残党ってわけだ」


 エナハでの、レウとの言葉を思い出す。

 死者から荷物を拾うのは、生者の勝手だと。

 故郷とでも言うべき集落を潰された、レウは、どんな思いでそれを口にしていたのだろうか。


 シャロは、紡ぐべき言葉を見失ってしまった。

 ハーヴィスはぽりぽりと頭を掻く。


「シャロ。今日はもう、休みな。レウの気持ちを汲み取ろうとしても、お前の手には余る。そういうことがあったと、心の距離を離すのも大事だぜ」


 そして男は少女の頭をぐりぐりと撫でた。

 シャロはそれに、反応することもできない。


 知ってしまった、レウの背景。それを元に、自分は彼に何を新たに背負わせようとしているのか。

 ハーヴィスが消えた後、シャロは部屋の中で一人、考え事ばかりしていた。

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