第31話 - 地下迷宮 決意

 今日は悪夢を見なかった。


 昨日はきっと、いつになく疲れ果てていたから、心の蓋が緩んでしまっていたのだろう。体力が戻ってきたら、あの光景はもう蘇ってこないのだ。

 それにいつもよりも暖かいような気がする。そして、気持ちがいい眠りだったとも思う。


 レウは目を覚まし、ベッドから起き上がりゆっくりと伸びをしようとした。

 その、ベッドの毛布の中に。

 白髪の少女が潜り込んでいるのを見つけた。

 彼女は薄着になっていて、柔らかな肌を密着させている。

 純白の肌が、ほんのりとピンク色に染まっていて、

 

 レウは固まった。まさかの景色に、思考がオーバーヒートした。

 そしてレウの上で眠っていたシャロが、ゆっくりと目を覚ます。

 寝ぼけた目をこすりながら、超至近距離で、二人は見つめあった。

 何の間違いでこんなところに潜り込んできたか知らないが、この数秒後にはきっと大騒ぎして数発のビンタは食らうだろう。

 それを覚悟しレウはぐっと緊張の面持ちになるが。

 

 シャロはなんと、逆にレウにぎゅっと抱き着いた。

 混乱がピークに達するレウ。彼の頭は混乱で満たされていた。

 様々な困惑でいっぱいだったが、肌と肌が触れる柔らかさと温かさがとんでもなく官能的であり、レウの鼓動は早鐘を打つ。

 そしてシャロは、レウの耳元で囁く。


「レウ……いいから、わ、わたしのこと……好きなように、して」

「は、は? おいおい、シャロ、何が一体」

「何されても、怒らない、から……! 私も一緒に、背負って、戦う……! それだけ……だから……!」


 シャロはそう言うと、細くすべすべとした白指を、レウと指と絡めた。

 

「昨日、ハーヴィスから……《水平線》のことを聞いた」

「……シャロ」

「あなたが、どんな目に遭ったのかを、知った。私にはわからない苦悩なのだろうけど、それが原因で、あなたは自分の命を、重く見ないんだね。全てを理解することはできないかも、だけど」


 シャロは言葉を選びながら、真剣な眼差しで、しかし、異様に紅潮した面持ちで、レウの手を掴んだ。


「私は、あなたと一緒に、戦いたい。同じ荷物を背負って、一緒に、歩みたい。一人だけ命を賭ければいい、なんて考えは、やめて……」


 そしてシャロは、しばらく口をぱくぱくさせて、決然と言い放った。


「だから、これくらい……! ど、どうってことないんだから! す、好きなようにして、それで、その…………修行、してよ!」


 そしてシャロは思い切って、レウの首筋に口を近づけ、ぺろぺろと舐め上げた。

 その舌の動きがあまりに拙く、こそばゆく。

 レウは思わず、笑ってしまう。それを受けてシャロは、怒った。


「な、なによ! わ、わたしがどれだけ必死に……!」

「いやいや! ははは! 笑うでしょうよ、こりゃ!」


 レウは首筋に食らいつくシャロを引き剥がし、お腹を抱えて笑った。

 そして、レウもじっとシャロの目を見つめて、真剣に答えた。


「ハーヴィスは余計な事喋ったな。そうだよ。僕ァ、あの時死んでるようなもんだ。たまたま生きてるだけで、いつ死んでもいい人間なんだよ。だからこそ無茶ができる。これは僕の勝手な考えだ。シャロまでが、こっちの荷物を背負う必要はない」

「違う。それは、違う、レウ」


 シャロはぶんぶんと頭を振った。


「今、レウは生きてる。死んでいいなんてことはない。あなたが全ての痛みを引き受けるのであれば、私も同じ痛みを背負う。そうやって――私はあなたと、水平になりたい」


 心の蓋を掛けたばっかりの言葉が、また目の前で聞こえた。

 でも、その言葉は、同じ単語なのに、あの日に塗れた残酷さは無く、懐かしいほど暖かな言葉であった。

 レウは、くつくつを喉を鳴らして、笑っていた。


「覚えたての言葉を、無理に使ってもしょうがないだろう」

「な、なによ……これでも一晩、一生懸命考えたんだから」

「いや。きっと、間違ってない。水平だから、僕もシャロの決意を尊重しなければいけないだろうな」


 そしてレウは、シャロの肩を掴み、彼女の露わとなった肢体を見つめた。

 シャロはごくりと喉を鳴らす。これからなにが始まるのか、その期待や恐怖が無い混じった時間に、心臓が次第に早く鳴っていき――


「おーーーい。お二人さん、《魔法卿》が来てやったぞ~? どこいった」


 全く空気の読めないハーヴィスがやってきた。

 白けた目で、互いを見るレウとシャロ。

 そしてシャロは、己の今の恰好をもう一度見て、はぁと大きなため息を吐いた。


「いつもの部屋行ってて! ちょっと着替えるから! そこから動かないでね!」


 彼女は慌ただしくレウのベッドから立ち退き、自分の部屋へと駆けて行った。

 この気恥ずかしさを誤魔化すように、レウと目を合わせることもせず。

 レウは、やれやれ、なんて表情をしながら、二人分の温もりが残ったベッドに、残っていた。


『ねーねー、レウさぁ』


 そこで久方ぶりに、小悪魔リーリスが、不思議そうに声をかけた。


『最近、今のやつ、けっこー興奮してるのに、修行するつもりないの? なんで』


 レウはその言葉に答えず、虚空を手でしっしと払った。


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「いようお二人さん。今日はなんだか待たせるなぁ。で、なにかいい案は思いついたか? 俺? 俺はさっぱりさ」


 レウとシャロは、先ほどの甘い寝覚めを意識しないように、互いにほんのり距離を取っていた。

 ハーヴィスは知ってか知らずか、気楽に二人に問いかける。

 そんなのぽんぽん出てくるわけがないだろうと、レウが呆れた反論をしようとしたその時。

 意外にも、シャロがその問いに対して答えを出した。


「私に、考えがある。考えというより、決意、というようなところ、だけど」


 そして彼女は、少し離れた隣に座るレウを、見た。


「私も彼と一緒に、戦う」

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