第2話 弟…だと!?
激しい乱闘の末、勝利をもぎ取ったのはユサだった。普段無駄に元気なのには相応の理由があったらしい。
「よし、行くぞ!妹よ、前髪はどれがいい?」
スケッチブックに書かれた絵は、無駄にうまい。
ゴクリとつばを飲み込んで見守るが、言葉は返ってこなかった。
不思議そうに首を傾げただけである。
しかし、その仕草に一同は心を鷲掴みにされた。何しろ、今までほとんど動かなかったのだ。
しばらく悶えたあと、彼らは現実を見る。
「そうか、生まれてこの方地下牢にいたから、言葉がわからないんだ!」
「なるほど!じゃあ教えよう!」
問題点を見つけ、何より可愛い妹の世話ができると喜んだ皇子たちが教育を始める。無論、執事も一緒である。
この一部始終を目撃した兵士Aは、ルーアン家初の女の子に触りたいと願いながら、必死に抑え込んでいた。
そして、ふと思う。
(この様子だと、皇子様方は政務とかしないんじゃないか?)
これはまずい。どうにかしようと兵士は歩き出した。
♡♡♡
一方その頃、皇子たちは悩んでいた。問題に直面したのである。
「うーん、言葉が全くわからない子に教えるって、だいぶ大変なんだな」
ナサが頭を悩ませる。いつもの様子からは想像もできないほど悩んでいる。
「赤ん坊は周囲を見て言葉を覚えるみたいだけど、輿入れが一年後なのでそんなことをしている余裕はない」
半分泣きながらイサが言った。細身のイケメンがこうなると、いかにもモテそうだ。
「うん。っていうか、年齢はどれくらいなんだろう?」
「手紙の日付からすると、十七歳くらいか?」
普段の態度からは想像もできない俊敏さでテサが言った。
「かわいいね。っていうか、名前は?」
「ないだろ」
「そうだよね。つける?」
「つけちゃいますか」
「しかし、どうするか…」
彼らは悩んだ。それはもう悩んだ。
ルーアン家では名前の最後にサをつけるのがルールで、それを譲ることはできない。
では妹にとって最もふさわしい一文字は何か…。
彼らは揉めに揉め、リサとルサの間をさまよい、
「ルに決まってるじゃない!」
という
「そうか。じゃあ、ルだな!」
「ルサか…。かわいい」
「俺、あとでルのつく物買い占めよう」
…名は決定したが、母の登場はことごとく無視された。
「ちょっとあんたたち!私に気づけ!」
豊満な胸の美女が言い放つ。一見三十代だが、実際は四十代である。
「あ、母さん。どうしたの?」
「あんたらが政務をほっぽらかして妹にかまけてるって話を聞いたから来たのよ!それよりそのルサちゃんはどこ?」
(あ、まずい…)
ルサは国王の浮気で生まれた子である。母はルサを殺しに来たのではないか。
皇子たちの頭を、そんな考えが駆け巡った。
しかし、実態はその予想とは反していた。
「きゃわいい。きゃわいいわルサちゃん!ルーアン家に女の子が!っていうかそれ抜きにしても可愛すぎるわルサちゃん!」
どうやら母は、ルサにメロメロなようだ。
「母さん?」
「何?」
ものすごく険悪に王妃が言った。
「あー、邪魔をするようで悪いんだけど、いいかな?」
「だめよ」
即答する。
「何しに来たの?」
めげずにナサが聞くと、王妃がこともなげに言った。
「ルサちゃんを殺しに」
(((((怖)))))
「だって、ダーリンの子だと偽って生まれた子なんて、生きてるだけで罪でしょ?」
「いや、そんなことないと思うよ…?」
「そうかしら。だって、そんな性根の腐った女の子供よ?死んだほうが世界のためだわ」
「怖いよ母さん」
王妃は苛烈な人であった。
「でも来てみれば、ダーリンにそっくりの可愛い子。奇跡だわ。そして何よりいい子だわ、ルサちゃんは」
王妃は座っているルサのドレスの端を持ち上げた。
そして、そこでは王宮で飼っている猫が震えている。
「あんたたち、喧嘩したでしょ。その時、ルサちゃんは自分のドレスでいたいけな小動物を守ったのよ」
すべてを理解したとき、兄弟は一つの感情に打ち震えた。
(か、かわいい…)
その感情は、彼らだけでなく執事、そしてこっそり一部始終を見ていた使用人たちにも共有される。
「かわいい………」
大合唱だった。
ひとしきり悶えたところで、ふと王妃が呟いた。
「そういえば、ルサちゃん絶壁よね」
「だからなんだ!ルサを侮辱するな!」
「してないわよ。どんな胸をしていようとルサちゃんは尊いわよ。そうじゃなくて、ルサちゃんはもう十代後半よね?流石に絶壁すぎないかしら」
「いいじゃないか!そんな絶望的な貧乳だって俺は好きだぞ!」
「だとしても、よ。あんた達、ちゃんと確認した?」
「したよ!」
「ホントかしら?」
ジトーっとした目で王妃が息子たちを見る。明らかに信用していない。
「仕方ないわ。ごめんね、ルサちゃん」
そーっとドレスの中を覗く。
しばらくそうしたあと、ゆっくりと王妃が出てきた。
「ルサちゃんは…男よ。去勢されてるけど、男だわ」
王妃は言った瞬間、泣き崩れた。
「そん、な…」
皇子たちも同様に男泣きする。そして、使用人たちも泣き崩れ…。
城中が、涙に包まれたのだった。
♡♡♡
「なあ、なんか聞こえないか?」
「そうだなあ。誰かが泣いてるみたいだ」
リーズナブルな価格と、味のバランスが良いと評判の居酒屋『絶壁』の店主・ビンガは常連客と話していた。
「城の方からか?薄気味悪いな」
まだ夕方だというのに近くで酒を飲んでいた客も話に入ってくる。
「昼からずっとだぜ。何かあったのかもしれねえな」
「だが、声が大きすぎる。ありゃあよっぽど大声で泣きわめいてるんだな」
「初代国王様が死んだときも城中が悲しみに沈んだというが…。王子様が死んじゃったのかね?」
「おいおいそんなこと言うなよ。もしそうなら国家の一大事だぜ」
「わからんなあ」
泣き声を肴に、客の酒は進んでいく。一方、仕事中のため酒を飲めないビンガは本気で気味が悪かった。
「何もなきゃいいが…。俺、ちょっと見てくるよ」
妻に仕事を任せ、城の方向へと歩き出した。と、
「俺も行くぜ、ビンガ」
常連客がついてきたようだ。振り返ると、酔っぱらいたちが列をなしてついてくる。
「ったく、仕方ねえなあ」
いい年した男たちがずらずらと歩いていく。異様な光景だった。
城に近づくにつれ、泣き声は段々と大きくなっていく。こうなっては、気味が悪いとかそういう話ではなく、ただの騒音だ。
と、城から数人の青年が泣きながら出てきた。
フラフラと歩きながらこちらへ迫ってくる。
「お、おい…。何があったんだ?」
勇気を振り絞り、ビンガが聞いた。
「うう…。聞いてくれよおっさん…。ひどいんだよ…」
聞いてくれと言いながら、ただ泣くことしかしない青年たち。その顔はどれもよく似ていた。
「何だお前ら、兄弟か?」
「そうだよお。うわーん」
ギャン泣きである。うるさいが、しかしほっぽらかして見捨てることのできないビンガは、お人好しだった。
酔っ払いの協力もあり、青年たちは無事にビンガの店へとたどり着いた。
「うう…」
酒を飲むでもなく、うずくまって泣くだけの青年たちは、その場の空気を重くしていた。
「なんか、酔いが醒めちまったな」
「おう、すまん。ほっとけなくてな」
「責めてねえよ。…なあ兄ちゃん方。俺らは頼りにならねえおっさんかもしれんが、お前らより長く生きてる。話してみねえか?」
「うん…」
言ったっきり、何も話さない。困ってしまった。
「まあ、何に悩んでんのかしらねえが、女に振られたんなら俺にも一つ言えることがある。自分の愛を信じろ。振られたぐらいで揺れるような愛なのか?お前らのは」
「!」
ビクッと、青年たちの背が反応した。
「ああ、そうさ。諦めんな。愛が冷めたり、このまま続けたらどっちかが死ぬってことになるまで、踏ん張れよ。意地を通せ。わがままを言え。…それが恋だよ」
やや恥ずかしいことを言うビンガだったが、青年たちには響いたようだ。
「おっさん…。ありがとな。俺、元気が出たよ!」
俺も、俺も!と、青年たちが口々にお礼をいう。
「役に立てたなら、良かったぜ」
そう、その方法をしたからこそ、ビンガは、妻を妻にすることができたのだ。
しかし、ビンガは知らない。彼の渾身のメッセージが、彼らには全く違うふうに聞こえていたことを。
『ルサとの絆を信じろ。ルサの可愛さは、男だったくらいで揺らぐのか?』
『ルサが反抗期になったり、帝国に嘘がバレたら死ぬんだ、そうならないように、踏んばれよ。夢を夢のまま見続けろ。わがままを言え。…それが兄だ』
(((((ありがとうございます、おっさん!おかげで、心が決まりました!)))))
…後に、まだ未成年である彼らが酒を飲まなかったことに、真実を知ったビンガは深く感謝することになる。
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