アンブロシアの解放

「我々は、千年王国の統治者ミレニアムルーラーが継承されるこの時を待っていたのです。前教主様は器になってから長く生き過ぎました。力は徐々に器に定着する性質があるらしく、古き器では事ができないのですよ」


 パキッ――と、割れるような音が響く。


「ヨベル様に聖痕スティグマータがあってよかった。父上が教会から出奔なされた時はどうなるかと思いました。このまま教主が死ねば計画が水泡に帰すところでした。エリス様にはあなたという器を産んでくれた事に感謝をしなくてはなりませんね」


 エリックの口から母さんの名前が出ると、胸の内が煮えたぎる。怒りはあるけれど、俺は自分の体に起こった変化にも戸惑っていた。

 

 パキパキとひび割れる音は続き、だんだんと大きくなっていた。その音は、俺の胸元で聞こえている。


「あなたがそれを継いだおかげで、我々はこうして、開ける機会に恵まれたのです」


 見れば、俺の胸から腹にかけて光の筋が走っていた。聖痕スティグマータ。ひび割れはそこから聞こえるのだ。

 この光は何? 俺の体に何が起こっている? 

 痛みは無い。だけれど、底知れない恐怖がわきあがる。


「箱の意味は知っていますか? 暁光神の権能を収めた契約の箱アーク、つまりあなたの事だ。ああ、ようやく、開錠の呪法が効いてきました。あと一押し」


 ――――ッ!?

 エリックが、胸の光の筋に剣を差し込んだ。


「――ああ、あ、あががあああ」


 言葉にならない叫びが溢れた。差し込まれた剣は刃の中ほどまで光の筋に差し込まれている。俺の身体を貫通しているはずだ。なのに、俺の意識は消えていない。激痛が走る。全身の血が沸騰するような痛み。


 それなのに、エリックは、剣の柄を握ると、まるで建付けの悪い扉をこじ開けるようにぐいぐいと剣を動かす。


 その剣は俺の胸に刺さっているというのに! しばらく動かしエリックは剣を引き抜いた。


 稲妻のような痛みが引き、抗えない虚脱が全身を覆う。視界が霞む。こんなの、致命傷のはずだった。だけど不思議と俺は死んでいなかった。


「なかなか固い封印のようだ。ですが、これではどうで、しょう!」


 エリックが再び、剣で俺の胸を刺し貫いた。大上段に構えての突きおろし。


 バキリと鈍い音がして、剣の柄まで刃が埋まる。


「――――――ガッ!!? あ、ああ、ああああああああぁぁぁあああ!!!!!」


 視界が真っ白に染まり、全身に衝撃が走り激しく痙攣したのを感じた。





「「歓喜の声をあげよ! 皆の者、儀式は成った! 忌々しきアークでありパンドラは今開かれた!」」


 視界が戻ると、体に光が降りそそいでいるのが見えた。

 俺は死んだのか? 剣で刺し貫かれたはずだ。胸を見降ろすと――。


 俺の体を中心に回る6枚の翼が見えた。それは光の粒子でできた翼で、光輪翼ホーリーヘイローによく似ていた。


 ただ赤い。いつもの黄金の輝きではなく、弱弱しく明滅する赤く小さな3対6枚の光輪翼。そして、その中心に大きな赤い花が咲いていた。花は光の花弁をまき散らしながら回転し、ほどけていく。これは何だろうか……。



「おお、これぞ【アンブロシアの花弁】太古に封じられし、旧神の恩恵の集合なり」

 仮面の者どもの中の小柄な男がつぶやいた。


「偽りの暁光は今散りました。これより、千魔百神の混沌の時代が再びやってくるのです!」


 別の仮面が高らかに叫ぶ。声から女のようだ。やけに良く通る声だった。


「ようやく、我らも神々の恩恵にあずかれる。古き神の時代、人々が最も自由であった時代のように」


 また、別の仮面だいう。それぞれ仮面の意匠が違う、幹部格なのだろうか。




「何がなんだか分からないという顔をされていますねヨベル様。わからずとも良いのです。ご苦労様でした。あなたとその祖先が守っていた暁光神の力は我々がもらい受けます。あなたは神の力の運び手なんて重責をもう背負わなくてもよいのです」


「何を言っているんだ? なぁエリック、これは一体何なんだよ……」


 酷い虚脱感に襲われ、呻くように喘ぐように問いかける。エリックは憐れむような、蔑むような視線を寄こし言った。


「あなたはもう用済みという事ですよヨベル様。千年王国の統治者ミレニアムルーラーはもう存在しません。力は千の花弁に分けられ我々に降り注いでいます」 


「力を、どうするつもりだ……」

「世界平和のためにでも使いましょうかね」

「ふざ、けるな……ッ!」


 威嚇も気に留めず、黒衣の仮面たちに指示を出すエリック。俺のまわりにに仮面たちが集まる。


「何を、するつもりだ」


「箱を開けたあとでも、ヨベル様が無事な事が予想外でしてね。正直困っています。あなたの身柄をどうしたものか」


 しばらく考えたあと、エリックは言った。


「あなたに生きていてもらっては困ります。ですが、アンブロシアが解けきるまで生きていてもらう必要があるかもしれない。しばらく様子見ですね。殺しはしませんが、一生外に出ることはできないと思ってください」


 冷たく告げ、エリックはいびつな仮面を身につける。



「新たな千年王国の始まりを共に祝いましょう」



 赤き光の花弁は空へと舞いあがる。花は解けて消えていく。祖父から継承した力を、俺は守れなかったのだということだけは、ぼんやりと理解した。

 

 身体は変わらず動かない。


 何が起こったのか、どうしてこんな目にあったのかわからない。


 だが、俺は負けたのだという事は分かった。兄と慕ったエリックに裏切られ、母を殺されて。神の力は奪われて。ルルアはどうなったんだろうか。教主の爺さんにはなんて言ったらいいんだろう。


 俺はこの後どうなる?

 神殿には戻れないんだろうと思いながら、一筋の涙をこぼした。ただただ、無力が悔しかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る