囚われのヨベル

 意識が戻った時、聞こえてきたのは歌だった。

 

 (なんの歌だろうか……)


 呟こうとして、口の中がカラカラに乾いている事に気づく。

 歌は反響しておんおんと四方から聞こえた。抑揚がない一定なリズムだ。不気味に空間を満たす。この歌はどこから聞こえるのだろう。ひどく冒涜的な耳障りだった。


 身体を動かそうとしても、体の自由は効かない。

 何かの魔法で縛られているのか指先一つ動かなかった。


 あたりは薄暗く、燭台の火に照らされた壁に影がいくつも現れては通りすぎる。目が慣れてくると、高くアーチ状の天井が見えた。聖堂の中なのだろうか。すえた匂いだ。空気が湿って背中が痛い。冷えた石の感触。俺は仰向けで寝かされているようだった。


「――贄が目覚めた」

「目覚めた」

「いよいよだ」


 顔を覗き込まれて、身がすくんだ。

 異形の仮面だ。それが数人、俺の周りを取り囲んでいた。やつらは口々に「儀式を」と囁き合う。 


 不気味な歌も仮面たちが奏でる歌だ。呪いか何かに思えるような不快な旋律。二重三重にも聞こえて、頭の中でいつまでも反響する。頭の芯がずきずきと痛んだ。

 

「気が付きましたかヨベル様」


 燭台の火がゆらりと揺れ、別の影が近づく。

 仮面たちがそそくさと離れ、やつらの間から現れたのは黒いローブを着たエリックだった。両脇の仮面がひざまずく。奴らはエリックとつながっているのだろう。


「悪く思わないでくださいね。あなたの神聖魔法はとても強力ですから封じさせてもらいました。抵抗されても面倒ですから」


「……抵抗したくても、身体が動かないんだけど」


「それはいいですね。行動封印の呪法が効いているようです。あなたのような魔力の強い方には効果が薄いと聞いていましたが、何重にもかさねれば流石に効果があるようです」


 エリックは悪びれもせず語る。仮面たちを付き従えているという事は、今夜の襲撃の首謀者はエリックだ。お前の使命は俺たち家族を守るためじゃなかったのか。裏切り者に俺は、思いきり睨みつける。


「ここはなんだ? 俺は何をされるんだ? ルルアをどこにやった!」

「えらいですねヨベル様。興奮を押さえようと努力されてますね。結構な事です。興奮されては何から答えていいのか迷ってしまいますから」


 薄笑いを浮かべ佇むエリック。

 その姿に怒りが沸く。


「ふざけるなよエリック! お前は母さんを、母さんを殺したなっ!」


 気を失う前の光景が目に焼き付いている。

 目のくらむような赤が母さんの胸に咲いていた。


「はい。エリス様を殺しました。邪魔でしたし、ヨベル様の心を折るのにちょうどよかったので」


 憎悪で目の前が真っ赤に染まる。身体が動かないから余計に怒りが増す。

 エリックは俺たちを守るための神殿騎士だった。それなのに、それなにの母さんを――!!


「お前……っ、許さない! 殺してやるっ、貴様! エリックぅう!! 離せ! 貴様なんて、一瞬で殺してやる――――!!」


 俺がそう吠えた瞬間だった。柔和な表情を変えずエリックがうごいた。


 キンッ


 ぞっとするほど静かな音だった。殺気と頬をかすめた冷たい感覚に背筋が凍る。

 俺の頭のすぐ横に、剣が突き立っていた。剣を握るのはエリックだ。目にも止まらない抜刀からの刺突。鋼の剣と言えど石の台座を穿つは難しい。それなのにこの男は、一息の間でそれをやってのけた。


 エリックが耳元で囁く。静かに、低い声で。


「口をつつしめよガキ。お前などいつでも殺せるんだ。もちろんお前の妹もな」

 

 エリックは静かに剣から手を話すと、いつもの柔和な笑顔に戻った。


「どうしてこんなことになったのか分からない、かわいそうなヨベル様に少し説明をしてあげましょう」


 カツカツと、エリックが俺の周りを歩き出す。


「まずは、聖典の話から始めましょう。得意でしょう聖典」

「暁光聖教の聖典のことか?」


 エリックは「はいそうです」と頷いた。


「今から千年ほど前、世界は今よりもっと混沌に溢れていました。強力な魔物がはびこり、魔族と呼ばれた、魔の力に長けた人々が、我々人間の世界を絶えず脅かしていた。そうですね」


「ああ、聖典に記された神代の時代の話だろ」


 人間は今よりずっと数が少なくて、弱かった。魔法の力を使えるものもわずかだ。人々は魔物と魔族に怯えて暮らしていたといわれている。


 また地上には、超常の力を振るう神々と、その眷属である精霊や妖精、天使達がいたらしい。だけれど彼らは強い力を持つが故に高慢で、人間のよき友人ではなかった。


「人間は脆弱でした。神にも魔族にも一顧だにされず搾取されるだけの哀れな生き物です。世界は神々と魔に連なる怪物たちのものだった」


 【混沌の時代】と呼ばれている。

 人間はただただ無力で、身を寄せ合って、隠れて暮らしていたらしい。


「そんな時、東の海より一柱の神が現れました。その神は、人間の中から

 一人の男を選び力を与えました。男は勇者と呼ばれ、神と共に西に向かいました」


 エリックは陶酔するように天を仰ぎ演説を続ける。

 それは俺たちの信ずる神の神話だ。


「その神の力はとても強く、元々地上にいた神々は誰も敵わなかった。地上のすべての神を駆逐し、地上はその神一柱のみとなりました。続いて、男は人々を率いて魔族と戦いました。魔族の王をうち滅ぼし、地上は人間のものになりました――」


 暁の神と英雄の神話。とても古い古い話だ。


「東より現れた神は、まぁ、我らの崇拝する暁光神なのですが、暁光神は、その力を束ねて暁光聖教に残し、今も地上を照らし人間を見守っている……そう言われています」


 一気に語りきったエリックはふうと、溜息をついた。

 そんな話、この国に住む人間なら子供だって知っている。エリックが何を言いたいのか分からなかった。 


「私、この話にとても興味を引かれまして」

 

 エリックは語る。

 頬が吊り上がる酷く歪な笑みを浮かべながら。


「暁光神が束ねた力は今どこにあるのでしょう? 暁光神の加護と言われ、前教主様から、ヨベル様に引き継がれた権能:千年王国の統治者ミレニアムルーラーがそれなのでしょうか。しかしその力はあなただけに受け継がれている。元は多くの神々の権能の集合であったはずです。それを今、バラバラにすることができれば、皆が神の権能の恩恵にあずかれるのでは? 神々の権能、あなただけが使えるのはおかしいと」


 私は思ったのですが、ヨベル様はどう思われますか――

 とエリックは続けた。

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