襲撃の夜

 早く、早く、早く――――!

 

 心臓の音がうるさい。もっと早く走りたいのに空気がねばりつくみたいに重い。

 駆ける足音がふたつ、廊下に響く。息が続かない。走るのはこんなにも辛かっただろうか。


「あっ――」


 すぐ後ろで聞こえた小さな悲鳴。

 握っていた手が離れた。慌てて振り返る。


「ルルア、大丈夫か」

「はぁ、はぁ、はぁ。――う、うん。大丈夫」

「がんばれ。止まったら捕まるぞ」


 足がもつれがちな妹を励ましながら、俺たちはもう一度走りだした。


 背後から追いすがる足音が聞こえる。奴らは武器を持ってるんだ。黒い衣に身を包み、それぞれに白銀の武器を携えて何処までも追ってくる。何度か魔法で吹き飛ばしたけれど、次に振り返った時には人数が増えている。いったい何人いるんだ。


「エリック! エリーック! 大変だ! 侵入者なんだ!」


 大声でエリックを呼ぶが、返事はない。

 どうしよう。どうしよう。

 手が汗で滑る。とにかくルルアは守らないと。離れ離れにならないように、ぎゅっと手を握りなおした。


 ◆◆◆


 夕方から降りはじめた雨はすぐに嵐になった。雷がやたらとうるさい夜だった。

 なかなか寝付けなくて、古い聖典をパラパラめくっていて、さすがにもう寝ないといけないと思っていた時、ルルアが部屋にやって来た。


 トイレに行った母さんがいつまでも帰ってこない。一緒に探しに行ってくれないかという。


 なんだそんなこと。その辺にいる夜警の誰かに頼めばいいだろうと、廊下を見る。いつもいるはずの警備がいなかった。それどころか廊下はシンと静まり返っていた。

 

 なんだ? 何かおかしい。


「ルルア、こっちに」


 違和感を覚えた俺は、ルルアをクローゼットに押し込み、自分も入り込んだ。暗がりに二人で息を殺していると、ゆっくりと入口の扉が開いた。


 『何か』が入ってきた。なんだあれは? 


 まず目を引いたのは仮面だった。青白く、人を象ったものではありえない形をした異形の仮面。それで顔を隠した者たちが数人、静かに入ってきた。


「ひっ」とルルアが悲鳴を上げる。

「ばかっ、見つかるぞ!」 

 咄嗟に口を抑えて黙らせる。

 

「……侵入者だ」

 


 仮面たちは身振りで、ベッドを指さした。俺のベッドは天幕付きの豪華なものだ。薄絹のヴェールが下がっていて、中に人がいるかどうかわかりにくい。仮面たちが、ベッドに近づく。懐からナイフのようなものを取り出すのが見えた。

 

 狙いは俺の命か? 

 暗殺が目的だったら、見つかったらルルアも殺される。


 ヴェールをくぐり、俺がベッドにいない事に仮面たちが気づく。ヒソヒソと何かを話したあと、部屋の中を探し始めた。このままじゃ、見つかるのは時間の問題だった。

 

「ルルア、逃げるぞ」

 暗がりの中で、妹が、コクコクと頷いたのが分かった。



閃光ハイ・ライト!!」 


 クローゼットを蹴り開け、目くらまし代わりに閃光魔法を放つ。

 白光に照らされた侵入者は5人だった。仮面と黒衣で性別も分からない。先制攻撃でやつらが怯んだ隙に、ルルアの手を引いて廊下に飛び出した。



 アイツらはなんだ? 警備は何をしている! 母さんが戻ってこないのもアイツらに関係あるのか? 疑問が渦巻く。あいつら一目見ただけでヤバいと思った。尋常じゃない風貌に、全身の毛が逆立つのを感じていた。


 逃げないと。

 捕まったら、何をされるか。


 ◆◆◆


 俺とルルアの逃走劇は続いていた。数が増える黒衣の仮面たちに、魔法でけん制しながら逃げつづける。いっそ立ち止まって、殲滅するべきかとも思うが、敵がとにかく多い。俺はともかくルルアが危険だ。それにあまりに数が多すぎる。


 通路を曲がれば新たな仮面の集団がいた。神殿のみんなはどこにいったんだ! 


「エリック! シスター・クロエ! バベル神官長! 誰でもいい! 誰かいないのか!?」

 

 俺の呼びかけに答えるものはいない。

 背後に聞こえる追手の足音は増えるばかりだ。


 「はぁ、はぁ、はぁ、お兄ちゃん、あれ!」


 聖堂入口の燭台に火がともっていた。祈りをささげる時は火をいれる事になっている。誰かいるんだ! 俺たちは聖堂に飛び込んだ。



 もう逃げるのも限界だった。ここで迎え撃ってやる。俺の神罰魔法なら、広い空間があれば十分戦える。たとえ、誰もいなくたって、一人でやってやる。

 

 信徒たちが祈りを捧げる聖堂はひときわ大きな空間だ。椅子が整然と並んでいて、正面には暁光神の像が掲げられていた。稲光る雷光で、ステンドグラスの図柄が聖堂の床に落ちる。暁光神の像が影を伸ばす。とにかく、像の元へ……。


 その神像の前に一つの人影を見つける。


 几帳面に切りそろえられた焦げ茶の髪と精悍な顔。白銀の神殿騎士の鎧。ああ、エリック! 兄であり、師である神殿騎士エリック・アーサー! たたずむ彼を見つけた俺たちは息も絶え絶えで彼の前に走りこんだ。


「エリック、探してたんだ! 侵入者なんだ。数が多い、武装してるんだ。命が狙われているかもしれない!」


「……そうですか、ヨベル様」


 エリックがうなずく。

 いつも穏やかな笑顔を浮かべていたエリック。

 その笑顔に混じる影が気になった。


「それは、いけませんね。侵入者は排除しなくては」

「そうだろう! でも、エリックがいてくれれば、もう大丈夫だ」


 突然の襲撃に、エリックも緊張しているんだろうか。

 でも安心してくれエリック。エリックがいてくれるなら、前に出て時間を稼いでくれるのならば、俺の神聖魔法でこんな奴らは一掃してやる!!

 

 安心した俺は、聖堂の入口に向きなおり、殺到する仮面の一団を睨みつけた。そしてまずは一撃と、魔力を込めようとして――


「……ヨベル様。ところで、お母さまはどこにいらっしゃるか知っていますか?」

 

 そんな質問をエリックがした。


 なんだよエリック、こいつらが先だろ? 

 でも母さんも探さないと、もしかしたら、考えたくないけど、こいつらに捕まって? 


「ああ。母さんも見つからないんだ。だからさ、こいつらを倒したら、エリック、一緒に――」


 言いながら振り向き、気づいた。俺の服の裾をつかむ、ルルアが真っ青な顔で白銀の騎士を見ているのを。震える指で、彼を指し示している。


 視線の先には、エリックに掲げられた母さんがいた。


 貧民街には似つかわしくない、柔らかくて美しい栗色の髪だった。いつも寝る前に丁寧にくしで整えていた。綺麗な母さんは俺たちの自慢だった。その髪は、今、乱れてまだらに染まっている。その中に浮かぶ白く無機質な顔。目は淀み、虚空を眺めていた。胸元から広がった赤は体を伝い、足元に血だまりを作っていた。


 そして、エリックの手には一振りの、血に濡れた剣が握られている。



 絹を引き裂くようなルルアの悲鳴が聖堂に響いた。


「あ、ああ、ああああああ!! エリック? なんで! どうして!?」

「なんで、どうして? おかしなことを聞かれる」


 ゴンと無慈悲な音を立て、無造作に投げ捨てられた母さんを見て、俺はまた絶叫した。段上から投げ落とされた母さんは、赤い血をまきちらしながら不自然な態勢で転がって止まった。


「ヨベル様、審判しんぱんの時は来たのです」


 ゆっくりとエリックが逆手に剣を構える。殺気が膨らむ。

「抵抗してもかまいませんが、私にかなうとは思わないことです」

 

「まて、エリック! なんで――ッ!」

 慌てて、構える、が――、


「――ガハッ」


 エリックの踏み込みは神速だった。魔法で迎撃するまもなく、エリックの剣の柄が俺の体にめり込んでいた。


 目の前が真っ白になった。肺の中の空気がすべて出たまま、息が吸えない。ビクビクと痙攣し、俺はなすすべもなく床に崩れ落ちた。


「神の御子といえど、心を乱されれば、たやすいものですね……」


 エリックのつぶやきが静かに聞こえた。 


「お兄ちゃん! お兄ちゃんっ!! いや――――っ!」

 霞む視界のすみで、ルルアが仮面の男たちに取り押さえられているのが見えた。



 意識が遠くなっていく。

 ルルア、母さん。エリック、どうして……。


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