牢獄

「――う――ぁぁ……」


 気分は最悪。今日も悪夢で目が覚めた。冷たいじめじめした石畳から身を起こす。

 

 あれからどれだけの時間がたったのだろうか。

 1ヵ月目までは数えていたが、途中でどうでもよくなって数えるのをやめた。

 俺は地下牢にいる。ここに運ばれて首枷くびかせをはめられた。さびの匂いが鼻につく。鎖がじゃらじゃらと重い。


 「くそ……、わらぐらい置けよ……!」

 ごつごつした岩を背にして眠っていたから背中がひどく痛む。


 牢獄には結界が張らていて魔法は使えないようだった。

 首枷から伸びる鎖は石壁に埋め込まれ、俺の行動を阻害する。動ける範囲は限られていた。


 あのおぞましい儀式のあとここに運ばれ閉じ込められている。俺の胸には大きな火傷のような痕が出来ていた。元々聖痕スティグマータがあった場所だ。治癒メディが使えれば消せるのかもしれないが、魔法を封じられた俺には手段がない。


 身体もあちこち壊れているらしい。目がかすみよく見えない。遠近感が無い。触覚もおかしい。指先の感覚が失せている。味覚も壊れていた。1日2回牢守ろうもりが持ってくる申し訳程度の食事も味がわからない。砂をむようだった。


 牢には、小窓があって、見上げると小さな光が差しこんでいるようだ。近くて遠い空。それだけがここの灯だった。


 食事の配膳と、排泄物クソを片づける時に訪れる牢守ろうもり寡黙かもくな男で何もしゃべらない。話しかけても徹底的に無視された。牢守がいない時に小窓から大声で叫んでみたこともあった。返事をするものはいなかった。


 精神を持たせるためにひたすら独り言を繰り返していた時もあったが、最近は黙っている。体力の無駄だと悟った。助けは来ない。ゆっくりと死んでいく定めのようだ。毎日壁にもたれかかり過ごしている。


 昨日のことか一昨日か。あるいはもっと前だったのかもしれない。一度だけエリックがやってきた。


『いやぁ、お元気そうですね、ヨベル様』

『ふざけるなよ、エリック……』


 久しぶりに絞りだした声は、ろくに聞き取れない有様だった。

 視線で殺せる訳もないが、そうなればいいと力の限り睨みつけた。


『先日、教主様が亡くなられましてね。その報告に参りました。ヨベル様たちがおられなくなってから、教主様はすっかり寝込んでしまいまして。早く死ねばいいのに長くかかりました。しかしやっと逝きましたよ』


 ヤレヤレ参った、と言いながら手を広げる。


『我が国の財政もそれほど潤沢じゅんたくではないというのに、盛大なご葬儀を執り行ってきました』


 この男は、俺は元より、教主さえもなんとも思っていないようだ。


『ルルアは、どうした』

『ルルア様ですか。さぁ、どうしたでしょうね。あの場にいたからには、ねぇ。さすがにそのままというわけにも行きませんし』


『殺し、たのか?』

『――まぁ、そうなりますかね。配下の者に任せたので、その前に多少、楽しまれたかもしれませんが』


『貴、様ァ……ッ!』


『……いい気味ですね、ヨベル様。強く輝くようだったあなた。そんなあなたが今はみすぼらしく、獄に繋がれている。とてもゾクゾクしますよ。私はあなたのその目が気にいらなかった。本当に、いい気味だ』


 教主の座は、父さんの妹にあたる大司教マリアベルが継いだといっていた。会ったことは数度しかなかったが、父の面影を感じる女性だ。


 エリックが去った後、俺は強烈な怒りに身を焦がした。


 なぜだ なぜだ なぜだ なぜだ 


 問いが熱病のように脳裏を渦巻く。

 なぜ自分たちが、害されなければならなかったのか。殺され、捕らえられなければならなかったのか。


 憎い 憎い 憎い 

 母を、妹を殺したエリックが憎い。仮面のものたちが憎い。


 旧神の恩恵と言っていた。あの光の花は、何かの力だったんだろう。教主と教会が代々守り伝えてきたものだと言っていた。だけど、俺にとって、そんなものはどうでもよかったのに。


 やつらは、俺の大事なものを根こそぎ奪っていった。母親、妹、使命、思い出……。


 あぁ、エリック・アーサー! 一緒に過ごしたあの数年間はなんだったんだ。俺と俺の家族をあたたかな眼差しで見守ってくれていたエリック。お前はあの裏で、俺たちを、いずれ罠にはめ、殺すことを考えていたというのか! 


 なんという残酷な精神!

 許さない 許さない 許さない!


「エリックゥぅううっ!!」


 気が触れたように叫び、怒り、気絶するように眠る。目を覚ましてはまた、憤怒の衝動に身を焦がす。叫び、暴れ、壁に頭を打ち付けた。

 

 数日繰り返し、俺は死んだように横になる。

 衝動が過ぎ去った後は、神へのうらみごとが増える。


 神は寝ているのか? なぜこんな無法がまかり通るのか。神などいないのではないか。もしくは暁光神などという大層な名前をしながら、何の力もない無能の神ではないのか。


 無能の神! 偽りの神! 信じたって救いは無いじゃないか! 考えうる限りの暴言を吐く。


「神だというのなら、家族を生き返らせろ! あの裏切者に天罰を与えよ!」


 ……もちろんそんな奇跡は起こらない。気がふれた男が一人、孤独にわめいていただけだ。


『神はいない』


 そう結論づけた俺は、信仰を捨てた。



 ◆◆◆


 また数か月がたった。

 近頃夢を見る。日の光のような少女の夢だった。


 夢の中で俺は旅をしていた。魔物を狩り、迷宮に潜り大冒険をした。最初は二人だけだった仲間も次第にふえた。信頼できるいい奴らばかりだった。まばゆくきらめき、こころ躍る楽しい日々だった。


 目が覚めると、現実は変わらない。

 コケの生えた石造りの牢獄に繋がれた哀れな自分がいた。


 夢の中では、その子が語りかけるのだ。

『もう少しだから、ごめんね』と。『時が来たら必ず迎えに行くから』と。


 そうはいっても、もう自分は駄目なのだ。どうしようもないのだ。

 

 エリックたちは許せない。絶対に許せない。

 でも、自分には復讐する力も機会もない。その事実せいでより深く絶望する。



 ◆◆◆



 また数か月がたった。

 最近、牢守ろうもりのくる回数が減った。1日に2回は来ていたのが、2日に1回となり、1週間に1回となっていった。


 牢の中に排泄物で悪臭が満ちた。どこからかやってくる虫やネズミが俺の足を齧る。


 ついに牢守が現れなくなった。どうやら俺は完全に見捨てられたらしい。

 すぐにでも死ねるだろうと思ったが、なかなか人間というのは丈夫にできているようだ。


 空腹に耐えきれず、走り回るネズミを捕まえて食った。ひどいにおいと味だったが、体に力が戻るのを感じた。水は小窓から流れ込む泥水をすすった。


 「俺は、まだ生きている! 生きているぞ!」


 絶叫した俺は、生にしがみ付く。

 まだやれることはあるはずだ。




 ◆◆◆



 小窓の外の景色が2度めぐり、春の匂いが漂ってきた頃。俺は衰弱とやまいのため、息絶えようとしていた。


 長く続いた悪食で身体は骨と皮だけになっていた。髪の毛も抜け果て酷いありさまだ。ここまで生き延びたのが奇跡だ。だがもうだめだった。


 終わりを覚悟した俺はせめて日向ひなたをと願う。日が昇り、小窓から温かな光が差し込む。


 埃がキラキラと陽光に反射していた。それを見ていると、ふといい考えが浮かぶ。


 人が強い恨みをもって死ねば悪霊レイスになるという。

 俺の命はやつらに奪われる。復讐を願ったがかなわない。だけれど、死んだ後ならどうだろうか? 俺は外に出れるのではないか?


 俺はやつらを許さない。文字通り死んでも許すことはできない。

 手を宙に向ける。皮膚病に冒された老人のような手が見えた。俺はじきに死ぬ。そうすればここから離れて、自由になって。


 外に出れるんだ。外に出れたら何をしよう? 

 復讐はもちろんするのだけれど、陽光と草の匂いがひたすらに恋しかった。



 ◆◆◆


『迎えに来たよ』


 今はもの言わぬ、朽ちたしかばねとなったヨベルのそばに、何者かが降り立った。


『ごめんね、遅くなって』


 何者かは、少女の姿を取る。屍の手を握ると、ふわりとヨベルだった魂が連れ出される。


『行こう。ここは君には相応しくない』


 少女に手を引かれ、ヨベルの魂は天に昇るのだった。



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