アダムの章 暁光歴959年
再生
不思議な空間に俺はいた。
周りが全部明るく、暖かい。ふわふわして心地よかった。
(俺はどうなってしまったんだろう)
体を動かしてみる。すいっと、宙を泳いだ。
(多分、死んだんだと思うんだけどな)
なんだか、現実感がない。心も驚くほど穏やかだった。
けっきょく、俺は
でもまぁ、もういいのかもしれない。
こうしてふわふわと漂っていると、とっても暖かくて、眠くて……。寝ぼけたような意識のまま、宙を漂っていたいと思う。
(気持ちいいし、……ずっとここにいたいな)
そう思っていた時だ。
声が聞こえてきた。
「――やはり、手遅れだったんだね」
「うん、可哀そうに、もう駄目だった。あと、ちょっと腐ってた」
「それは……、すまない。時間がかかりすぎたね、悪かった」
「クラリオンは悪くないよ。私の方が時間がかかりすぎたんだし」
「それでも、だよ。……とはいえ問題ないさ」
誰かが話している。
「魔力回路と記憶は
「うん、それでいいよ。前の人生は辛かったもんね」
声は近くなり遠くなり。寄せては返す波のように揺らぎをもって聞こえる。まるで水の中で聞く音みたいだ。不思議な感覚だった。
話している内容は理解できなかった。言っている事は分かる。言葉の意味も分かるはずだが、なぜか理解が出来なかった。
(この声たちは、誰なんだろう)
俺は話している声の主に興味が沸いた。やけに胸のあたりが温かくなる声だ。
(あっちかな……)
勘を頼りにただよっていくと……
(女?)
見つけたのは2人の女だった。少女といっていいほど若い。
……でも顔が見えない。モヤがかかったように認識できなかった。
曖昧なのは俺の頭か、視界なのか。
いぶかる俺とは関係なく、少女たちの会話は続く。
「うーん。目はどうなったの?」
「目は大事なものだ。ボクたちの“眼”でもある。新しく作ったものではあるけど、ちゃんと彼の目を再現した。君は彼を気に入っていたよね。もしかして、心配したのかな? 大丈夫。ちゃんと残したよ」
「……そ、そんなんじゃないし。わ、私気にしていない、よ?」
「ボクは、別にいいと思う。神だってお気に入りがいてもいい。多少度が過ぎて居ても」
相変わらず要領を得ない会話に耳を澄ませていると、気配を察したのか、二つの少女がこちらを向いた。
「あれ、ヨベル来たの?」
「ボクの領域内とはいえ、存在が薄いままで活動するのはよくないね。あまり動くと魂の
『君たちは俺を知っているのか?』
そう思った時、空気が震えて懐かしい声がした。俺の声。おかしな話だ。口も体もないはずなんだが……。俺は
見降ろすとその場にいたのは、彼女達だけじゃなかった。
男が横たわっていた。年のころは俺と同じくらいか少し年上。
「気になるかい。僕たちの最高傑作だ」
「新しいヨベルだよ」
『――新しい俺? どういうことだ』
俺の問いかけに、少女たちは面白そうに笑う。
「今はわからなくてもいいよ。身体に入ればすぐにわかる。――ああ、ちょうど
「よしやろっか。ヨベル、準備はいい? 痛くないから安心してね」
慌ただしく動き出す少女たち。
なんだ? 何を始めようとしているんだ?
戸惑う俺に構わず彼女たちは、歌うように言葉を紡ぎだした。
「「再生を始めましょう」」
二人の声がシンクロし、心地よい旋律を奏で始める。
「「始めるは、再生の儀式。新たなる使徒の誕生を祝う
オーダー
――因果律と対象の生命への同期を開始
レスポンス
――同期を確認。基幹領域界内、第二投射世界の
レスポンス
――フィードバックを確認。持続パスを生成。
――
「「続いて、魂の誘導と定着を開始」」
魂の定着シークエンス開始。カウントスタート
身体が引き寄せられる。元々浮いているんだが、なにかの力で引っ張られていった。少女たちは目を瞑り、歌とも呪文とも思える言葉を紡ぐ。
『何が起こってるんだ!?』
俺の意思を無視して向かう先は、あの謎の男だ。
『ちょ、ちょっと待ってくれ!』
何がなんだかわからないまま、何かされるのは怖い。
『何かされるにしても、せめて、せめて説明を!』
だが、俺の叫びに応えるものはいない。
男の体がぐんぐんと迫る。
(ぶつかる――!)
そう思った瞬間、俺の意識は真っ白になって途切れる。
「お帰りヨベル。そして誕生おめでとう」
耳元で、どちらかの少女の囁きが聞こえた気がした。
◆◆◆
――チクタク、チクタク、チクタク
小さな音が何重にも聞こえる。
何の音か。小さな音だ。規則的な……、これは何だ。聞いたことのない音だった。
「いつも思うんだけど、クラリンの部屋、時計が多すぎない? 一個でいいでしょ? 何でそんなにいっぱいあるの?」
「それぞれの世界の時を観測し表示している――っていう建前はあるけれど、実は趣味なんだ。この方が時空神っぽいでしょう」
「え、じゃあこれただのインテリアなの? それにしてはちょっと可愛くないなぁ。レトロすぎるよ。お爺ちゃんの部屋じゃあるまいしぃ」
「ボクが落ち着くんだ。いいじゃないかなんでも」
彼女達が話している。さっき見た子たちだろう。
何の話をしているのか、ぼんやりした頭で理解できなかった。訳がわからないまま気絶して、訳のわからないまま目が覚める。最近こんなのばかりだなと思いながら、ゆっくり目を開ける――
「う」
視界いっぱいに顔が飛び込んできた。
「あ、気が付いた!? ハロハロー? わかりますか? だいじょうぶ?」
俺を覗き込むのは女の子だ。キラキラと瞳を輝かせ、興味深そうに見下ろしてくる。きれいな
「ねぇ、クラリン、ヨベルが起きたよ」
振りかえり別の娘に話しかけた。朝焼けの空を思い出すような、美しく長い赤毛が揺れる。
「はいはい、ミトラ。彼もいきなり覗き込んだらびっくりするだろ。ほら離れて離れて」
室内にいたもう一人の娘。
短く切りそろえた藍色の髪と、涼しげな
「身体の調子はどう? 魂は定着してるかな? 感覚に違和感はない?」
「身体って……、何のことだ?」
記憶がじわじわと甦る。あの不思議な空間に居た時ははっきりとしなかったが、確かに俺は死んだはずだ。あの暗くじめじめとした牢獄で。恨み言を言いながら……
「手、かこれは……」
俺の視界に映る自分の手はしっかりと筋肉が付き健康そうだった。牢暮らしで骨と皮だけになった腕じゃない。頭と顔を触る。少し感触が違うような……。
「これは……、誰だ?」
髪の長さが違う。髪質も。肌も前と比べ少し硬い気がする。
それに視点が……背も伸びている?
「うんうん、ヨベルかっこいいよ! とっても良き!!」
そういうと、赤毛の女の子が飛びかかる。首に手を回し抱きついた。
「――ま、まて。なんで? 抱きつくなよ!」
ふわりと柔らかい感触にふれ、俺は焦った。押し付けられたふくらみ。女の身体というのは、こんなにも柔らかいものか。石の牢獄生活を長く続けた俺には毒だった。やめてくれ、青い子が見てるだろうが! そう叫ぶ。
ジタバタともがく俺に、赤い娘は俺の頭を抱きかかえたまま離さない。彼女の髪から陽光のようないい匂いがした。
蒼い娘がため息をつき話す。'
「ごめんね。ミトラはそういう子なんだ。まぁ、そのままでいいよ。まだ混乱はしてると思うけど、まずは名乗らせてほしいかな」
おいまて、本当に、このままでいいのか?
そう疑問に感じたが、彼女は続ける。
「えーと。疑問は尽きないと思うけれど。とりあえず。――おめでとう、君は神に選ばれた。もう一度その人生をやり直す機会を与えられたのだ」
蒼い娘はニヤリと笑うと名乗る。
「ボクはクラリオン。時と空間を司る時空神の一柱だ」
続けて、赤い娘が耳元で元気よく言った。
「私はね! ミトラ・エル。特技は契約だよ! よろしくね、ヨベル」
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