月の娘
美しい娘だった。絹のようなつややかな銀の髪が窓からの薄月あかりに照らされキラキラと輝く。きめの細かい白い肌と、
薄汚れた布一枚を身に着けた身体は白くつややかで、まだ年も若いようだ。俺よりもかなり年下だろう。
最初はラインツが連れ込んだ
だがこの風体、これは……
「奴隷か」
奴隷と言われ、少女の眉毛か釣りあがった。
「奴隷じゃない! 私は、私は誇り風鳴きの民だッ!」
にらみつける目。強い意思を感じさせる。気高い魂だ。
それに整った容姿からおそらく谷の民の中での特権階級の娘だ。奴隷という言葉は彼女には屈辱的に聞こえたのだろう。
だが、実際は奴隷以外の何ものではない。
「おい! 女ァ! お前、命を助けてやったんだ、そいつを殺せ! 俺を助けるんだ!」
――呆れる。ラインツはさっき自分で言った事すら覚えていないらしい。もしくは出血多量と混乱で、自分で何を言っているのかわかっていないのか?
その証拠に、銀の少女の敵意は俺ではなくラインツに向いている。
「――き、貴様、さっき言ったことは本当か? 異教徒を皆殺しにしたと言ったなッ」
声が震えている。これは恐怖ではなく怒りでだろう。
ラインツの顔色がサッと変わる。
「私が行けば、皆を助けるといったのは偽りだったのかッ! ならば、みんなは、エルンや、ミールはッ! 答えろォ!」
今この場を支配しているのは娘の怒りだった。
その感情にあてられたラインツの頬が震える。わなわなと。これから起こる出来事への恐怖に慄いた。
答えろォ! と少女の鋭い問いかけが響いた。
「……こ、殺した。全員殺せと命じた。森の中でだ。つ、連れてきたのはお前だけだ」
そうだ。俺はその後の惨状を知っている。
お前たちは殺したんだ。
怒りが。
少女の怒りが悲しみに変わっていく。
すすり泣きが聞こえた。すすり泣きは徐々に号泣に変わる。
「――――あ、あ、あああ……、う、うううう……、ああああ!!!」
少女は崩れ落ち、涙を流した。
この娘は若いが異教徒たちの指導者なのだろう。騙され自身を犠牲に民の安全を担保したようだが、その約束は守られなかった。
愚かだ。こんなヤツらが約束をまもるはずがないのに。
「その男はもう死ぬ。俺が殺す」
冷たく告げた。
「騙され汚されたお前に同情はするが、俺にもすることがある」
――どうする?
と言外に伝えたつもりだったが返事はなかった。
「死者へのせめてもの慰めだ。この者に苦痛を伴う死を与えよう」
ラインツの額に手を置いた俺は、この愚かな男に死の祝福を与えることにした。
作成
癒しの力は光の粒子を伴う。だが現れたのは漆黒の粒子だ。それがラインツの足の傷に吸い込まれていく。
「な、何をした? ――あ、いた、いたい、ああ、いたいいたいたいぃぃいい!! 足が、あああ、俺のあしががあぁ!!!???」
傷がみるみるうちに裂けていく。腐臭を伴いならが、傷口から腐っていく。傷を癒す回復魔法の反転は、崩壊だ。
少し早すぎるか。効果が強すぎる。これではすぐに死んでしまう。
俺は少し制御を弱める。よし、これで苦痛が長引くだろう。
「いいい、いだい" いだい"ぃぃいい! やめ、やめてくれぇええ……ッ!!」
「駄目だ。お前が手にかけたすべての人間に詫びながら、死ね」
その中には俺や、ルルアは入るのだろうか。と思いながら。
傷口はぐじゅぐじゅと泡立ち、腐臭を放つ。
末端である足は青黒く変色しぶよぶよと汚らしく膨らみはじめた。
「いやだ、いやだ、いやだぁぁぁああ」
末端から徐々に死んでいく。肉が腐り落ちていく。それを見せられながら死んでいくラインツ。正気はもう保てないだろう。
「ああああぁぁあ――ッ ああぁぁ――ッ いやだァ…… た、助け……」
もうすぐだ。
もうすぐ、傷が心臓に達する。そうしたら、ラインツは死ぬ。
憎きエリックの部下だった男。
だが、俺の。ヨベルだった俺の友だった男。
ラインツとの記憶を思い出そうとすれば、いくつでも思い出せる。
だがそのすべてを憎しみが覆い隠す。
死ね、死ね、死ね。
許さない、許すものか。
お前は、俺の怒りによって死ぬんだ!
思考が憎しみで染まっている。いけない。思考が混濁している。
ダメだ。情報、そう情報は。いや、もういい。エリックはここには居ない。
それに今はこいつを――殺したい。
――そこで娘が俺の腕に縋りついた。
俺の意識は現実に引き戻される。
「ま、まって! まってください! 自分でする! 自分で殺すから、私にさせて!」
必死だった。眼に涙をたたえて、すがりついていた。
俺は、魔法の展開をやめた。
ラインツは息も絶え絶えで、すでに意識はないだろう。俺や娘がトドメをささずともじきに死ぬ。だが、それではだめなのだろう。
娘が、短剣を握りしめ、ラインツににじりよった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息が上がっている。おそらく人を殺すなど初めての事なのだろう。人は同族殺しに強い拒否を感じる。
俺だってさっきまではそうだった。
だが間接的にでも兵士を殺したことでその葛藤は消え失せた。一度だ。一度でもその道を踏み越えてしまえば、殺しの螺旋からは抜けられない。
「み、みんなの、かたき……、私は、やれる、やれるから……ッ」
止めるべきなのだろう。
俺がやるべきなのだろう。
だが。
「う、うわ――――ッ!!」
娘の短剣がラインツの喉元を刺し貫いた時、俺は言いようのない快感を感じていた。
◆◆◆
しゃがみこんだ娘に、自らのローブをかけた。荒い息を繰り返しているが、徐々に落ち着いては来ているようだ。
「もうすぐ夜が明ける。ここにいれば死ぬ」
俺は彼女に声をかける。
返事は無い。ただうつむき、涙を流していた。
放った火は、深夜から吹き始めた西風に煽られ、あっという間に広がったようだ。
今や砦のいたるところで燃え上がり天を焦がすほどで。
兵舎の外にも煙が立ち込める。脱出するなら急いだ方がいいだろう。
扉を開ける。炎の明かりのほかに、東の空が白んでいた。
夜明けが近いのだ。
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