草原、襲撃
現世に降り立った先は草原だった。遠くに、聖都イゼ・ウォレムの城壁と、岩山の上に立つ黄金の
穏やかな昼間だ。草原を吹き抜ける風が心地いい。
クラリオンの領域で体を得たときには、もうこざっぱりとした木綿のシャツを着ていたが、現世に降り立った俺にはすでに、外用の服が着せられていた。
長旅にも耐えられそうな、フード付きの灰色のローブと丈夫なズボン、皮のブーツだ。
あの女神たちにしてはセンスがいい。
落ち着いた色合いで目立たないし、動きやすい。肌ざわりもよかった。
ヨベル時代は何重にも折り重なった白や金色の荘厳なローブを着ていた。祭祀用ほどでなくとも日常で使うには装飾過多だ。冬は暖かいが重いし肩が凝るんだ。
それが無いだけで、俺の身がもうヨベルではなく身軽なアダムになったのだという実感がわいた。
「さて、これからどうしたものかな……」
クラリオンたちから力を譲渡された俺は、説明の間もなく地上に降ろされた。
彼女らはいつでも連絡がとれると言っていた。今この瞬間にも俺を見ているのだろう。ならば、必要な時は声をかければいいということか。
そう思っていたら。
『もしもーし! 聞こえるアダム!』
声が聞こえた。
『ハロハロー? こちらクラリンの領域から生配信中のミトラちゃんです!』
耳がキーンとした。
なんだこれは。
周囲には誰もいない。だが、耳元でミトラがしゃべっているようだ。
『いつでも連絡とれるって言ったでしょう? アダムの目が見たものは、こっちでも見れるし、何してるかもわかるようになってるの。へへ、これでいつでもアダムと一緒だね』
「俺の視界も追えるのか……」
なるほど便利なものだ。だけど、少しうるさいな。少し声を下げてほしい。耳元で聞こえるからやかましい。
『あ、ごめんっ、……これくらいなら大丈夫?』
「――ああ。それでいい」
なるほど、遠見の魔法ならぬ、遠声の魔法とでもいうのか。
これでいつでも連絡がとれるのはありがたい。
だが、今のやり取りで大きな疑問が生まれた。
「もしかしてだが、俺の方からは考えただけで意思が伝わるのか? 気のせいならばいいが、今、口に出していなくても伝わったように思えたが」
ミトラの声がうるさい。それは口に出していなかったはずだ。
だが彼女はそれに反応した。そうであれば。
こちら考えがすべて筒抜けということだ。
『あー、うん……、今はそういう設定になってるね。……ううん、アダムも困るよね。考えたことが全部伝わっちゃったら』
「そうだな」
俺が、やましい事を考えたら困るだろう? 例えば……。
胸だ。俺はミトラの胸を思い浮かべた。クラリオンの領域。俺が身体を得た直後、彼女は俺に抱き着いた。その時の感触を思い浮かべる。
やわやわだった。ふかふかだった。あのふくらみは、いいものだ。
聖人と呼ばれ、かしずかれた俺の周りに女はたくさんいた。例えばシスター・クロエ。見習いの少女たち。だがどれだけの胸をみても飽きる事は無い。
おっぱいは良いものだ。
そう、強く考えた。
『――――え、えええええ! な、何考えてるのぉおお??? 何、なんでぇ? 今急にそんな感じで、ええええ』
効果てきめんだったようで、ミトラは明らかにうろたえた。
「こういう事が起こったらどうする」
『そ、そうだよね! 困るよね! 私も困るっ、次に、アダムに会うときどんな顔したらいいかわかんない!』
「そうだろう。だからどうにかしてくれないか?」
『わ、わかったよ! ちょっと調整するね。うーん、こうかな……、これでいいかな? お待たせアダム。今相手に伝えようと念じながら、しゃべったり思い浮かべたことしか伝わらないようにしたよ』
「ああ、ありがとう」
……ミトラは可愛いな。明るくてキラキラしている。なぜかは知らないが、俺をめっぽう褒めてくれるし、やたらに気に入ってくれているな。その理由はわからないが、好意くらいは俺にもわかる。可愛いだけじゃなくて、時々色っぽい表情するし、髪の匂いがお日様でいいにおいだ。俺はそういうのに弱い。正直そそるよ。
『? どうしたの、アダム。急に黙って』
……よし、本当に伝わらないみたいだ。
「いや、なんでもない。ついでに視覚の共有も俺の自由にできないか?」
『え、うん。できるけど……。でもなんで』
「排泄の時、困るだろ? それともミトラは覗きが趣味か?」
『ち、違うよ!? わ、わかったよぉ!』
ミトラは俺のいう事を素直に実行してくれた。
この体は女神たちが作ったものだ。こんな約束、一方的に破る事はたやすいだろう。それどころか今は自由意思があるが、例えば彼女らの思う通りにしか動けなくなるように何かを仕込まれているかもしれない。
協力するからといって、すべて彼女らを依存するわけにはいかない。
俺にどれだけの自由があるのか、見極めが必要だ。
彼女たちが、味方だと信じたわけではないのだから。
「ところでミトラ。お前の権能っていうのはどういうものなんだ?」
「お、気になる? 気になっちゃうー?」
耳元がくすぐったい。にへへ、とミトラが笑ったようだった。
「何か戦う力なんだろう? だが、俺もそこそこに腕に自身はあるぞ」
『ふっふっふ、アダム君、神様の力をなめちゃいけないよ。使い方によっては私の力すっごいんだから!』
どうやらミトラはとても自信があるようだ。
もったいぶらずに早く話してほしいものだな。戦力の把握は早めに済ませたい。
『でも、ちょっと理解が難しいんだ。まずは、
「だ、誰かいないか! たすけてくれ――ッ!!!」
そんな時、悲鳴が聞こえた。獣の唸り声と、人の叫び声もする。
草原はいくつかの小高い丘が点在している。速足で丘を昇ると、街道が見えた。
荷馬車だ。そこに獣が群がっている。
あれはただの獣じゃない。魔物だ。魔物の群れに襲われているのだ。
『アダム、あれ!』
「ああ。見えている」
襲われているのは、荷馬車の御者である男と護衛が二人だ。応戦しているようだが、戦況は悪いな。獣の数が多すぎる。
さらに信じがたいことに、護衛の一人は女だった。
装備も、ほとんど普段着みたいなもの。必死で槍でけん制してはいるが……。
一方、魔物だ。
あれはグレイウルフという狼型の魔物だ。時々森から出てきて人を襲う害獣のようなやつ。一匹一匹はそれほど強くないが、基本的に群れで行動して、集団で獲物を襲う習性がある。
たいした魔物ではないが、一般人には十分過ぎるほどの脅威といえる。
護衛二人も徐々に傷が増えている。まだ被害は出ていないようだが時間の問題だ。
周囲を見回す。ほかに人は居ない。御者の男が必死で叫ぶが助けは無いだろう。ここに居る俺以外には。
『助ける?』
「ああ」
知らないふりをする理由はない。
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