空色の猫がいる塔

天城らん

空色の猫がいる塔



 はるかはるか東の土地。

 お日様が昇るずっと先に、悪い預言者を閉じ込めた塔がある。


 ★


「わたくしを予言者さまのいる塔に行かせてください!」

 城の大広間で、父王と王妃に告げているのは煌めく長い銀の髪を持つ少女。

 この国の末姫ユーエンだ。

「ユーエン、お前が会いたがっている予言者は数百年も昔にひとつの国を滅ばしたという悪人だ。それゆえに、魔法の塔に幽閉されておる。お前はそのことを知っていて、行きたいと申すのか?」


「ええ、存じています。それでも、会って確かめたいことがあるのです!」

 姫のすみれ色の瞳は、なにかを思いつめた様子だった。

 元々、物静かな姫であったが最近は一人で思い悩んでいる姿が見受けられ、父王も心を痛めていた。

 涙をこらえ縋りつく姫のただならぬ様子に、王の心は動いた。

「塔は、この国よりはるか東にある。

 城下を出て、山を越え、荒野も越えなければならない。

 ―――お前に、その覚悟があるのか?」

 父王が問うと、姫はたじろぎもせず強く頷いた。

 何が姫を動かしているのかはわからなかったが、王は必死な様子の娘の願いを聞き入れ、旅の供に腕の立つものたちを選りすぐり送り出したのだった。


 ★ 


 ユーエン姫の一行は、少数であったが王が選んだ護衛の騎士たちの活躍で、深い森も、盗賊のいる谷も難なく越えることができた。


 そして、予言者のいる魔法の塔が見えてきたのは、苦労して山を越え、荒野の前に立ったときだった。

 果てがないように見える荒野を前に、姫は一瞬絶望を感じたが、それでも諦めはしなかった。

 荒野に踏み入り数日がすぎた。

 塔は見えてはいたが、歩いても歩いて近づいているとは思えなかった。

 黒褐色の大地を時折り、風に吹かれた枯れ草が転がり、同じ風景がつづくばかり。

 それでも、姫は塔だけを見据え歩みを進めた。



 ユーエン姫一行は、城から出て半年の月日をかけてやっと塔にたどり着いた。

 見上げる塔は、天にも届くと思えるほど高くそびえている。

 姫は、桜色の唇をきつく結び、らせんに続く塔の階段を上り続けた。

 めまいがするほど、灰色の階段は続いていた。

(あの荒野を越えたのだから大丈夫。きっと、予言者さまに会える。会わなくてはいけない!)

 上がっているのか下っているのかも分からなくなるほど歩きつづけ、最上階にたどり着くまでに、さらに数日かかった。


 姫は、予言者にどうしても聞きたいことがあった。


 そして、確かめたいことがあった。


 悪い予言者だという噂が恐ろしくないわけではない。


 しかし、それよりも、自分の心を隠して過ごしていくことのほうがずっと怖かった……。


 ★


 重い扉を開けると、殺風景な石壁もあらわな部屋が目に入った。

 部屋の隅々まで見渡したが、人影はない。

 姫は、がらんとした部屋の中に駆け込んだ。

 ガラスのはまっていない穴があいただけの窓から青空が見えるだけで、あとは何もない部屋だった。

「姫、骨ひとつありません。もう予言者はいないのはでございませんか?」

 姫は、首を横に振り最悪の結果を振り払おうとした。

(予言者は死んでしまったの?

 いいえ、そんなはずない。

 彼は生きている!)

 姫には確信があった。

「みなさん、部屋の外に出ていただけませんか? 一人になりたいのです」

 護衛の騎士たちは、息を呑んだ。

 姫を守る騎士が、御前を離れるわけには行かないからだ。

「ここまで来たのです、どうかわたくしの思うままにさせていただけないでしょうか?」

 姫は命令するのを極力いやがった。

 どんな家臣にも命令をすることはない。

 だからこそ、姫は誰からも愛され慕われている。

 姫の願いは、いつでも命令に変わるものだと熟練の騎士は心得ていた。

「わかりました、姫の仰せのままに……。しかし、何かございましたらすぐにお呼びください」

 頷く姫を見ると、護衛の騎士たちは部屋を後にした。



 姫はその部屋で一人きりになった。

「予言者さま、いらっしゃるのでしょう? 

 わたくしは、この塔からはるか西にあるナーリー国の姫でユーエンと申します。

 予言者さまにお会いしたく参りました。

 どうか、お姿をあらわし下さいませ!」

 祈るように握りあわせた指先は白くなっていた。



 不意に壁と壁の小さな隙間から一匹の猫が現れた。


 それも、ありえない青い色の猫。


「予言をして欲しいのか?」


 静かな男性の声を発したのは、その猫だった。


 ★


 猫と姫の間に、沈黙が流れた。

 姫は、動揺を隠し切れず震える声で猫に尋ねる。

「貴方が、予言者さま……?

 いいえ、そんな……人間なはずです。

 黒い長髪に、ラピス色の瞳!」

 不吉な予言者とされていたため、姿絵など残ってはいないにもかかわらず、姫は予言者の姿を見たことがあるかのように断言する。

「数百年も昔の姿など忘れた。この魔法の塔に閉じ込められてからは、魔法使いどもにかけられた術でずっとこんな姿だ。

 ―――ありえない色の猫。

 これが、すべてを否定された人間の成れの果てだ……」

 自嘲気味に話す猫に、姫は声をかけることができなかった。

(なんて悲しそうなの……)

 姫は、予言者の孤独を考えると胸が痛かった。

「口を開いたのも数十年ぶりだろうか。一国の姫君が私のような『悪い予言者』になんの用だ?」

 青い猫は、窓枠に登るとひげをそよがせて姫を見た。

 確かに、猫はラピス石と同じ深い青色をしていた。

「『悪い予言者』なんていません! そうですよね!? そうおっしゃってください!」


「姫、私に何を望むというのか?私の悪い噂を聞いたのではないのか? 

 私の予言で数百年前ひとつの国が滅び、街も城もすべて津波が飲み込み、後には何も残らなかった。

 残ったのは何も語らぬ瓦礫のみ。

 人の骨すら既に土に返ってしまった。

 ここまで来る間に見ただろう、果てしなく続く荒野を、黒褐色の広い大地が王国の成れの果てだ。

 皮肉にも、王の怒りをかい魔法の塔に閉じ込められた私だけが生き残ったのだ。

 それでも私が『悪い予言者』でないというのか?」

「国が滅びることを願い予言することなど、本当にできるのでしょうか?」

 姫が聞きたかったことのひとつがこのことであった。

「予言というものは自分の深い心の底を反映するものなのか。夢を見るから起きるのか、予者がいなければ、災いは避けられるのか……。この世になぜ予言者が生まれるのか。貴方さまなら、お分かりになるのではと、すがる思いでやって参りました」

 姫は、『予言者』がいるから災いが起こるのだと言われたときの覚悟をしていた。

 しかし、青い猫が語ったのは意外な心の内であった。

「どうだろうな……。姫が信じようが信じまいが、私は眼下に広がった国を守りたかった。白い帆のような屋根が泡立つ波のように揺れる、美しい港を私は愛していた」

 猫は窓枠から落ちそうなほど身を乗り出して、黒褐色の荒野を見下ろした。

「私が滅びを見なければ、予見しなければこんなことにはならなかったのかもしれない。私が見なければ、予言者がいなければ……」

 姫は、猫が窓から落ちてしまうのではないかと思いとっさに抱きしめた。

「だから、ずっと猫の姿のままでいるのですか?

 もう、国もなくなり、貴方の姿を変えた魔法使いもとうに亡くなっているというのに……」

 姫の胸に抱きしめられた青い猫は、戸惑った。

「……お前は何をしにここへきたのだ? 予言を受けに来たのではないのか? 

 国が滅びて後、私に会いに来たものたちはみな、邪まなものたちであった。

 予言で憎いものを殺して欲しい。

 金持ちになりたい。

 国王になりたい。

 なんと愚かな者達だ。

 予言など無力であるというのに。

 見えゆる限りのことを教えてやったら、喜んだものもいれば落胆したものもいる。

 絶望してここから飛び降りたものもいたな……。

 私の予言は確かに外れたことはない……。

 しかし、当たるかどうかはそのときになるまで分からぬではないか、悪い予見が当たることなど私は望んではいないのに」



 姫は、滑らかな猫の頭を優しく撫でた。

「悪い予言は、外れることを願うものです。

 そして、抗わなければいけません……そうしなければ、予言の意味もなくなってしまう。

 預言者とは人の幸せを一番望むものです。そうですよね?」

「――― 姫、貴方は!?」

 青い猫は、驚きながらユーエン姫を見上げた。


「予言の力があるというのは、罪なのでしょうか? なら何ゆえこんな力があるのでしょう?」

 姫の涙が、青い猫の毛を静かに濡らした。

 だから、猫は正直に答えた。

 それが例え、姫の望む答えでないとしても。

「私は、数百年この魔法の塔でそのことを自分に問い続けてきたが、答えはでなかった……。

 はるか遠い国から来たというのに、何の答えも得られずさぞ気落ちしただろう」

 猫は、はるか遠くから苦労してここまで来た姫の心中を思うと同情せずにはいられなかった。

 しかし、姫の答えは明るいものだった。

「いいえ。気持ちが軽くなりました。偉大な予言者さまが数百年考えて出なかった答えがわたくしに出せるわけがありません。

 予言者さまがすべてを受け入れたようにわたくしも、答えを求めず受け入れるしかないのです」

 それは、とても明るい笑顔だった。

 彼が、数百年前に失った白い帆布の屋根がはためく愛すべき国を見た時のような、さわやかな風が、予言者の心を吹き抜けてゆく。

「ひとこと言わせてくださいませ。予言者さまはご自分の国を好いていました。

 滅びなど夢にも思わず。だから、王に予言を避けられるように進言なさった。それが皮肉にも王の怒りをかってしまいましたが……。貴方は、そのときの最善を尽くしたのです。貴方は悪くない。

 わたくしたちは、よい運命を応援し、悪い運命には抗う手伝いを全力でしなければいけないのですね。それが予言者の使命……」

「ユーエン姫、貴方は予言者なのだな」

「やっと、わたくしの力も役に立ちます。大予言者ハヌル様、わたしには貴方さまが人のお姿でわたくしの国にいる様子をここへ来る前からずっと見ておりました。

 それがもし災いならば止めなければとも思い確かめにまいりました。

 貴方様は、決して悪い予言者ではありません。

 それに、わたくしの夢のなかで貴方さまは笑っておいででした。

 これは叶った方がよい予言だと思うのですがいかがでしょうか?」

 姫の銀の髪がさらりと猫の頬に触れた。

 それはとても柔らかで、予言者の心を溶かしていった。

「甘美な予言だな……」

 猫は、初めて笑った。

「信じてくださいますか?」

「私が訪れれば、姫の国が滅びる予言をするかもしれない。それでも貴方とともに行っても良いのだろうか?」

「あなが予言しなくても、そのときはわたくしが予言することでしょう。ならば、ともに運命に抗っていただけませんか? 

 わたくしひとりでは、ずっとくじけそうだったのです」


 空色の猫は、魔法の塔を出た。


 すると塔は崩れ、砂になった。


 国が滅び、魔法使いが死んだときに、すでに予言者への術は解けていたのだ。


「あんなに疎ましかった空色が、今は鮮やかに見える」

 人間の姿にもどった予言者は、青い空に手をかざし微笑んだ。



 捕らわれていたのは、預言者自身の心。


 二人の予言者は、希望の国に向い一歩を踏み出した。



 その後、ナーリー国では黒髪にラピス色の瞳をもつ予言者が、大予言者ハヌルとして人々に慕われ、先読みの姫と共に国を支えたという。


 ☆end☆



お題、『空』 『猫』 『塔』でした。


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