第十話 『裏切り』

 空を切り裂いた槍の一薙ぎが、ひと房の髪の束を切り落とした。

 次ぐ突きを弾くと槍は形を変え、蛇腹の刃となって払われる。

 しなる刃をロゥリエは兎のように跳ねて躱し、宙に舞う勢いを利用して八代の手を蹴り上げて弾いた。無防備になった胴に蹴りを入れて、詰め寄られた間合いを開き直す。

 だが、蛇腹の刃が新たな武器への変質の燐光を纏って、ボウガンへと形を変えた。

 矢は既に、番えられている。

 鏃が向く先には、戦闘を避けて逃亡を続けるアンリエッタがいる。


「アンリエッタ! 避けて!」


 ロゥリエが声を飛ばす。

 アンリエッタは逃亡の足を止めて振り返る。その視界に、必死の矢が飛び込む。


「ッ!」


 地面を蹴って光速に達し、ロゥリエはアンリエッタを押し倒す。

 矢は、コンクリの壁に突き刺さって速度を失う。

 間一髪の回避に成功するロゥリエは、すかさずアンリエッタを起こして入り組んだ構造の路地裏から大通りに飛び出した。



 アンリエッタと二人、大通りの歩道橋や車の影に潜りながら迫る八代から二人は逃亡を続けていた。

 走りながら、アンリエッタが問う。


「どうして反撃しないの!」


 大通りに八代が姿を現したのを確認し、構えたボウガンの向く先がアンリエッタの頭上の電子看板だと気付いてロゥリエは地面を蹴った。

 一拍早く、矢が看板の支えを射貫いて看板が自由落下する。

 蹴飛ばして、ロゥリエは着地と同時にアンリエッタを再び路地裏に誘導した。


「反撃すれば無害を証明できなくなる。今はとにかく、アンリエッタが離脱する隙を作る」


 言って、ロゥリエは路地裏の渓谷の下から狭い夜空を仰いだ。


 今宵は満月だ。月明かりが良く注いでいる。

 路地裏で明滅している照明を見やって、ロゥリエは奇策を閃いた。


 ──


 路地裏に飛び込んでいった竜人二人の後を追い、八代もまた路地裏の闇の中に身を投じた。


 短剣を握り締め、足音と魔力を殺しながら闇の中を進むそれは、さながら暗殺者のようで。

 息を殺し、気配を殺し、存在を殺す。


 それでいて自分は辺りの魔力反応を検知する無線機に搭載された補助機能を瞬きほどの間だけ使用して、竜人の所在を特定する。

 三時の方向に固まっている反応が浮かび上がった。


 一気に、闇の中を駆け抜ける。

 忍びのように軽快な動作で、反応のあった通りへ躍り出る。

 路地裏をすぐに抜けて、巻いたつもりでいたのだろう。


 人間の技術力の高さを侮った二人の竜人の姿がそこには──なかった。


 あるのは、濃い魔力反応を放つゴミ袋が二つ。


 ——接触物への魔力残留……!? どこでそんな技術を……!


 思い当たる節はただのひとつだけ。

 旧書庫で監視されていた間にロゥリエは学んでいたのだ。人間の肉体における魔力の操り方を。


 辺りを見やる。

 一面硝子貼りの摩天楼が伸びるオフィス街。

 そこを貫く道路の真ん中に、ロゥリエが立っていた。握る短剣を再びボウガンに持ち替えようかと、魔具に魔力を流した刹那。


 背後に、巨影が降り立った。


 巨影の着地の衝撃で、辺りの摩天楼の硝子が一斉に弾ける。

 振り返ると背後には、菖蒲色の鱗を纏ったすらりと長い躯体が特徴的な竜が舞い降りていた。

 アンリエッタだ。

 的を大きくしてくれて助かる。

 辺りの宙を舞う硝子の雨を魔具の変質に巻き込む。

 原型はボウガンのまま、打ち出す矢を槍に置き換え、更に形状を付け足しあの竜の心臓に撃ち込む。

 月明かりを乱反射する硝子が渦を成し、手の中で新たな武器への変質を開始しようとした瞬間。


「星海と成って」


 白い竜人が、何者かに向けて放った言の葉。

 次の瞬間。世界から光が消えた。


 一寸先さえ見えぬ闇の底。遠近感も何もかも失いかねない漆黒。

 世界など端から存在しなかったのではないかと錯覚を起こすほどの闇が続いた、数拍後。


 視界が鋭く光った。


 闇とは相反して、世界が眩く光り輝く。

 光は激しさを増していく。


 それは手の中に形成していた硝子の武器の輪郭が明瞭になっていくほど激しさを増して、武器としての形が完成される時には、激しい光の影響に目は開けなくなっていた。


「なによ……! これッ!?」


 武器を持つことさえままならなくなった八代は、慣性に従えられてアスファルトに叩きつけられた。


 落としたボウガンを持ち上げて竜に向けるが、竜は既にボウガンの射程からは逃れている。

 硝子の武器をいくら変質させても手の届かぬ高度まで、瞬く間に竜は羽ばたいて行った。

 竜の姿が闇夜に消え、沈黙——否。嵐の前の静けさが訪れる。


「聖華。もう止め——」


 静けさを祓ったロゥリエの声は、しかし飛び掛かった八代の手によって遮られる。

 手には短刀が握られていて、ひらりはらり、と舞うように刃を躱すロゥリエに八代は込み上げてきていた激情を言い放った。


「本気で戦いなさいよッ! なんで反撃してこないのよ!」


 短刀を長槍に。

 突き、振り払って、蛇腹の剣へ。

 逃げ場など残らぬ包囲の斬撃を浴びせるが、やはりどれもロゥリエには届かない。

 いくらこちらが隙を晒してもロゥリエから反撃はない。


 手を抜かれている。

 遊ばれているのだ。


 始めは疑惑だったそれは、心の淵で知らぬ間に確信にまで育っている。

 と同時に、どんなに手数を尽くしても傷一つ付けられない自分をせせら笑われた気がして、激昂した。


「私に殺す勇気も、それだけの実力がないって思ってるんでしょう! そんなことないって、今ここで証明してやるわ——」


 束の間、ロゥリエに浴びせられていた攻撃の雨が止む。

 刹那の沈黙。

 音もなく、何かの表裏が反転する。


可変式構築魔術機構搭載魔具レヴァテイン兵装放棄パージ——」


 詠唱を聞いたロゥリエは、八代の握り締める硝子の剣が全く別の存在へと切り替わろうとしている気配を感じ取った。


 彼女の手の中に現れようとしているモノの正体を知って、ロゥリエの足が瞬間竦む。


 ——……あれは間違いなく『竜殺し』の武器になろうとしてる。

 ——急所に当たれば、間違いなく死ぬ……!


 竜の本能が警鐘を鳴らす畏怖。

 深淵の底から這い上がり、迫り来るそれを前にしてロゥリエは戦闘を開始して初めて本気で身構えた。


 けれども、それとは別で。こちらに近づく気配をロゥリエは感じ取った。

 何か、近づいてくる。

 それも猛烈な速度で。止まる事を知らぬ全速力で。


「やっと本気を出してくれるのね。……出し惜しみはなしよ」


 八代が詠唱を完了させ、魔具に記録されていた竜殺しの魔剣を生成するよりも早く、『それ』はロゥリエと八代の不毛な争いの中に飛び込み睨み合いに終止符を打った。



「——悪い。少し遅れた」



 言いながらロゥリエの前に、ひとつ人影が降り立つ。

 人影はやがてロゥリエに朱殷の外套を手渡すと、静かに向き直って八代に視線を向ける。

 双眸は、虹の色彩を放っている。

 宿るのは、軽蔑。厭悪。拒絶。

 ひたすら存在を受け入れない排他の視線が注がれて、八代は言葉を失った。


 虹瞳の屠竜師——真哉が口を開いた。


「八代さんのこと、信じてたんだ。ロゥリエを傷つけることはないって。……ロゥリエのことを人間として見てくれてるって思ってた」


 紡がれた声は悲愴に満ちていた。

 書庫に出向いてまでロゥリエに謝罪を伝えようとしてくれていた八代のことを、真哉は少なからずロゥリエの存在を受け入れてくれる数少ない理解者の一人だと思っていた。


 しかし実際には、命令が下ればロゥリエに対して危害を加え、あまつさえ竜殺しの武器で彼女の存在を消し去ろうとしたのだ。

 それは真哉にとって裏切りと同義で、心を許してはいけない敵対者の一人として認識するには十分な行いだった。


 真哉の悲嘆を聞いて、八代は鼻で笑い肩を竦める。


「貴方が被害者面しないでよ。……先に魔導局を騙したのはそっちでしょう」


 武器への変質を中断し、魔具を長槍へ。

 稲先を真哉に向け、魔力を回し、一撃で真哉を仕留める為の要因を揃えていく。

 敵性を認められた竜を守ろうとしているのだ。

 許されていいはずがない。

 地面を蹴って、八代は飛び込んだ。



 次に視界に映ったのは、アスファルトの敷かれた道路だった。



 氷の盤上のように冷えた道路に押さえつけられていると認識したのは、それから数秒後のこと。

 ロゥリエが間に入って真哉への一撃を阻止したのかと思考するが、答えは違った。


「これでも君よりも長く魔導を教育されてる。……君は、僕には勝てない」


 背中に腕を回して抑え込んでいるのは真哉だった。

 どうやって躱されたのか。抑え込まれたのか。まるで分からない。

 何ひとつとして認識できなかったが故に、間にある圧倒的な力の差を理解できた。

 理解出来ても、認めたくはなかった。


「ふざけないで! 自分の責任から逃げてきたくせに! 戦える力があるのに、その責任を果たさないなんて卑怯よ!」

「……」


 ぶつけられた糾弾。

 傍観者だった藤上真哉を。逃亡者だった藤上真哉を。

 彼女は、どうしようもなく憎んでいる。


「力があるのに、見て見ぬふりをして逃げているだけだったくせに! なんで……ッ、なんで私がそんなあんたに負けなくちゃいけないのよ……!」


 怒りは悔しさに変わって少女に牙を剥く。

 唇を噛んだ八代の耳に取り付けられた無線機が、無機質に光を帯びた。


『藤上を屠竜師として受け入れる。ロゥリエ、アンリエッタも保護対象になった。これ以上の危害は離反行為に見なされる。……悪いな。お前を藤上の実力を測るのに利用するような真似をした。今日はもう休め』


 相変わらず不愛想だが、不器用な気遣いのあった堂島の言葉。

 今さらな通達だったそれに、普段ならば返していたであろう文句のひとつも返す気になれなかった。


「もういいわ。離して」


 言うと存外すんなりと真哉は腕を解放した。

 立ち上がって、真哉とロゥリエには目もくれずに歩きだす。

 堪えていた感情が堰を切ったように溢れてきて、胸の中で大きな濁流になった。


 何もできなかった。

 真哉に対してだけではない。ロゥリエにも、アンリエッタにも、堂島にも。


 何ひとつ、成せなかった。

 真哉の事を傍観者だと罵ったが、果たしてそれは正しかったのか。

 あの場で何一つ成せなかった自分の方が、よっぽど無力な傍観者だったはずだ。


 結局、私は半年前と何も変わらない無力な子供のままだったと思い知った。


 ――


 緩やかだが長い坂道を超えると、南区の一際高い高台の上には、ひっそりと静かに佇む教会があった。


 些か広すぎるくらいの中庭と正面の門扉の内側に広がる石畳の花咲く庭。山肌を切り拓いて広がる無数の十字架が並べられた裏手の共同墓地。

 どれもその施設を単なる教会として見るには規模が大き過ぎるように思えた。


 街を迂回するため入った山を降り、教会の裏手の共同墓地に足を踏み入れる。

 教会には外部からの侵入を拒む結界が張られていたが難なくそれを突破し、更に内部にあった侵入者を知らせるための警鐘の境界線を躊躇いなく踏みつけた。


 地下にガンドの気配を感じる。



 共同墓地の地下深くに視線を寄越していると、教会の一階の窓が一瞬光った。



 銃声が鳴る。

 銃弾が頭を殴りつけ、頭蓋を吹き飛ばした。

 相手に対話をするつもりはないようで、続けざまに銃口が窓という窓から向けられる。

 そして引き金が引き絞られる。

 銃声、銃声、銃声——無数の銃声が鳴り響いて弾丸の雨が肉を抉って切り裂いていく。


「ただ会いたいだけなのに……」


 正面に魔法陣を展開。

 弾丸全て弾き返す魔法陣の威力を前に、銃声はピタリと止んだ。

 全ての弾丸が弾道をそのまま一八〇度逆転して、狙撃手たちの頭と喉に食らいついたのだ。

 静寂が訪れる。

 教会に歩み寄っていくと裏口の扉が開かれて、そこからぞろぞろと白い外套の集団が現れる。全員が手に剣、槍、斧、ライフルといった凶器を携えている。

 数にして二十人。屋根や屋内からの狙撃を狙う者たちも含めると三十は固いか。


「……そこを退いて。あのひとに会わせて」


 願いへの解答は、猛りの号砲と響く銃声だった。

 

 銃声が鳴り響いてからものの数分後。 

 共同墓地は真っ赤な鮮血に染まっていて、積み上げられた屍の数は優に二十を超えていた。


「はぁっ、はぁっ……」


 想像より遥かに体力も魔力も消耗していた。

 本来守護こそが本懐であるアンリエッタは魔力の総量が多くはない。

 そのなかで数十人の魔具を持った人間を連続して相手取ったのだ。

 魔力消費は普段の戦闘の数十倍に匹敵した。

 息つく間もなく次の外套たちが武器を構え、襲いかからんと足を踏み込む。


 ——こうなれば彼らを皆殺しにしてでもガンドの下に……!


 思考した直後だった。



「何事かと思えば見たことある顔じゃねえか」



 声には、覚えがあった。

 否。正確には声の気配にだ。

 声色や高さは全く聞き覚えのない人間のものだ。

 だが、声が纏うただならぬ気配だけは覚えがあった。

 白い外套たちが出てきた教会の裏口の前に、声の主は立っている。

 短い一角に、脚を覆う竜の鉤爪の鎧。


「そんな……っ、死んだはずじゃ……」


 そこに居たのは、ミドゥルだ。


 あの荒々しい魔力を見紛うはずがない。

 ロゥリエに殺されたはずのミドゥルと同じ魔力の気配を持つのは、小麦色の長い金髪と血溜まりの色を双眸に宿した少女だった。

 以前ミドゥルを名乗った少女よりも幾つか歳が若く見える。

 目の前に現れたそれがはったりなどではなく正真正銘のミドゥル本人であることは、竜眼すら使わずに感じ取れた。

 だが、何故だ。

 ロゥリエに魂ごと砕かれて完全に死んだはず。生き返れるはずがない。


「驚いたろ。教えてやってもいいぜ。どうやってあの状況から蘇ったのかをな」

「貴方の蘇りの話なんて毛ほどの興味もないわ」

「そうか。……だったら死ねやッ!!」


 ミドゥルが口角を鋭く吊り上げて、大地を蹴った。

 天高く跳躍し、その脚には魔力が込めれられる。赤雷が脚に纏われていく。

 瞬間、地上に稲妻が落ちた。

 ミドゥルが放った蹴りが地面を隆起させる勢いで地上を叩くが、そこにアンリエッタはいない。

 近場にいた外套の一人から剣を取り上げ、ミドゥルに斬りかかった。

 だが、軽い動作で斬撃を躱すと、ミドゥルの全力の回し蹴りが腹に叩き込まれる。

 赤雷が迸って、内臓ごと腹部を一気に炙られた。

 地面を転がる勢いを利用して身体を起こし、握った剣を、視線の先のミドゥルに投擲して返す。


「んなもん効くかよ」


 空を駆けた剣を片手で弾き、ミドゥルが再び地面を蹴った。

 天高い超跳躍。

 飛び道具を持たないアンリエッタがそこに届くには、十分な足場か竜体を使う他ない。

 魔力の枯渇が懸念される中で、しかいアンリエッタは竜体となって襲い掛かることを選んだ。

 その安直な愚行が、命取りとなった。

 地上で竜へと肉体を作り替えていくアンリエッタを見下ろし、ミドゥルは嗤い赤雷を纏って地上に飛び込んだ。

 衝撃と轟音が辺りの山を駆け抜けて揺らした。


「雑魚共。仕事だ」


 共同墓地などなんのその。

 隕石が落下したかに思えるほどの巨大なクレーターを地面に穿ったミドゥルは、足下に転がる人間のままのアンリエッタの頭を鷲掴んだ。

 髪を引っ張られながら、雷に焼かれた半身を修復させながらアンリエッタはミドゥルを睨み付けた。


「ガンドを、……返しなさい」

「あ?」


 ミドゥルはアンリエッタの焼け爛れた皮膚を容赦なく掴んで、苦悶に喘ぐ彼女の表情に歪な笑みを湛えると問い返した。

 狡猾で悪魔的で歪みきった嘲笑。


「なんだって? えぇ? よく聞こえなかったなぁ」


 プッ、とアンリエッタは近づけられたミドゥルの眼に唾を飛ばす。


「ガンドを殺すだけに飽き足らず、彼の死体を弄んでおいて。許されると思わないことね」

「……」


 飛ばされた唾を拭う為、ミドゥルはアンリエッタの髪を手放す。

 苦痛に耐えながらもアンリエッタはミドゥルを見返しては不敵な笑みを浮かべる。が、その顔面に、ミドゥルの蹴りが叩き込まれた。

 血が撒き散らされて、折れた歯と抉れた眼球が散らばる。

 ほとんど意識なんて失いかけているアンリエッタだったが、このまま死ぬくらいならば一矢報いてから死のうと決意していた。


 奴にとってのトラウマを。


 決して勝てない存在に命を狙われることになると、脅してから死んでやる。


 ガンドの弔いはきっと、彼女がやってくれるはずだから。


「私を殺せば、……ロゥリエが黙ってないわよ」


 言うと案の定、とどめを刺しに躙り寄るミドゥルの足は止まった。


 顔面には驚愕と畏怖が貼り付いている。

 分かりやすくて結構だ。

 やがて双眸には疑念が浮上してきて、ミドゥルは怪訝な表情を見せる。


「なんでてめぇを殺すとロゥリエが出てくるんだよ」


 動揺しているらしい。

 虚勢の声の影で、いつかの敗北に怯えているのが手に取るように分かる。


 ここまで辿り着けるように逃がしてくれた友人の姿を脳裏に思い浮かべつつ、冷や汗を隠しきれていないミドゥルに向かって言い放った。


「だって、私とあの子はお友達だもの」


 きっとミドゥルには、一生かけても理解できない関係。

 きっとミドゥルには、生涯を費やしても現れないもの。


 告げるとミドゥルは目を丸くして言葉を失った。


 脳の処理が追い付いていないようで、ぎこちなくなれない言葉を反芻し始めたのは沈黙が挟まれた後のことだった。


「友達……友達ね。友達か……、くくくっ……! いいな! 傑作じゃねえか!」


 突然高笑いしはじめたミドゥル。

 ロゥリエへの恐怖心で脳回路が壊れてしまったのかと疑うが、そうではない。

 もっと純粋な愉快さから生じているものだった。

 あまりに長く笑うミドゥルを前にしていると、知らず苛立ちを覚え始めた。


 ロゥリエのことを馬鹿にされている気がして、気に食わなかった。


「何をそんなに笑って……! ロゥリエのことを馬鹿にしているのなら許さないわよ!」


 いきり立った声で叫んだ。

 目尻に涙を浮かべ、腹を駆けて笑っていたミドゥルだが、怒りをぶつけられると笑いを抑える為必死に深呼吸を繰り返していた。


 まだ微かに口角を吊り上げたまま、ミドゥルは笑いが引いていくと口を開いた。

 言葉はあまりに無礼で、遠慮がない。


「お前、ロゥリエに騙されてるぜ。あいつがお前と友達になんてなるはずがないだろ」


 言うと、アンリエッタは当然と言うべきかミドゥルを鋭く睨んでいる。

 眼光が語る。お前に彼女の何がわかるのだ、と。

 しかしそれはミドゥルとて同じだった。


 次に何を言おうが、アンリエッタが襲い掛かってくることは直感できた。


 故に、端的に。


 彼女が知るべきロゥリエの本性だけを、ミドゥルは言葉にした。



「ガンドを殺したのは、他でもないロゥリエ自身だぜ」



 ——は?


 そんなはずがない。


「なんだ。信じてくれないか。……ほれ」


 いま自分はどんな顔をしているのだろう。きっとミドゥルの言葉に思考を堰き止められて、呆然としているに違いない。


 ミドゥルは携帯を取り出し、一本の動画の再生を始めた。

 動画には、白い外套の集団が映っている。

 向けられたカメラを見やって、一人が街にカメラを向けるように指示を出す。従ったカメラは角度を変えた。


 そして確かに捉えていた。


 街の上空に広がった魔法陣が、眼下の巨竜に向けて一筋の光を打ち出す瞬間を。


 次の瞬間には巨竜はくずおれて、地に伏してしまう。

 カメラの解像度は悪く、光を打ち込んだ者の姿は鮮明ではないが、竜眼はそれが何者であったのかを裏付けた。



 ロゥリエだ。



 頭が真っ白になる。

 こんな経験は、もう何度もしてきた。


 それでも。


「……あいつが、」


 こんなにも早く、憎悪が浮かんできたことは他にはない。


 憎い。


 憎い。


 ただひたすらに、憎い。


「あいつが」


 笑顔も。優しさも。

 すべて保身のためだった。

 我が身可愛さから生じた、嘘偽り。



 あいつは、地獄に墜ちればいい。






「殺してやる」

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