第九話 『外套を取る』

 アンリエッタを連れて到着したのは、森からはそう遠くない廃墟となった雑居ビル。


 彼女が真実を打ち明けられた時、どんな反応を示すか分からない。

 現実を拒絶しようとして取り乱すかもしれないし、魔導局に狙われていると知れば逃亡しようとするかもしれないし、あるいは怒りに任せて襲われても仕方ない。

 どんなことになっても受け入れる覚悟はできている。

 できていた。……そのはずなのに。


「私は、その……」


 言い淀んで思考する。

 いざ言葉にしようとするが、上手く文章を組み立てられなかった。


 自分が犯した事の重大さは理解しているつもりでいた。だが、真実を語る言葉を喉の奥に汲み上げても、声にできない。


 ——謝らなくちゃいけないのに。どうして言葉にできないの……。


 自問してみても返答はなく、声を躊躇させるものの正体は不明瞭なままだ。

 複雑に絡み合った思考が解けることはない。怪訝な表情でアンリエッタが小首を傾げているのが目に留まって、意図せずその場凌ぎの問答をロゥリエは始めてしまった。


「ロゥリエ? どうしたの?」

「ううん。何でもない。……話したいことがあるの」


 言って、隣にいない真哉が魔導局に向かっていること。そこでアンリエッタの保護を堂島に頼み込んでいることを伝えた。


 アンリエッタに感謝されたかったわけではない。

 彼女とて竜の一人だ。

 書庫の書物にあった『竜の国』と呼ばれている南の大陸では竜と人の戦争が絶えず続いているという。

 そこで同胞や家族の命を魔導局に奪われていてもおかしくはない。


 しかし法には『無害を保証された竜、および竜人は魔導局の保護の下でのみ人間としての戸籍を与えられる』と明記されているのだ。

 アンリエッタも今後の無害を証明できれば、人間の世界で命を狙われ、身を隠しながら生きていく必要がなくなるはずだ。


 だが、アンリエッタから返ってきた答えは、予想外にも拒絶を示していた。


「保護してもらいたいなんて、頼んだ覚えはないわよ」


 冷たく突き放す声。

 声には嫌悪と怒気が混ざっていて、心なしか更に奥には軽蔑の気配すら感じられた。

 予想外だったアンリエッタの反応に面食らって、ロゥリエは目隠しの下で双眸を見開く。


「どうして? このままだと殺されるのに」


 問いかけるが、アンリエッタは反応を返してはくれない。

 静かにロゥリエから眼を背けて、やがて窓の向こうの満月の浮かぶ夜空を徐に見やった。

 目尻にひとつ、涙が浮かび上がる。

 それは愛した者の死に悼む心の発露であって、同時に記憶の奥から浮上してくる追憶への感傷で。


「魔導局に保護されることが嫌なわけではないの。ただ、その前にきちんと過去の清算を済ませておきたいのよ」


 告げて、ロゥリエが訊ねる間もなくアンリエッタは語り始めた。

 もう半世紀以上過去の記憶を。

 されどその記憶は彼女にとっては色褪せない思い出として、胸の内に大切に仕舞われていた。



 太平洋を巻き込んだ巨大な戦の嵐が過ぎ去った翌日のことだった。


 広い庭園を飛び回り、季節の花の香りと彩りを愉しんでいた昼下がり。

 ふと、島ひとつを覆い尽くす花園の一部が禿げてしまって、大地の土色が露わになってしまっていたのをアンリエッタは見つけた。


 アンリエッタの家系は竜の中でも闘争を好まない派閥に属していた。


 大地を覆う花園は、竜の国の本土に属していながら赫陸ではないことを隠すためのカモフラージュだ。

 ただ大地に広がるだけで竜にマナとの接続を促進させる赫陸は、人の侵略から竜の国を守るための戦場としての役割を持っている。


 血が流れることを嫌うアンリエッタの父親が同志を集い広げさせたのが、その花園だった。

 剥き出しになった土色を目にしてアンリエッタは焦った。

 小鳥と共に囀る朝が。月光の下舞い踊る夜が。平穏だった日々が失われてしまうと、どうしようもなく焦った。


 それから三日三晩を掛けて花園を一部の従者と修復しきった時。


 島の奥にある洞穴に、彼はいた。

 傷だらけの巨竜。鯨に似た躯体。蜘蛛のように多い脚と、こちらを睨む鋭い邪神の眼光。


 太平洋の戦争から生き延びてしまい、流れ着いたのだと、一目で悟った。


 引き連れていた執事の竜が言った。彼は別の派閥の竜だ。ここに棲みつかれて、本土の侵略派が捜索の為に島に乗り込む前に海に流そう、と。


 傷ついた竜が言った。自分は死んだ存在だ。誰も探しに来ることはない。人間の戦艦に穴を開ける為の特攻隊の一人だった。翼もその時に失くした、と。


 それがなんだ、と執事。ここは安寧の地だ。星の楽園だ。血で穢されることは決して赦されないのだ、と。


 聞いていて、飽き飽きした。

 しがらみだとか、掟だとか、そんなことは些事なはずだ。

 同じ竜で、同じ星に生きる者だ。

 ならば助けてあげなくてはいけない。


 そう思って、彼を我が家に受け入れた。


 まず教えたのは、他の動物たちとの接し方。竜より小さく諸い彼らは、基本的に竜を避けて暮らしている。

 それでもアンリエッタが小鳥と歌い、鯨と海を泳ぎ、蝶と共に舞えたのは、ひとえに彼らに心を開いていたからだった。


 次に人の言語について教えた。

 竜の住む島には、時折人間が放棄した文明の逸品たちが流れ着く。

 本もそのひとつだ。興味を示したのは、ガンドと新たに名付けてあげた巨竜の方からだった。


 それから歌を教え、作法を教え、舞う喜びを彼に教えた。


 出会ってから一つ、春が訪れた。

 巡り会ってから二つ、夏が終わった。

 共に過ごしてから五つ、秋が過ぎた。

 愛し合ってから九つ、冬が去っていった。


 彼と出会って数えきれないほどの月日が過ぎたある夜。

 その日は綺麗な満月だった。


 ガンドは本土からの来客との晩餐会に参加する為、館に足を運んでいた。

 これまで四〇〇年続いてきた竜の歴史において、決して手中に収めることの出来なかった極東の島国の首都を僅か一晩で陥落させた将軍が島に訪れているらしい。

 大慌てでガンドは朝日の下、島の大地を駆けていった。


 島の反対側で職務に追われている夫を思いながら、抱き寄せるまん丸い卵を撫でていた。

 中から響いてくる胎動。きっともうすぐ生まれる。

 私と、あの人の子供。

 どんな子供に育つだろう。

 どんな人を愛するだろう。

 期待に胸が踊る毎日だった。


 夜も更けて、近隣の竜の洞穴も寝静まった頃。


 不意に、物音がした。


 眠りから目覚めて、物音の正体を探る。ガンドだった。疲れ切った顔をしている。


 このところ仕事が立て込んでいて疲れが限界に達していたのだろう。

 くずおれるように、その場に倒れた。

 眠っているガンドに歩み寄って、起きるよう催促する。


 だが、起きない。

 何をしても、目覚めない。


 異変に気付いて、大きく声を上げて彼の意識を呼んだ。

 激しく揺さぶって初めて気づく。

 彼は、尋常ではない量の血を流しながらここに辿り着いていた。

 島の反対側からそうだったのか、道中からなのかは分からない。


 島の空を見やると、空は赤く染まっていた。


 地上に広がる戦火が花園を覆い尽くし、島の全土を焦土に変えていたのだ。

 侵攻してきたのは別の派閥の竜かと疑ったが、ガンドと我が子を抱えて空を飛ぶ最中で目撃した。


 海に浮かぶ無限の舟艇。後の超超距離魔導電磁砲レールガンの前身となる砲台を搭載した対竜戦艦の軍勢を。


 不意に、砲身の一つがこちらを向いた。


 砲身の傍らに佇んでいたのは、朱殷の外套を纏った一人の竜人。

 視線がかち合った刹那、砲身が唸りをあげて閃光が弾けた。


 それからのことは覚えていない。

 気が付くとガンドと二人、覚えのない洞穴に居た。


 ガンドと二人だけ。もうそこに、我が子の姿はなかった。


 我が子を失ってから、幾度か季節が巡った夏のことだった。

 食料の調達に出向いていたガンドの腕の中には、独りの朱殷の外套を着た人間の姿があった。死んでいた。

 ガンドが言う。

 人の国に行こう、と。


 殺されるかもしれない。貴方まで失いたくない。そう反発したが、ガンドは退かない。

 腕の中で事切れた人間曰く、人間は竜の胎児や孵化前の卵を捕獲し人間の施設で育てているという。人と竜の血を混ぜ合わせ、竜人化の仕組みや新たな竜の可能性を模索しているらしい。


 そして、その施設のひとつから先日一匹の竜が脱走した。

 その竜は美しい菖蒲色の水竜の躯体と、蜘蛛のような豪腕を持っていたという。

 ガンドが殺した人間も、その竜を追ってこの地に辿り着いたらしかった。


 その竜は我が子だと、確信した。

 それから多くの人里を襲った。

 人の国に。その社会に紛れ込むために。


 多くの人間の命を奪ってきた。



 語り終えたとき、ロゥリエの眼を見ることが出来なかった。

 人間の生活圏に踏み入る為に、大勢の命を奪った後ろめたさが胸の内に込み上げてきた。

 いくら家族の為とはいえ、他者の命を自己中心的な理由だけで奪ってきたのだ。


「これが私の原罪。これまでに奪ってきた命に報いる為、せめて彼の亡骸を弔わないと地獄で合わせる顔がないわ」


 自嘲混じりの苦笑い。絞り出された声は、微かに震えていた。

 やがて振り返り、アンリエッタは月光を一身に浴びる。艶やかな純白の髪は、月明かりに蒼く染まっていた。

 小さく笑みを浮かべてアンリエッタが頷いた。


「だから、清算が済んだらお言葉に甘えてさせて頂くわ」


 断固拒否の姿勢を貫かれるものだと身構えていたが、アンリエッタの同意の声に拍子抜けしてしまう。

 驚愕と安堵が立て続けに胸に起こって、無意識のうちに頬に笑みが零れていた。

 互いに心の内を理解していながら交わされた言葉は、形式的な意思の確認に過ぎなくなっていた。


「保護をお願いするわ。……もしかすれば、あの子に近づく手がかりが見つかるかもしれないもの」


 強く、頷き返す。


「うん。まかせて」


 どんと来い、と胸を打つ。

 アンリエッタが可笑しくなって笑う。気品を感じさせる仕草の一方で、幼い少女のような屈託のない笑み。ガンドが彼女を愛した理由が、すこしだけ分かった気がした。


 一頻り満足して笑い終えると、アンリエッタは目尻の涙を拭いながら視線をちらつかせはじめた。

 物言いたげな表情と視線。小首を傾げていると、アンリエッタは決心を固めたようでぎこちなく訊ねてきた。


「私と……お友達になってくれる?」


 言いつつ顔が真っ赤に茹だっていくアンリエッタ。遠慮がちに向けられる視線のおかげで、昨晩からその答えを待ち続けていたのだと理解した。


「うん。始めからのそのつもりだったよ?」


 答えを渋る必要も偽るつもりもなかった。

 アンリエッタに再び会うことを心に決めた時点で、彼女さえ許してくれれば友達になりたいと考えるようになっていた。


「ほんとう!? 大好きよ! ロゥリエ!」


 ぱぁっ、と花開いた表情で抱き着かれた。むぎゅう、と強い抱擁で彼女の豊満な胸が顔面に押し付けられる。


「お友達として、よろしくね。ロゥリエ」


 聖母の微笑み。

 安らぎと無償の愛を感じさせるアンリエッタの微笑は、廃墟の闇を照らす光のように温かで優しかった。

 頷いて、応の答えを返すとアンリエッタは窓の外の満月を一瞥して入ってきた扉に向かって歩き出した。


「どこに行くの」


 呼び止めるとアンリエッタは足を止め、微かな沈黙を挟んだ。

 呼吸ひとつ分ほどの些細な、だが明確な間。それが沈黙であることに、ロゥリエは気づけなかった。


 アンリエッタが背中を向けたまま振り返ることなく、行き先を告げる。


「北区にある教会よ。そこにガンドがいるかもしれないの。……全て終えたら、そこで待っているわ」


 言って、アンリエッタがドアノブに手を伸ばす。

 背中を見送るロゥリエだが、彼女を呼び止めて真実を告げることは出来なくなってしまっていた。


 アンリエッタが憤慨することを恐れていたわけではない。

 部屋に満ちる穏やかな時間を失うことが怖かった。


 ——……次に会うときに伝えよう。


 問題を先送りにしてしまったような後ろめたさが尾を引くが、せっかく赦された友人との時間を負の感情で穢すことはできない。

 見送る背中に再会を誓おう。

 そう、胸に浮かんだ言葉を掛けようとした時だった。


「またね、アンリ——」


 瞬間。

 背後の窓硝子が砕け散って、外部からひとつ人影が飛び込んできた。


 無駄のない受け身の動作の後、ゆらりと立ち上がった人影の手には、硝子の剣が握られている。

 月光に照らし出された髪色は青く、纏う外套は暗い血染めの色で──。


「何言ってるのよ。逃がしていいはずがないじゃない」


 窓を蹴破って飛び込んできた八代は、淡白な声色で吐き捨てると伏せていた面を上げ、ロゥリエを睨めつけた。

 硝子の剣が飛び散った硝子片を巻き込みながら形を変えていく。

 剣が持ち上げられ、剣先がロゥリエに向けられる頃には、一丁の洋弓銃ボウガンの形を成していた。

 突き付けられた鐙の奥には、変質と同時に番えられた矢が真っ直ぐにロゥリエの脳天を睨んでいる。


「聖華。これはどういうこと。真哉がアンリエッタの保護を堂島に頼んだはず。……真哉は屠竜師に戻る意思を伝えているのにどうして」


 無自覚な冷たい声で問い詰めていた。

 問いに応じる気はないようで、屠竜師の少女は携えたボウガンを両手で握り締める。

 引き金に、指が掛かる。


 ——……どうして。


 向けられる敵意に疑念が爆発しかけた時、真哉の声が脳裏に響いた。

 焦燥がひしひしと伝わる念話だった。


『ロゥリエ……悪い。僕が失敗した』


 ——……失敗? どういうこと?


 裏付けるように、八代が不敵な笑みを浮かべた。


「堂島さんに交渉を持ちかけた馬鹿がいたそうね。自分が屠竜師になるから、アンリエッタを見逃せって。虫が良すぎるのよ……」


 込み上げてくる怒りを声にして、八代はボウガンを突然、扉の前で様子を伺っていたアンリエッタに向けた。

 躊躇いなく、引き金が引かれる。

 矢は一直線にアンリエッタ目掛けて放たれた——が、不意にアンリエッタの眼前に現れた白い竜人の素手で呆気なく掴まれて、握力だけで真っ二つに折られた。


 間に割って入ってきたロゥリエは目隠しの下で八代に鋭い敵意を向けている。

 対する八代もまた、舌打ちすると軽蔑と憤慨をロゥリエに向けた。

 耳に取り付けた無線機を起動し、八代は無線の向こうの堂島に告げた。


「ロゥリエの敵性を確認しました。討伐を開始します」


 ―—


 机の上に置かれた堂島の無線機の音声には拡声機能が使われていた。

 ロゥリエへの攻撃の開始を宣言する八代の声。

 機械的な報告の声は、書庫での和解など忘れてしまったかのように冷たい。

 聞いた真哉は、向き合って座る堂島の眼を鋭く見返した。


「なんでっ……!」


 屠竜師になると宣言した途端に堂島は態度を変え、無線を八代に繋ぎ、ロゥリエ達の密会の奇襲を八代に命じていた。


 真哉がロゥリエに念話を伝えた時には既に八代が現場に乗り込んだ後で、八代はかなり近い距離でロゥリエ達を監視していたのだろう。


 いつ何時。どんな指令が下されても、ロゥリエとアンリエッタを殺せるように。


 怒り心頭した真哉に言及を受け、堂島は八代との無線をあちら側からの音声だけを聞き取れるようにして通信を続けている。


 刃鳴と衝撃音が立て続けにスピーカーから響いて、真哉はあちらの様子が気が気できないまま堂島との対話を強いられた。

 してやったり、と堂島の顔面には狡猾で卑劣な悪魔の哄笑が貼り付く。


「お前は面の皮が厚いようなのでな。少し緊張感を持たせただけだ。安心しろ。八代がロゥリエを殺すことはない。……お前が早く本音を白状するならばな」


 まるで真哉の心境を掌握したかのような言い草。

 こちら側からロゥリエへの攻撃の中断を伝えるつもりはないと断言した堂島に腹立って、気づけば椅子から身を乗り出していた。

 そのまま堂島に掴みかかろうとした真哉だが、その背後から不意に腕が伸びてきて堂島に向けて伸びていた腕を掴まれた。


「!?」

「だめよ。貴方じゃ堂島には勝てない。私に止められるんだから」


 背後から腕を掴んできたのはシエラだ。

 堂島に掴みかかる直前までその足元で寝息を立てていたというのに、気が付けば背後を取られていた。

 人間離れした動作の言及をする暇もなく、座っていた椅子に姿勢を戻される。

 肩を掴んだままの手と、底知れぬシエラの気配はまるで竜と同質のそれだ。

 視線だけを向けてシエラの顔を見やろうとすると、耳元に甘美な女の声が囁かれた。


「今は堂島とお話中でしょ? 私のことは無視していいから、ね?」


 総毛立つ脅迫。

 今は堂島以外を意識するな、とシエラが言ったのが理解できた。理解できたからこそ、戦慄した。

 空間を完全に掌握した堂島が言った。


「俺の質問に答えろ。お前の目的はなんだ」


 地獄の番人を想起させる低い声。

 ロゥリエの命を交渉の材料に持ち出されたのだ。質問に応じる気はなかった。

 念話でロゥリエに交渉の決裂を伝えた。


 ——ロゥリエ。交渉が完全に破綻した。八代さんを殺さずに逃げきれないか……!


 問いかけたロゥリエの視界は映らないが、存外余裕を持った念が返された。


『アンリエッタを無事に逃がしたら、わたしも逃げる。魔導局に迎えに行くから、持ちこたえて』


 ——……悪い。でも無茶はするなよ。


 ロゥリエから返答はない。微笑んだような感覚の気配がしたが、真実はロゥリエにしか分からなかった。


「もう一度問うぞ。目的はなんだ。アンリエッタの殺害を嘯く必要があるほどだ。大層ご立派な目的があってロゥリエを連れ出したんだろう」


 意識的に嫌味な口調で問う堂島。

 研がれた鋭い慧眼を向けられて真哉は、ひたすら黙秘を続けている。

 不意に堂島は、シエラに小さく目配せした。

 受け取ったシエラは堂島の意図を察して、真哉の肩に置いていた手を這わせて真哉の手を握ってきた。

 そして一指し指を絡め取るように、本来指が曲がることのない方向に持ち上げはじめた。

 悪寒が走る。脂汗が噴き出る。指が折られると直感した。


「言いますから! だから……離してください」


 自分の身に起きようとしている悲劇を理解して声を漏らすと、シエラはあっさりと手を解放した。

 堂島も耳を傾ける姿勢を取って、視線を寄越してきた。怪訝な視線を寄越す双眸には、冷淡な男の心を映す乾いた血色が満ちている。

 シエラには拘束され、堂島には最大の警戒を向けられたまま。

 ロゥリエと共に据えた目的を―あの白い少女の存在を打ち明けようとした。

 だが、こちらの胸中を完全に理解していたかのように堂島が突然口を開いた。


「八代からの報告にあった少女を探しているのだろう」


 一瞬時間が止まったかのような衝撃を受けた。

 八代から報告を受けて認識しているだろうとは予想してはいたが、八代と同じように戯言だの幻覚だのと一刀両断されるのが関の山だとばかり思いこんでいた。

 それだけに、堂島の口からその言葉が紡がれたのが意外で、驚愕と同時に混乱が思考の渦を掻き混ぜた。


「あの子のことを何か知ってるんですか!?」


 問いかけると堂島は顎を摩りつつ、シエラを一瞥した。

 肩に置かれていた手が外され、シエラは堂島の隣に腰かける。


 ——……解放されたんだよな?


 唐突な拘束からの解放に疑念は尽きることはなかったが、堂島が意識を誘導するように少女についての情報を言葉にし始めた。

 それも違和感を禁じ得ないほど、正確かつ詳細に。

 機密情報と言っても過言ではない内容の情報でさえ、堂島は躊躇わずに開示した。



 少女の呼称は、マナ。

 とはいえ、魔導局が直接少女と会話を交わしたことはなく、少女との間にコミュニケーションを図る事が不可能だと判断した魔導局が付けた仮称だ。

 しかしマナとは本来、星の大地と空と海を流れる星の力を呼称する魔導用語だ。

 それが人間の呼称としてつけられたことには、いくつかの要因があった。

 マナは一人ではないのだ。

 マナは世界中で観測されており、その度に年齢や性別が異なる姿で現れる。

 そんな不安定な存在を、特定の個人だと言い切る方法はただのひとつ。

 マナの持つ固有の特性にあった。

 マナは、その姿を見た者を土地の竜脈へと導く。

 星の魔力の循環の要の地へと誘う導き手故に、魔導局はその存在をマナと名付けていた。

 もう何年も前から頻繁に観測されている存在だが、最近になって魔導局は新たなマナの持つ法則性のある特性と事象を発見していた。

 ひとつは、マナが導いた竜脈からは突如、竜が姿を現すこと。

 そしてもうひとつ。


 マナが姿を現す直前には必ず、その時現れるマナと似た容姿を持つ人間が姿を消していた。



 堂島からマナの存在について知らされて真哉は、一斉に開示された情報の処理に追われつつも堂島に問いかけた。


「どうしてそんなことを僕に教えるんですか?」


 問うと、堂島は小首を傾げる。

 肩を竦めながら立ち上がった堂島は、デスクの傍らのハンガーラックに歩み寄ると自分のものではない朱殷の外套を二着手に取って、それを丸めて投げ飛ばしてきた。


 突然の行動に思考より先に体が受け取ることを選んでいて、遅れて困惑が訪れる。


 見返すと、堂島が言った。


「もう一着はロゥリエのものだ。……八代がロゥリエを殺してしまう前にさっさと行け。間に合わなければ、その程度だったと判断して返してもらうぞ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る