第三話 『其の死を染める』
程なくして地下施設の入り口から、一筋の光が差し込んだ。
光を背に浴びながら現れたのは、一人の女性。
赤い双眸の下には大きな隈を作り、手入れの間に合っていない黒髪が乱雑に広がっている。それに似合わない朱殷のゴスロリと状況が、彼女もまた屠竜師の一人だという事実を真哉に認識させた。
「頼まれてたもの持って来たわよ」
言って、闇のなかへ踏み入る女性。
一瞬視線は真哉へと向けられて、目が合うと女性は柔和に微笑んだ。
「シエラよ。よろしくね。藤上真哉君」
舌先で言葉を舐めるような妖艶な発音。
ゴスロリには似合わない妖艶さを纏うシエラが眼前を過っていくと、後を追って煙草の香りが甘ったるい香水の香りと混じって鼻腔を突いた。
シエラはやがて一枚の長い布を広げて、ロゥリエに手渡す。
それは、見事な朱殷の生地に金色の刺繍が光る、魔導局の象徴たる竜殺しの聖剣の紋章が刻まれた目隠しだった。
「これ。あなたに」
差し出された目隠しをロゥリエが受け取る。
何のために、とロゥリエが怪訝そうに布とにらめっこしている。
そこに二人の会話が聞こえていたようだった堂島が割り込んだ。
「ロゥリエ、お前は目を隠せ。心眼で大抵のものは見えているかもしれないが、また眼を開かない保証はない。お前が眼を開くと横のそいつがうるさいんでな」
堂島の意図を汲み取ってロゥリエは快く頷くと、渡された布を巻いて目元を覆い隠していく。後ろで布を交差させ金具で固定した。
「真哉。見て。似合ってる?」
訊ねられて真哉は困惑を隠せない。
人間のような仕草をしているが、彼女は竜人。人間の敵だ。心を許すことは出来ない。
真哉の苦悩などつゆ知らず、ロゥリエは回答を待っていた。だが、真哉がそれに返答することはなく、
「話は済んだな。これが最初で最後だ。害がないことを証明してみせろ」
堂島の言葉で、地下施設を後にする。
ロゥリエは真哉の横に肩を並べると、地上に思いを馳せて微笑んだ。
真哉は未だその笑みを受け入れられない。
彼女は人間ではない。
その本質は人間に害をなす竜なのだ。
内心で強く自分に言い聞かせて、ロゥリエを一瞥する。
突き刺す視線を向けられてロゥリエは僅かに俯いた。
抑揚の少ない表情とは裏腹に、視線を感じ取った彼女の傷心は何故だか強く感じ取れた。
――
槍のひと突きが、頬を掠め皮膚を裂いた。
「ッ!」
「おいおいおいおいっ! 興ざめだなァ! あァ?! 何が殺すってェ!? 誰を殺すってェ!? 教えてくれよ! なァ!!」
繰り出される突き、突き、突き。
紙一重、間一髪、首の皮一枚。辛うじて命を繋ぎ止め、拾い上げながら、繰り返される連撃をアンリエッタは躱し続けていた。
攻撃に転じる隙がない。
それもこれも全て、男振るう竜殺しの
攻撃に転じようとする度、脳裏に喉笛を貫かれる自分の姿が映り込む。腸を引き摺り出される自分の姿が。脳を貫かれる自分の姿が。
自分の死相が、ひたすら脳裏を支配し攻撃をするのを躊躇わせる。
これでは埒が明かない。一度振り切らなければ、このまま消耗を誘われ殺される。
複数同士での戦いならばいざ知らず、アンリエッタは一対一においてあまりに無力だった。
こうも反撃の隙がないと、凌ぎ切るので精一杯だ。
「ああ、もうっ!
迫った横薙ぎの一閃。
腰を落として躱し、掌に魔力を収束する。
『潔癖』『純潔』——収束した魔力に己の魂に秘められた概念を書き込んで、魔力を燃料に、魔法を編み出す。
編んだ魔法は、穢れを拒む処女神に通ずる其れ。
白い燐光を伴う一撃を、男の隙だらけの腹に打ち出した。
「ッ!?」
僅かに魔法が男の胴体に触れただけで、男の体は数十メートル軽々と吹き飛んだ。
しかし威力は程度が知れている。そもそも攻めに向いた魔法ではないから。
守ることこそが、アンリエッタの発動する魔法の本懐である以上、これを超える攻め手はない。
とはいえ、威力は当然竜のそれだ。
吹き飛んだ男は突然の反撃に受け身を取れなかったのか、コンクリの壁に激突すると正直に背中から激突して呼吸を乱していた。舌を噛んだのか、血の混じった唾を吐き捨てていた。
「終わりよ。死んであの世で彼に詫びなさい」
「あ?……知るかよ、んなこと」
白々しい。男の持つ槍がガンドの命を奪ったことは明白だ。
ガンドの傷口に深く刻まれ、その魂の核心を打ち砕いた必殺の一撃の
あくまでシラを切り通すつもりらしい男に歩み寄ると、彼の引き連れてきた白い外套の集団のうちの一人が飛び込んでくる。
ナイフを持っていたようで、片手で軽く捻ってナイフを奪い取り、喉笛を掻っ切る。
ぴゅっ、と管楽器の音色に似た断末魔が鳴った。
槍使いの男の頭に、ナイフの切っ先を向ける。
「ここで死ね」
「待てって言ってるだろ!? 勘違いだって! 俺たちは、あの竜の死体を回収には来たけど殺しちゃいない! 今回の標的は別のやつだったんだ!!」
「……別の?」
思考を停止させる疑念。男の言っている言葉の意味を理解出来ず、アンリエッタは思わずナイフを持っていた手を微かに緩めた。
その隙を突いて。男が声を上げた。
「見てるんだろ! さっさと助けろ! ミドゥルッ!」
瞬きする間もなく、閃光が頭上で弾ける。
戦慄したアンリエッタは、視線を頭上のビルの屋上から飛び降りてくる『それ』に向けた。
咄嗟の出来事だった。
最高速の跳躍で飛び退ると、地上に赤雷が穿たれた。アンリエッタの居た地面が丸ごと粉砕される。
「なっ……」
飛び退って眼に映ったのは、一人の竜人。
額の角を中心に分けられた艶やかな赤い薔薇色の髪。その隙間からこちらを覗くのは、紺碧の空の雫を垂らした双眸。
丈の短い白い外套には男と同じように十字架の装飾があって、ほとんどが空気に晒されている長い脚には、禍々しい魔力を纏う竜の
突然の乱入者を退けようと踏み込む——が、不意に視界が輪郭を失った。
全てごちゃまぜの線になる。
何をされたのか理解出来ぬ内に、背中から重たい衝撃が走る。
一瞬のことで理解するのに時間を要したが、どうやら蹴り飛ばされたらしかった。
それも三十メートル近い距離を。たった一撃で。
「こいつは殺してもいいのか。鹿野」
竜人は外套から土を払う男に問いかけながら、こちらに歩み寄ってくる。
鎧をがちゃつかせながら近づいてくる様は、凶器を携え獲物の恐怖を煽り
槍を肩に担ぎ首を鳴らすと、鹿野と呼ばれた男は
「俺の獲物だ。手ぇ出すなや。お人形さん」
「ならお前は犬野郎だな。ご主人様によろしく尻尾振ってろよ」
「……あ?いま俺と殺し合ったらどうなるか分かってるよな。俺はグラムを持ってんだぜ」
「所詮欠片だろ。それじゃ竜を殺すのには足りない」
「今ぶっ刺して試すか。俺は
問答からそのまま罵倒合戦をはじめる二人。
本格的に揉み合いどころか、殺し合いをはじめてしまいそうな険悪さで睨み合い、ぶつかる視線が火花を散らす。
アンリエッタはというと二人の喧嘩を呆然と聞いていたが、ミドゥルが男の槍について言及したのを聞き逃してはいなかった。
「待って。それはどういう意味。竜を殺すのには足りないって……。それはあの『竜血を啜る
「ん?あぁ、本物だよ。けど、竜に死相を視せる呪いだけを抽出した断片だ。安心しな。人間が造る魔具と本質は何も変わらねぇよ」
思わず問いかけてしまったが、存外にもミドゥルは躊躇う様子もなく答えた。
油断を誘うための虚偽かもしれないが、隣で視線を一層鋭くしてミドゥルを睨む鹿野の表情から察するに、嘘偽りのない事実を述べているようだった。
しかしそうなるとガンドを殺した者の前提は崩れ去ってしまう。いよいよ犯人が何者なのか分からなくなる。
こちらの困惑を他所に、二人はまた言い合いをはじめていた。
「お前なに敵にぺらぺら情報伝えてんだよ……ッ!」
「別にいいだろ。言って避けられるもんじゃないし」
「だからって……」
「それに殺せば同じだろ。死人に口なし、だろ」
言うとミドゥルは姿勢を下げ、長い呼吸をする。
ぴり、と空気が張り詰めた。
ミドゥルがこちらを睨む。
竜眼に込められた魔力が眼球を通して外界へと、ミドゥルが内包している異能を発露する。
その双眸の最奥から。視た者の脳髄に、底知れぬ恐怖の
逃げなければ、殺される。
「——」
気がつくとアンリエッタは、弔いに来たはずのガンドのことを置き去りにして、その場から逃亡をはじめてしまっていた。
だが、それは彼女の意思ではない。
向けられた竜眼に睨まれた途端、身体が勝手に全力の逃亡を始めさせていたのだ。
ミドゥルの眼は、終わりなき逃亡を強要する呪いの眼。
見られた者は底知れぬ恐怖に囚われ、ひたすら逃亡を続けさせられる。
逃げれば逃げるほど植え付けられた恐怖は肥太り、最期には相手を自害に追い込む——精神汚染の竜眼だ。
故に、その力を自分の獲物に使われて。
目の前から逃げ去ったアンリエッタの背中を見送る鹿野は、ミドゥルに激怒していた。
「おい! 何してんだよ! 逃げたじゃねえか!」
「逃がしたんだよ。……どっちが早く狩れるか。お前との優劣をハッキリさせてやる。先に行くぜ」
問答無用。傍若無人とはこのこと。
返答を待つことなくミドゥルは、天高く飛び上がる。
物陰に逃げ込み、大通りを駆け抜け、ひたすら遠くへ逃げ惑っている獲物の追跡を開始する。
顔面に張り付いた本能から滲み出る恐怖と、しかしガンドとの別れを終えていない後悔が、アンリエッタの顔を歪ませている。
顔面蒼白になっていく白髪の竜人は、さながら獅子に追われる兎のよう。
近場にあったビルの屋上で一度足を止め、鹿野が移動を始めたのを確認すると、舌なめずりしてミドゥルは狡猾に笑った。
―—
ミドゥルの竜眼に侵されてから、アンリエッタはひたすら逃げ惑うことしか出来なくなっていた。
引き返してガンドにまだ伝えられていない心の内を言わなければならないというのに、身体が引き返すことを拒んで言うことを聞かない。
逃げろ、逃げろと。
姿を見せずに、しかし着実に迫っているミドゥルの威圧感に全身の細胞が警鐘を鳴り響かせる。
「もっと全力で逃げねぇと死んじまうぞ!!」
頭上から放たれた怒号。
弾かれるように視線を向けると、頭上の虚空には赤雷を纏う脚を天高く掲げるミドゥルがいる。地上を見下ろす眼には、歪んだ愉悦が宿っていた。
脚が振り下ろされ、大地が爆ぜる。
間一髪のところで直撃は躱したが、隆起した地面に足を取られ運悪くミドゥルの間合いに転がる。
「おらァッ!」
胴に叩き込まれる蹴り。
躱すことなど当然適わず、力なくアンリエッタは宙を舞った。
慣性の上で踊らされ、地面に落ちると人形のように無機質に跳ねて転がる。
人間ならば即死していたであろう一撃だった。
頭から大量の血を流し、身体を起こそうと
——だめ。……だめッ。
——お願いだから、もう……っ。
「お願い、……死にたくない」
命乞い。
自らの頭から流れる血のせいで足を滑らせ、子鹿のように何度も立ち上がろうとしては、地面に伏す。せいぜい百年と少ししか生きていないであろう竜人が、ミドゥルに向かって惨めたらしく助けを乞うた。
まるで人間のように。
愚かで、惨めで、醜く、馬鹿げたあの虫どものように、だ。
ミドゥルには
竜としての矜恃が。
星の食物連鎖の頂点に君臨する種族に産まれたのだ。自分よりも強い生き物に助けを乞うくらいならば自死か、あるいは潔く敗北を認め強者の血肉となろう。
命乞いなど、強者に許されて良いものではないのだ。
『——貴様。いまなんと』
竜たる矜持、故に。
喉からではなく魂から発声する。口ではなく、眼で問いただす。
『死にたくない?……それが竜であった貴様の矜恃だというのか』
『矜恃なんか、関係ないわ。私はただ——』
開いたアンリエッタの口の中に、雷霆を纏う蹴りをぶち込む。
唇が裂け、歯が砕け、喉を焼かれてアンリエッタは、無様に地に額をつく。在りもしない神に
『貴様が神の言葉で喋るなッ! 不快だ! 地に伏し、人間の言語で語れ! 穢れた言葉で、惨めに泣け! これが唯一の情けと知れ!』
怒号に抗う術はなく、アンリエッタは喉と舌の修復を急いでミドゥルの足に縋りついた。
「……死に、たく……ない」
もはや生かす価値など毛頭ない。
「人間臭くて反吐が出る」
吐き捨て、頭蓋を踏み潰——そうとした。
「
突然の
ミドゥルの意識は、声に引き寄せられた。
弾かれるように視線を向け、稲妻の速さで闇夜を駆け抜ける魔力の正体を見抜こうと目を凝らした。
だが、正体を眼が捉え、脳に伝達し、処理が実行されて知覚するよりも数段早く。こちらに迫っていたそれに、ミドゥは肩が貫かれた。
断りもなく肩を貫いていったそれは、まるで意思が宿っているかのような物理法則を無視した軌道で主の手元に帰っていく。
「……ッ、今のは——」
「北欧の主神の槍。その投擲性能と自立機能を模倣しているのよ」
風穴の開いた肩を抑えつつ、ミドゥルは飛び退る。
幸い直ぐに修復できる程度の軽傷だ。
肩はみるみる砕かれた骨を繋ぎ、裂けた筋肉を結び直し、絶たれた神経を接続すると皮膚を再構成して、傷口は完治する。
傷の修復の完了を眺めてから、槍を投擲してきた人間の居る方を見やった。
そこに立っていたのは、朱殷の外套の青髪の少女。
手元に戻ってきた硝子の槍を振り払って、形状を瞬く間に長剣に変換すると一瞬、物陰に何やら目配せした。
それと同時に路地裏の影から、風を切る速さで何かが飛び出し、アンリエッタに向けて一直線に駆け抜けた。
「……!」
纏う魔力の底知れぬ不気味さと未知の威圧感を感じ取って、本能がその場からの退避を全身に命じる。
従うまま高く跳躍して、迫り来る気配を前に渋々アンリエッタの殺害を断念する。
やがて気配の正体と距離を置いた地面に着地した時、ミドゥルは目を疑った。
そこに居るのは、一人の竜人だ。
虹に煌めく髪が特徴的で、眼を布で覆い隠していた。
「本当に助けて良かったの? 死にかけてた。殺せば、話は早かったのに」
「どちらにせよ、あれが居るんじゃ無理よ。そっちを殺して無害を証明して」
八代の言葉のない合図に従って飛び出したロゥリエは疾走し、瀕死だったアンリエッタを回収していた。
ロゥリエの腕の中には、浅く短い呼吸を繰り返すアンリエッタが居る。
自己修復が追いついていない。
心機能の低下の影響で魔力の生成が追いつかず、著しく衰弱しているようだった。
「聖華、このままだとこの子は死ぬ。どうしたらいい」
「だったら助けてあげて。色々聞かないといけないことが多いから」
長剣を構えつつ八代が伝えると、ロゥリエは何の躊躇いもなく腕の中の竜人の唇に口づけした。
「ちょっ!?」
魔力は物理的に摂取するのが最も効果的とされているが、こうも堂々とその瞬間を見せつけられると、年頃の八代は視線の行き場に迷う。
年頃の少女らしくあたふた視線を迷わせる八代の背後に、駆け寄ってくる足音が響いた。
真哉だ。膝に両手をついてぜえぜえ息を荒らげている。が、彼の体力不足に構っていられる状況ではなくなっていた。
「ロゥリエ。その子は藤上君に預けておいて。貴方はこっち。私とあの竜人の相手よ」
ロゥリエは八代に呼ばれ、膝に寝かせていたアンリエッタを真哉に預けた。
しばらく起きないはずだろうから気にするなと宥められるが、いきなり天敵であるはずの竜人を預けられても、納得は出来ない。
「どうして僕に……!」
「ロゥリエはあの竜人を。私は貴方を守らなくちゃいけないんだから当然でしょ」
「……でも」
食い下がろうとする真哉だったが、これ以上の反論は無意味だと理解して、アンリエッタを抱え上げた。
ロゥリエと八代が肩を並べて立つ先には、こちらに歩み寄ってくる白い外套を纏った一角の竜人の姿があった。
八代に問う。
「あれって……」
「竜人よ。あれも敵。私たち屠竜師のね」
どこか歯切れが悪かった。伝えにくい事情があるようで八代が言葉を探していると、憂いを裏切るように一角の竜人の背中を追ってくる人間が現れた。
「おいこら、ミドゥル! 局が派手に動き出したらしいから退くぞ……って」
「残念。もう手遅れだよ。遅かったな、鹿野」
白い外套の金髪の男が現れた。
竜人と何気なく会話を交わしている。人類の敵であるはずの竜人と、だ。
加えて鹿野とミドゥルは似通った外套を着ていて、同じ十字架の装飾を服に飾っている。
肩を竦めて鹿野を交戦寸前の通りに招き入れたミドゥルは、乾いた笑みを浮かべる。こちらに戻した視線はロゥリエに向けられていて、鹿野もつられて彼女を見やる。
「悪いな。こいつも遊ばせてもらうぜ。手ぶらで帰ったんじゃ、示しがつかねぇからな」
「おい!何勝手に……!」
「いや。見ろよ。あの目隠しの竜人。かなり弱ってるが、今回の目的はあいつなんだろ?」
言われて鹿野も目を凝らした。
するとミドゥルの言う通り、屠龍師と並んで立つ目隠しをした竜人からは微かにだが覚えのある魔力の気配が感じられた。
確信を得て、鹿野は背中から長槍を抜いた。
もはやどちらかの陣営が、戦いの火蓋を切るのを待つばかりだった。
八代とロゥリエの背後。眠っているアンリエッタを両手で抱え上げると、物陰へ潜むよう真哉は指示される。
真哉がアンリエッタを抱えて去っていく。
その背中をロゥリエは見送って、ひとつ長い呼吸を置いた。
呼吸の終わり。
たんっと地面を蹴り、ミドゥルの懐に飛び込む。
「!?」
竜人さえ目で追えない速度の接近。
手には、既に拳が握られている。
コンクリの壁すら粉砕せしめる鉄拳を、ロゥリエはミドゥルの胴に撃ち込んだ。
一切反応を示せなかったミドゥルは派手にふっ飛んで、鹿野の隣から瞬き程度の
「何ッ?!」
油断しきっていた鹿野が気付いた時には、ロゥリエが隣に立っていた。
ロゥリエは鹿野には眼もくれず、殴り飛ばしたミドゥルの後を追跡する。
鹿野がロゥリエに意識を割かれているうちに、無警戒になった正面から八代が突っ込んで切りかかった。
硝子の長剣の斬撃を間一髪、鹿野は槍の柄で受け止める。
槍と衝突した硝子の剣身は、たった一撃の逢瀬で粉々に砕け散った。
「おいおい! なんだその脆い剣はよォ!?」
鹿野が高笑いしながら槍を弧を描くように振り上げる。
だが、身を翻して斬撃を。突きを直接手で捌ききり、八代は鹿野とのすれ違いざま、手に残された剣の柄に己の魔力を流し込み、己の携える魔具に内蔵された魔術を起動する。
「
再び
応えて地面に砕け散っていた硝子が、再び彼女の手の柄に収束を始めた。
収束していく硝子が虚空で輪郭を帯びていく。
しかし硝子が成るのは、先刻の諸刃の剣ではない。
八代の手に握られたのは、硝子で造られた鹿野が持つ槍と全く同じ形状の槍だ。
帯びる魔力も呪いの気配も、同じものを漂わせている。
鹿野が八代のもつ魔具の性質を知るより早く、彼女は口を開いて魔具に刻まれた魔術を開示した。
「形無き
打ち合った時点で間合いを埋める、いわゆる初見殺しの魔具。
事実、長剣と長槍の間にあった間合いの差もすっかり埋められていた。
互いが全く同じ間合いのなかで戦うことを強いられる。
すなわち、積み上げてきた武器の練度こそ数多の戦闘の経験が勝敗を分ける。
「……ッ、実力勝負かよ」
「自信が無いの? 嫌なら降参してもいいのよ。命までは取らないから。それとも、教団がここで何をしようとしているのか。教えてくれたら見逃してあげる」
「嫌だね。誰が吐くかよ」
教団。
八代が名指ししたのは、鹿野やミドゥルが纏う白い外套を着た一団。
表向きはただの宗教団体だが、裏ではこうして魔導局と衝突のある問題のある組織だ。
とはいえ、真の目的が不明なだけに魔導局も、世界各国に多くの一般信徒を抱えている彼らには手を出せずにいた。
仮にも情報を吐いてはくれないかと
もっとも端から期待していなかった為、落胆すらしなかったのだが。
槍の形状を解除し、八代は魔具の形状を不定形に定める。
「わかったわ。……じゃあ、少し痛み目見てもらうわ」
言って、魔具に魔力を込めながら男との間合いを詰めた。
槍の形状を解除され拡散した硝子を再度収束、輪郭を定める。望む形状を成す為に必要なだけの質量を導き出し、それに見合った硝子を辺り一帯から絡め取る。
振り下ろした魔具の形状は巨大な大太刀だ。
それが魔術による物体構築である以上、不足していた分の質量を辺りの建物の硝子を巻き込んで構築される。
重くなる質量の塊をそのまま振り下ろす。
鹿野は一太刀を受け流すと、槍の石突を八代の顔面目掛けて振り抜いた。
しかしそれが八代の頭蓋を砕くことはない。
振り下ろされた大太刀は、既に硝子片に果てていた。反撃を予感していた八代は、既に硝子に次の形状定義を実行していたのだ。
編まれたのは、千の竜の頭蓋を砕いたとされる
石突をこめかみ寸前で受け止め、八代はメイスの柄を突き上げた。突き上げる最中、柄は先端の形状を更に変化させている。
鹿野の喉に迫ったのは、
喉笛に凶刃が迫る。
槍は、メイスに受け止められたままだ。
ならば——、
「くれてやるよ」
言って、鹿野は槍を手から放棄した。
代わりに突き上げられる凶刃を手で鷲掴み、ぐい、と魔具もろとも八代の身を手繰り寄せる。
目を見開く八代の顔面に拳を叩き込み、姿勢を崩した隙を突き、放棄した槍を拾い上げる。
よろめく八代の懐に飛び込み、槍を突く。槍の稲先が目指すのは、少女の心臓。
目にも止まらぬ早さの突きは見事、左胸を貫き通った。
引き抜くと血が流れ落ちて、胸にぽっかり空いた穴を見つめながら後ずさる。
勝負あった。
いくら武器を持ち変え間合いと威力を誤魔化そうが、所詮は未だ尻の青い小娘だ。
潜り抜けてきた修羅場の数が違う。
そう男は、勝ち誇っていた。
「嘘でしょ。まさかこの程度で私を殺せたと思ってるの」
目の前で心臓を貫かれたはずの少女は、痛みも感じていないような平坦な声でけらけら笑い始めている。
すると、目を疑う凶悪な光景が視界に満ちていった。
胸にぽっかり空いた穴の奥。
心臓が新たに生成され始めているを次いで血管が、骨が、肉が、乳房が、皮膚が再生されていった。
まるで初めから傷など存在しなかったかのようにさえ思える完治。
傷の癒え方はまるで、屠竜師が相手取る竜のそれだ。
古の時代、竜の血を浴びた英雄がいるという。
彼はその背中のみを弱点とし、その他全ての身体に不死を得た。
幾度裂かれようと、炎のなかに飛び込もうとも、死を知らず立ち上がる不死の英雄。
不死の英雄の遺志を継ぎ、その身に竜の血を浴び戦う彼ら屠竜師もまた——。
「……っ! くそ餓鬼が!」
喉元に向け、突きを放った。
少女はそのまま喉に槍の一撃を受け入れる。
そのまま槍の
戦いぶりは狂戦士のそれだ。
鹿野は槍を今度こそ真に放棄して、懐から短剣を抜き放った。
しかし八代は硝子を束ねてボウガンを構築し、槍を喉から引き抜きながら片手間に鹿野の肩と手に矢を射る。
突き刺さった矢は肉の内部で膨張し、肩と左手を吹き飛ばす。
「がぁっ?! くそっ、俺がこんなガキに……ッ!?」
傷口から血が噴き出し、鹿野は激痛に悶えて地面をのたうち回った。
やがて出血と痛みに耐えきれず、鹿野は意識を手放した。
血みどろになって頽れる鹿野を見下ろしながら、八代は堂島に無線を繋ぐ。
「教団の人間と交戦になりました。身柄を魔導局で確保したいので迎えを寄越してください」
言うと、無線の向こうで堂島が冷然と鼻で笑う気配がした。
『教団を潰せるいい機会になればいいがな。せいぜい丁重に扱ってやるさ。少し待て。すぐにシエラを向かわせ——』
束の間。堂島は言葉を飲み込んだ。
『——八代。男はもういい。置いて逃げろ』
「……何言ってるんですか? 言ってることがむちゃくちゃですよ」
『いいから早くしろ! 死にたいのか!』
珍しく感情的に堂島が叫んだ。
彼が叫んだのを聞くのはこれが初めてで、戸惑いを隠せない。
答えを問い詰めようとするが、しかし金属が奏でる無機質な音色が背後から響いてきた。
がちゃりがちゃり、と。
奏でられた恐怖心を煽る音に振り返ると、そこにはミドゥルが佇んでいた。
「待てよ。人間」
口調は男性のそれだが、音は荒々しく掻き鳴らされる低い女の声。
目隠しの裂けた竜人を引きずりながら現れたミドゥルは、手を真っ赤に染めている。
竜人は、引きずられながら赤い血と腹の中身を道路に落としながら運ばれてきたようだった。
どさっ、と力なく人形のように捨てられる。
治りかけだった頭蓋骨の隙間から脳が飛び出て、アスファルトの転がっていた眼球が容赦なく踏み潰される。
「交渉だ。そいつを渡せ。そしたら、こいつは返してやる。もっとも、この死に体じゃ再生は無理だろうけどな」
捨てられたのは、ロゥリエだ。
子供が飽きた玩具を捨てるようにあっさりと。
ズタズタに引き裂いて、こね回し、ちぎっておきながら無責任に捨てられた。
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