第15話 異界の神


 さあ、いよいよだ。

 この大扉の向こうに、ヴァルファーという名の怪物が潜んでいる。


 大扉の前で、クチュクチュと粘着質な音がする。

 水分補給用の水性ポーションを何度かに分けて口元に寄せる。

 舌の先で、ちょろちょろと舐める程度で100㎖の水に相当する補給が叶う。

 剣士バキが喉を潤しているのだ。


 魔導士の塔は7階層あった。フロアの外周に回廊があった。

 ガラス戸もない開け放しの大きな窓から下方を見下ろす。

 地上までの距離はおよそ80メートルだろうか。


 小さな離島にそびえ立つ塔。

 最上階から見下ろす眺めは絶景でもあったが、同時に目に映る、果てしない海面がなぜだか物悲しく思えた。

 塔はほぼ円筒状の建物だ。半径10メートルほどの円形のフロアを6つ、通り越してきたのだ。

 壁、床、柱。どれを取って見ても木造で、非常に美しい造形があり、重厚さもあった。


 いにしえの時代よりあったというにはあまりにも古めかしさが感じられない。

 しかし不思議なほどに頑丈な造りであった。

 かつては魔法使いたちの訓練場だった。その割には傷一つ見受けられない。怪物が封印を破り、暴れ出してきたのだから、もっと破損に満ちているかと考えていたからだ。


 全力で駆け上がってきた。その足音が残響として跳ね返ってきてもおかしくないはずなのに。

 塔に侵入した途端に彼らの足音は、静寂な闇に吸い込まれるように消えた。


 さぞかし魔物の巣窟と化しているだろうと意気込んで、一部屋、一部屋を慎重に探索してきた。しかし、そこにはネズミの一匹すら徘徊する気配はなかった。

 不気味。

 その一言だけが階を進むごとに頭の中にくりかえし刻みつけられていく。


 ありえないほどの喉のかわき。

 日頃から魔物相手に大地の上で身体を酷使している剣士のバキ。

 雨風の止まぬときでも、その運動会を余儀なくする彼だというのに。

 この程度の建物を駆け上がったぐらいで呼吸が乱れ、水性ポーションを何度も口にする。

 それは緊張なのだろうか。

 途轍もなくおぞましい静寂がそこにはあった。閉ざされた神秘的な空間に包まれて、何者が待ち構えているかと幾度も唾を飲み込んだせいか。


 そんな彼を気遣い、そっとルクが言葉をそえた。


「大事ないか……」

「あぁ。だけど……なんだかやたらと渇くんだ。ふしぎと風通しは良くて気だるい暑さがあるわけでもないのに」

「わしもこの場のことはよく知らぬ。だが、ここには強大な魔力が渦巻いておる」


 そうだった。

 たしかにそのように聞いてきた。

 そのため、その魔力がここから下界に漏れ出せば、巨大すぎる魔力を受け付けられない人類と大地に甚大な害が及ぶ危険性がある。

 それを防ぐための封印がここにはあったのだ。

 つまり本来は魔法使いしか侵入を許されてはいない、危険区域なのだ。


 ルクの説明のなかに「魔族魔法の研究」というものがあった。

 人類は、魔力を扱うための研究を理解ある魔族の協力で推進してきたのだ。

 結果、人体に魔力を内包してもそれほどの拒絶反応がでないところまできて、人間界の魔法使いも誕生したということだ。


 だが、バキの身体は特異体質でそれらの人類には属さないのだ。

 幼少期に受けた事故のせいで、魔力の素質が消失したのだ。

 人類といっても、マガサスファンタジーの住人達も少なからず薬物耐性や魔力受容の素質を具えている。

 バキはこの世でただ一人、魔力受容のそれに該当しない人間になってしまっていたのだ。

 いかなる耐性付与のある装備品も彼にとっては、ただの重い荷物となる。

 そのため重装備に耐えうる体力を養うほかは手段がなかったのだ。

 それについての彼の理解者は、傍にいる魔法使いのルクとエクスダッシュ国王パシャルバーの二方のみである。


「ルクが傍にいてくれるから、俺は意識をたもっていられるんだろうな」

「まぁ、お前さんに施せる魔法に唯一の心当たりがあったからの。……ただ、わしも出会った当時はそれを扱える階級にはなかった。お前さんにもらった能力により、この若さでSランクの魔導士の称号を手に入れた」

「うん……。緊急討伐剣士スクランブルハンターの試験では魔法の課題をどうにもできなくて、回復薬に頼ってばかりいた。それが尽きたら俺はもう何もできなかったな」

 

 ルクのいう心当たりの魔法。

 それを知っていても扱える術者がおいそれとは居ない。


 ルクがそれを扱える領域にまで成長する必要があったという話のようだ。

 だが当時は、ゴブリン集団を退治するのも一苦労というレベルだった。

 ゴブリンを複数相手に立ち回れる冒険者ランクは、Dランクあたりからだ。

 上は、SSSから下は、SS、S、A、B、C、D、E、Fあたりまでのクラス認定がある。


 さらにそれらには、仕事を効率よくこなす上位と、要領が悪く立ち回りが下手でミスが目立つ者に対する下位が存在する。上位はF+、下位はFといった具合で、上位にだけプラス呼称が付くのだ。

 冒険者は自分に認定されたランクの任務依頼しか受けられない決まりがある。


 己のランクに見合った任務でなければ、負傷者や死者を容易に増やしてしまうからだ。

 高い報酬目当てで、誰もが好きな依頼を受けられるなら、依頼のランク、つまり難易度だけ提示されていればいいのだ。

 しかし、それでは未来ある若者や、有能な冒険者を安易に危険な目に遭わせる制度となり、結果的に国の治安のための冒険者ギルドが破綻する可能性は大きい。

 よって、冒険者たちもランク付けがされ、実力に応じた仕事につくことが義務付けられたのだ。


 同じランクでも上位となれば、報酬は2倍になるし、一ランク上の依頼も任されるチャンスもある。

 その場合はランク上の冒険者とタッグを組むこととなる。


「バキと出会ったころ、組んでいた戦士の話を聞かせたじゃろ。奴がD+でな、わしはD。おこぼれでCランクの任務に預かっていたのじゃ。わしは助手ていどの役目じゃ。ゴブリンの巣窟はCランクじゃったからの」

「俺……。とんでも剣士だったんだよな」

「8つじゃからな、そら面食らったわぃ。そんなお前さんと対峙することになった」

「あのとき、魔法耐性さえこの身体から消失してなければ。戦士のおっさんはともかく、中坊のルクに負けたりしなかったのに」

「言うてくれるわい。小坊だったくせに。お前さんの強さがどうにも謎だった。わしらはてっきり何らかの魔物が化けているのだと思い込んだぐらいじゃ」


 いま最後の扉の前にいて、そこから死闘に突入しようというのに。

 ふたりはクスクスと笑い話を交わすのだ。


「でも、そんなルクに出会ったから、俺は自分の強さと弱さを知ることができたんだ」

「わしもじゃ。冒険者認定もない、ちいさな子供から威圧感を感じ、本気を出さざるを得ない状況。正直怖かったぞい」


 バキの強さの秘密。

 ルクと戦士対少年バキ。それは歴然とした大人とただの子供だった。

 ルクの魔法さえなんとかできれば。

 その大人ふたりを撃破していたかも知れないと言っているのだ。

 

 ルクたちとはその場で意地の張り合いにより、ゴブリンの巣窟を奪い合う戦いを始めたようだ。ルクたちは認定済の冒険者だ。子供と戦うなど許されない。バキがルクたちに襲い掛かって行ったのだ。そしてルクたちはバキの戦闘力に畏怖しかけた。やむなく戦闘になってしまったのだ。


 だがバキはその特異体質のせいでルクたちに敗北した。

 おかげで魔物なんかではなく、紛れもなく人の子だと証明もできた。

 ルクはその後、戦士に手柄の報告を急いだほうがいいと促した。このような輩が他にも居れば、手柄と報酬が逃げてしまうからと。そのように機転を利かせたのだ。


 その実、ルクは失神しているバキを王宮に連れ帰り、王に事情を打ち明けた。

 ルクはたかだかDランクではあるが、すでに緊急討伐剣士スクランブルハンターの一員だったため、王への御目通りが叶う立場でもあったのだ。


 止む無き事情といえども、王の民であるその子をバトルで負かすことになった。

 目を覚ませば、ルクの話などに到底耳を貸すとは考えられない。

 だがバキの戦闘スキルは天賦の才能の賜物によるもの。ルクはそう捉えていた。

 その場で手放すのはあまりにも惜しい逸材だ、王の前に連れて行き、どのようにして生きて来たのかを王に問わせれば、意地を張って口をつぐむことも出来ないであろうと判断したのだ。


「だってお前さん、強くなりたいんじゃろ? 王様を敵に回して強く成れる者などおらんしの」

「まったくルクはとんでもなく悪知恵が回るんだから、かなわねぇな。俺が仕方なくすべてを打ち明けたら、コンビを組もうと言ってきた。俺を守れる唯一の系統魔法があるから、俺の異能力でルクをかみ出世させろってさ」

「王様が後押しをして下さるのだ。首を縦に振るだけで、バキも緊急討伐剣士スクランブルハンターの候補生になるのじゃから、悪い話ではなかろう」


 ほれ、こうして特大の任務を賜ったのだからと、ルクは大扉を見据えた。

 涼しい顔をして大扉に手を掛けるバキ。

 この扉の向こう側に例の賢者と例の怪物がいる。

 扉を開けばこの静寂が破られ、異界の神ヴァルファーのツラを拝むこととなる。

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