第6話 空気読み
僕たちは皐月の突拍子ない発言に笑った。
三人で回転寿司。確かに女の子一人で入れないだろうけど、⋯⋯なんだかちょっとおかしかった。
「なんのネタが好き?」
思い切って前の二人に話を振ってみる。
「イカ」
「イカ? 皐月ってほんと、ユニークだよな」
明音さんもくすくす笑っていた。
夜道を高校生三人で歩く。いつもと空気が違う。なんだか自分がいつもの自分と違うような気がする。解放感。
「じゃあ青葉は何が好きなんだよ」
「回る寿司だよね?」
「なんだよそのセレブ発言。寿司は回るものだろ? 萎えるわ」
会話が遮断される。僕はあまりコミュニケーションが上手くないのかもしれない。皐月を見てると情けないくらい、そう思えてくる。
クールに振る舞ってるように見えて、実はコミュニケーション能力が高い。頭の回転が速い。会話にリズムがある。
――そういうところが高校の偏差値の違いなのかもしれない。本当の意味で『頭がいい』ってことだ。
「行かないわけじゃないよ。そもそも外食が少ないんじゃないかな、うちは」
「そうなんだ、うちと真逆」
明音さんは苦笑した。少し、寂しそうに見えた。
「うちね、わたしが高校生になってからお母さんが復職して、バリバリ働くようになったの。それで、笑えるの。テーブルの上にね、五千円札とか一万円札がそのまま置いてあって、隣に蛍光色のポストイットが貼ってあって『ご飯代にして。足りなかったら言ってね』って書いてあるの。なんか、映画かドラマみたいでしょう?」
僕は何も言えなかった。
目の前に明音さんの言った光景が、モノクロになって見えた。
「だから、自分のためだけに何か作るのもなーって、外食とかマックとかコンビニになっちゃうんだよね。あ、なんか恥ずかしい話しちゃったかも」
明音さんの言ったラーメン屋は少し歩くところにあって、皐月と違ってジャケットを着ていなかった僕は少し肌寒かった。夜の空気はそれ相応に冷たい。薄いセーターじゃ防ぎきれない。
「明音は少し、簡単な料理を週に一度でもいいから作れば? 親の分も作るといいよ。自分の分だけだと思うと作る気失せるし。親も喜ぶんじゃん?
で、女の子が夜一人でふらふらするのは危ないから、外食はほどほどにな。そんなに金があるわけじゃないから毎日はつき合えないと思うけど、たまには今日みたいに三人で食べに行くのもいいんじゃないの? 受験には楽しみも必要だよ」
僕も行くよ、と言いたかったけど、付け足しみたいで格好悪い気がした。な、青葉、と皐月はすんなり言った。
僕の言いたかったことは全部、皐月が言ってしまった。やっぱり僕はコミュ障なのかもしれない。
とぼとぼ歩く雑踏を、うちへと帰る人たちが足早に駅に向かって行く。僕たちはその群れの進行方向に逆行するように、二人プラス一人という、少しバランスの悪い三角形を描いて歩いた。
三人の口数は少なくて、ただ明音さんが「ありがとう」と一言いった。皐月が「気にすんな」と答えた。
完璧だな、と僕は何も言えずにいた。ただ街中でもハッキリ見える、もうすぐ満月になる月が眩しかった。要するに、とても前の二人を見てはいられなかった。
そもそも二人は予備校で国公立志望Bという同じクラスで、僕より一緒にいる時間が多い。講義もきっと、二人で並んで受けるんだろう。この前の、僕と明音さんのように。
そんなことばかり、頭の中が負のルーティンでいっぱいになって、本当に自分が情けなくなる。
さっきからずっと考えてるどうしようもないこと、『回転寿司ですきなネタ』。そんなことはでっち上げれば良かったんだ。だけど何も思い浮かばない。トロでもサーモンでもいいはずなのに。
そんなノリの悪い自分に萎える。
◇
ラーメン屋は時間のわりに結構混んでいて、寒い中、外に並んで待たされる。僕と同じくジャケットを着てない明音さんは寒そうだけど、何もしてあげられない。
皐月はそれを察して「ジャケット貸そうか?」と明音さんに訊いた。
「借りたら皐月くんが寒くなる」
「俺? 下にパーカーも着てるし」
「ずっと思ってたけどなんでパーカー着てるの? 校則違反にならないの?」
皐月は僕を見た。そして落ち着いて、ゆっくり噛み砕くように僕にこう言った。
「『個性』じゃない? 俺、フードのついた服、すきだから。学校の校則はすげー緩いよ。校外では少し気にしてくれって言われるけど、校内では皆パーカーとか、ジャージとかすきに着てるし。女子も学校の中の方がスカート丈短い。
一応、名門校だからとか言って、外から良く見られればなんでもいいみたいだ。俺、ほら」
皐月が僕にぐっと頭を寄せた。なんだろうと、不審に思う。男に顔を寄せたところで、何がうれしい? 皐月は自分の耳たぶを引っ張って見せた。
「耳に穴開けてる。夏休みに開けたんだ。学校には流石にしていかないけどさ、運命変わるんだってよ?」
「ピアス開けただけで?」
「うん」
「痛くなかった? 自分で開けたの? わたしは怖いな」
皐月はニヤリと笑った。そして明音さんに自分のジャケットを掛けながら「自分でやった。マーカーで場所決めて、ピアッサーで」。
「わたし絶対無理。痛そうだもん」
「病院で開けてもらうこともできるよ。明音がもし、運命を変えたくなったらね」
それは、皐月には変えたい運命があるということだと、国語の苦手な僕にもわかった。
そう言えば、皐月は自分のことをあまり語りたがらない。僕たちは本当のところ、皐月をよく知らなかった。聞き上手だからこそ、自分については寡黙だった。
店のドアがスライドして、食べ終わった客が出ていく。僕たちは食券を買って、中に入った。
◇
買いたいものがある、と言うのでコンビニへ入っていく明音さんを、皐月と二人で待つ。皐月の耳に穴が開いていると聞くと、ますます皐月は僕とは違う人間のような気がしてきた。
皐月と比べたら僕は『陰キャ』じゃないかと、何故か劣等感を刺激される。
「青葉さぁ」
突然名前を呼ばれて、皐月を見る。お互いが並行にならんでいたので、それまで顔を見ず、話もせずにただ待っていた。
「青葉さぁ、もう少し明音にやさしくしてやったら? それはお前の自由だし、ポリシーとかあるのかもしれないし、まぁ、今までのスタンスもあるしな」
「⋯⋯え、態度悪い?」
「そうじゃなくて! お前、空気読み苦手だろう? 明音はいつもお前と話す機会を待ってるんだよ」
頭の中が混乱して、何も言えなくなる。口を噤んで、皐月の言葉の続きを待つ。言われたことがするりと入ってこない。だっていつも明音さんは。
「俺たち、ほとんど同じ講義取ってるんだけど、あー、俺の口からはあんまり言えないけど、つまりはそういうことだよ。って、青葉には難しいか?」
「はっきり言ってくれないと」
「青葉みたいに、背が高くて数学のできる男は有利だよなぁ。もちろん、出会いの順番もあるけどさ」
「順番は変わらないよ。僕だってあの日まで明音さんを知らなかったし」
「⋯⋯そういうところが鈍い」
おまたせ、と明音さんがにこにこ出てきた。
「お喋りしてたの?」
「まぁ、そんなところ」と皐月は簡単に答えた。その答えに「仲いいんだね」と明音さんはまたうれしそうににこにこ笑った。
◇
十月も下旬になると「涼しい」は「寒い」になる。僕は皐月を見習ってジャケットを着ることにした。
きっと皐月みたいに明音さんに貸してあげるようなことにはならないだろうけど⋯⋯明音さんがいつも寒くないといい。
僕にとって用意された夕食は当たり前のもので、母さんは手料理を作ってくれるのが普通で、だから特別な外食は奮発されるものが多かった。母さんがTVやネットで探してきた特別な店を、父さんが予約してあったり。
それを誰かと比べてみるなんて、考えたこともなかったし⋯⋯誰もいない部屋のテーブルの上に置かれたお札なんて、想像するだけで寒々しかった。
それで僕は気になって、気になって、コンビニでパンとおにぎりを一つずつ買ってリサイクル用の白いビニール袋を三円で買う。
三時間目の終わりにH組に行って「大西さんをお願いしたいんだけど」となんとか顔見知りを見つけて声をかけてもらう。女子だけのグループで何か盛り上がってた明音さんは、いつもとどこか『色』が違って見えた。
「え、青葉くん!?」
教室の入り口にいた僕のところまで響く声と共に、明音さんは跳ねるように立ち上がった。周りの女子が「早く行きなよ」とか「あーあ、結局そうなるんだよ」、「ほら、急いで」とか矢継ぎ早に明音さんを急かす。彼女は机の間を縫うように僕の元へやって来た。
「どうしたの? わたし、何か忘れ物とかした?」
「いや、あの」
彼女は首を傾げて僕を見た。
僕は何度も頭の中で練習した台詞を、言葉にしようと頑張った。皐月の言ったことが気になって仕方なかった。明音さんと話す機会。空気読み。
「良かったら、なんだけど。今日はお昼、一緒にどうかなと思って。あの、無理にとは言わないんだけど」
明音さんは僕の目を見て、大きく目を見開いた。元々パッチリした瞳が更に大きく見える。
向こうから「言っちゃえ!」と謎の声もかかる。僕のクラスには女の子が少なく、皆、大人しいのでその勢いに驚く。
「本当にいいの? どこで待ち合わせする?」
僕の提案は間違ってなかったようで、安心する。
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