第38話 神に救われた老獣人


「ハピーさん!!」

「ほっほっほ。こんな老いぼれですが、また死に損ねてしまいましたな。いやはや、日頃の神に対する行いの賜物というものなのでしょうかな?」


 波乱と混沌と化した会議室に現れた人物。それは、獣老人であるハピーさんだった。



「ど、どうしてハピーさんがここに!?」


 しかも彼の場合、ただの老人なんかではない。


 彼はラキィ様が現世で行動するために作った人形、いわば神の化身である。



「しかもあの人はたしか、魔人に既に殺されていたはずなんじゃ……」


 魔王の手先である魔人、ベルフェゴールの手によって、彼は神像の前で胸を剣で刺され、絶命していたはずだった。とてもじゃないが、生きているはずがないのだ。



「(まさかラキィ様が神域の外に出てきた……なわけないか)」


 だが、そんなことを考えている間にも、事態は進んでいく。



「ふん、ただの死にぞこないのジジイがここにしゃしゃり出て来ておいて、なにが『神の教えを理解する者』だ! そんなことを言っているから貴様はいつまで経っても教会の下働きジジイなのだ! こんな年になっても聖堂の掃除をすることしか能のない奴が、この大事な場に出てきて、あまつさえ我らに説教をするだと!?」


 司祭長が唾を飛ばしながら叫ぶ。その姿はまるで駄々をこねる子供のようだった。



「ほう? では貴方は一度胸を刺されてみますかな?」

「――は?」

「どうなんですじゃ? 貴方はただゴミ掃除をするしかない能無しジジイよりも、神が助ける価値のない人間なのかどうか。試してみますかの?」





「――というわけで、儂もこの場に参加させていただきましょうかの」


 誰もが絶命したと思っていた彼が登場したことで、会議室内の空気は完全に変わってしまった。


 特に『教会の最高権力者でもある司祭長は、完全にハピーさんに言いくるめられてしまった上、皆の前で恥をかかされたと顔を真っ赤にさせたままである。



 ハピーさんの登場で、さてどうしようかとなったとき。

 そんな中で真っ先に口を開いたのは、やはりと言うべきか『銀翼の天使団』団長であるミレイユだ。


 剣聖ジョブ持ちだけあって、彼女の発言には誰もが耳を傾けている。


 しかも今回のパルティア防衛で一番活躍した人物でもあるからだ。



「なるほど、貴方は見た目だけの人物ではない……と。普段から貴方の人柄についての噂も聞いてはいるし、なにか事情があるのも何となくだが分かった。だが一つ聞かせてくれないか、パピー殿」


 彼女は真剣な眼差しを向けながら口を開く。


 そして一拍置いて、こう続けた。



「――貴方がそうまでしてアンジェを助けようとする理由は、一体何なんだ?」


 そう質問するミレイユの表情は真剣そのもの。


 それに対して、パピーさんは飄々と答える。


「……はて、理由ですか? 神の教えでは人を救うのに、なにか理由というのは必要なものでしたかな?」

「いや、そういう教会や一部の経典の話をしたいんじゃない。問題行動をとった上にこれまで幽閉されていた“背神者”を、貴方ほどの人物が救う理由というのを知りたいんだ」


 まるで嘘は全て見抜くといった澄み切った銀色の瞳で、ミレイユさんはハピーさんを真っすぐに見つめていた。



「ほほぅ、さすがは『銀翼の天使団』団長様ですな。良いところに気付かれました」

「はぐらかすつもりか?」

「いえいえ、そういうわけではありませんぞ。ただ、それを説明するには少々話が長くなるのですじゃ。それに、今の段階では説明できないということもありますのじゃ」

「……それはいったい、どういう意味だ?」

「ふむ、では少しだけお話をしましょうかのう。なに、時間は取らせませんのでご安心を」


 そう言うとハピーさんは少し過去を懐かしむかのように、ゆっくりと話し始めた。



「まず、なぜ自分がこのパルティア大聖堂で下働きをしているのかを説明しましょうか」


 あぁ、そういえば彼はこの大聖堂に昔からいるって、初対面の時に言っていたっけ。


 まぁ実際は中身が神であるラキィ様なのは俺とマリィ、そしてルミナ様ぐらいしか知らないけれど。



「お恥ずかしい話ですが儂はもう何年も前に、本来は大聖堂の前で行き倒れていたはずの身ですじゃ。――あぁ、いや。それはただの老衰や病気と言った、大した理由ではありませんぞ。ただの偶然。……ですが今はこうして生きています」


 若干しわがれたような声で、それでもその場にいる者の全員の心に響くような落ち着いた声で話を続けていた。



「その理由については儂にも分かりませんでした。なにせ、自分が死んだ瞬間の記憶すら曖昧でしたのでな。……ですが気が付いたら、いつの間にか大聖堂にある神の像の前に立っていましたわい」


 そう言って少し笑いながら話すパピーさん。その様子はどこか楽しそうだった。


 ……あれ? もしかしてハピーさん、ラキィ様が彼の体を借りているだけであって、元々ハピーさん自身はただの人間だったのか?



「さて、その後のことはご存知の通り、当時の大司祭様に拾われてこの教会で働くことになりましたのじゃ」


 当時と言えばかなり前のことだろう。少なくとも、この場で未だに怒りをあらわにしている肥え太った偉そうな男のことではないはずだ。



「――それから五十年近くになりますでしょうか、その間に様々なことがありました。もちろん楽しいことばかりではありませんでしたが、様々な人々をこの目で見て、皺だらけの手で支え、時には子を失くし涙を流す夫婦を声でなぐさめることもありました。……いろいろと自分語りをしてしまいましたが、充実した人生であったと思っておりますよ。ですがなにより儂が伝えたいのは――」


 そこで言葉を切ると、今度は真剣な表情になり言葉を続けた。



「――そんな人生を歩む中で、初めて神の存在を意味を理解するようになりました」


 その言葉に俺はハッとした。


「(そうだ、確かにこの人の言う通りだ)」


 普段はルミナ様と一緒に居るからあまりピンとはこなかったけど、よく考えてみれば当然のことじゃないか。


 神とはなにもジョブを与えてくれる便利な存在ってだけじゃない。

 生きている人々にとって信仰の対象であると同時に、実際に存在し、人々を導く存在でもあるのだから。



「さて、皆々様。あなた方の言う神とは、優れたジョブを与えた人間を救い、ただ【殺人者】という適性がある者を地獄に落とす者のことをおっしゃっておられるのですかな?」

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