第45話 エピローグ



 「今回の件、協力感謝する。」

 卒業パーティーの喧騒の中、国王が学長に話しかけた。


「いえ、私は、学生の中途入学を許可しただけです。」

 親子ほど歳の離れた二人だが、一貴族の学長は国王に最大限の敬意を払っている。


「イーサンの振る舞いには目に余るところがあってな、そのくせ野心が強く育った。アレクシスについては、隠し続けたおかげで素養も読み切れなかった。」

 周囲に聞こえないよう、国王がぼそぼそと話す。学長は、聞き漏らさぬよう、彼が座る椅子に一歩近づいた。


「政治に疎い私でも、そうした背景は理解できました。しかし、アレクシス殿下の交友関係まで、国王自身がご配慮なさるとは驚きました。」


「まあ…な。素養がなければ、王籍から抜かねばならないからな。野心家が周りにいては、あれのためにはならないばかりか要らぬ苦労をするからな。」


「それで、金と権力に興味のない令嬢と交流させろ、と?」

 学長は兼ねてからの疑問をぶつける。


「そうだ。ヴィヴィアンは、予想を上回っていたがな。」

 二人は、楽しげにダンスするアレクシスとヴィヴィアンに目をやる。


「私の隠し玉です。十二の歳から、親に代わって学院で面倒を見ています。代々医師の家系で、志のよい一族です。ヴィヴィアンも。世情に合った王妃になるでしょう。」


「ああ。心根がいい。強さもある。弱いところは、アレクシスが補うだろう。ヴィヴィアン嬢のこと、心から感謝する。」


 国王は立ち上がると、学長と握手を交わした。














 卒業パーティーはまだ続いている。


 ヴィヴィアンはあの後、国王、、学長と踊り、クタクタだった。調子に乗ったニールにも誘われたが、アレクシスが断った。


 国王からの発表の後、ヴィヴィアンがヴィヴィアンだと学生たちが認識すると、あちこちで噂や憶測が飛び交ったが、悪意を向けられることはなかった。


 それは、第五学年最後の試験でヴィヴィアンとアレクシスが共に満点で首位だったこともあるかもしれない。




「結局、一件も、無謀な婚約破棄はなかったな。」

 会場のバルコニーで夜風にあたりながら、アレクシスが呟く。

 学院の林の向こうに、王都の街灯りが見える。一つ一つの灯りが、そこに人が生活していることを表している。

 ヴィヴィアンがこれから真摯に向き合い、守らねばならない国民だ。


「人を動かすのは、ルールとか、モラルだけじゃない。夢とか熱意もね…」

 果実水を飲みながら、ヴィヴィアンが答えると、アレクシスが微笑む。


「そういう国作りをしよう。」

 アレクシスは、ヴィヴィアンの空になったグラスを給仕に渡す。



「なあ、ヴィヴィ、さっきのニールの質問、ヴィヴィの答えを聞かせてよ。」

 また、悪戯顔だ。


「… アレクの答えも聞いてないのに?」

 スープを掛けられた頃には既に、とニールは疑っていたという。しかし、それなら、学長室の後の喧嘩の頃ということだ。


「そうだな…きみがニールに美術室に呼び出されたと聞いたときは、狼狽えたな… ヴィヴィは?」


「それ、古い順? 新しい順?」

 ヴィヴィアンも、負けずに悪戯顔をする。


「勝負なの? より古い方が、勝ち?負け?」

「…あんまり新しすぎると、私、傷つきそう…」


 アレクシスが考え込む。

「とりあえず、次はヴィヴィの番。」


「初めての口付け、嬉しかった…」

「待って… したのは僕だけど、アレの意味を聞きたかった。」


「え? 意味… 始めたのはアレクよね。アレクには意味がなかったの?」

「藪蛇だな…… 愛おしかった… ただ、愛おしかった… 後先考えずに。」


 アレクシスは、ヴィヴィアンの瞳を見つめ、噛み締めるように、二度言った。


「… 」

 尋ねておきながら、ヴィヴィアンが言葉を失う。


「ヴィヴィ、耳まで赤い。次は?」


「アレクは、私を『友人殿』と何度か呼んだことを、覚えている?」

 アレクが頷く。


「その度に、アレクは私の心に入り込んできた… 友人の顔をして。でも、いつの間にか、友人の域を踏み越えていた。アレクは、わかって言ってた?」


「意識してないな… もっと居心地のいい関係になりたかったんだろう…」


「私たちにとって、居心地のいい関係が、口付けだったんだね。」


 アレクシスはヴィヴィアンを後ろから包み込むように抱きしめる。


「これから、もっと居心地がよくなる。」

 アレクサンドルがおどけて、腕に力をこめた。


 ヴィヴィアンは、回された腕に触れ、思い出す。


「… 抱き上げるよ、って、言葉。アレクの腕の中は安心するの。」

 アレクサンドルの方に顔を向けようとすると、アレクシスの頬がヴィヴィアンの耳に当たる。


「… 躊躇した。抱き上げていいのか… その抱き上げるよ、はどっち?熱?薬?」

 耳元でアレクシスが話すとくすぐったい。


「やっぱり、二回あったのね… 夢かと思ってた…どっちも。」

 くすぐったさを抗議しようとヴィヴィアンはアレクシスを見つめる。


「だったら、もっと抱きしめて…口付けすれば良かった… 」

 アレクシスの唇がヴィヴィアンを捕える。


「それは…なんだか… 下心じゃない?」

 啄みから逃げながら、ヴィヴィアンは眉根を寄せた。


「下心ね… 自然だよ。見つめたい、触れたい… 笑顔がみたい… 始めから…初めて話したあの夕方の教室から、僕は、ヴィヴィアンの笑顔が見たかった。ずっとね。これからも、ずっと、その笑顔を僕に見せて。」



 アレクシスは腕の中のヴィヴィアンをくるりと振り向かせると、そっと口付けた。









 それから、一年後。二人は、マイヤー公爵家、ティグリス宰相家、シャッツェ侯爵家らの力添えもあり、いくつかの法改正を成し遂げる。


 その功績が評価され、ヴィヴィアン自身にも、サンアンドレアス伯爵という爵位を賜った。未婚の貴族女性としては、初めての叙爵となった。

 与えられた伯爵という中途半端な爵位は、王族入りを控えた女性としてではなく、ヴィヴィアンの力量に対する色眼鏡なしの評価だとして、好意的に受け止められた。


 これを機に、身分や性別に関係なく、その力を国に貢献すべきだという機運が高まり、女性や平民のあらゆる分野への進出のきっかけとなった。




 そして、それから半年。

 サンアンドレアス伯ヴィヴィアンは、晴れて、アレクシスと結婚し、王太子妃となる。


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