第44話 卒業パーティー
「ヴィヴィ、さあ、行こう。」
ヴィヴィアンは、アレクサンドルの手を取り、ゆっくりと学院の馬車廻しに誂えられたレッドカーペットに降り立った。
今日のヴィヴィアンは、眼鏡をしていない。入学直前にルーカスと面談した時以来、眼鏡を掛け続けているため、ヴィヴィアンの素顔を知る者はいない。
アレクサンドルの顔を見ると、椿姫の晩のような悪戯心なのか、心なしか口角が上がっている。
二人が歩き始めると、馬車廻しからホールの入り口まで、溢れかえった学生たちから、どよめきが湧き起こった。
「アレク、目立ち過ぎじゃない?」
ヴィヴィアンがアレクサンドルを見上げて言う。
「髪、短くし過ぎた?」
「アレクサンドル用の冴えない髪型じゃないからね… 素敵過ぎて眩しいわ。」
アレクサンドルの右手が、ヴィヴィアンの手に触れ、優しく微笑み返される。
その微笑みは、ホール中の女子学生がアレクサンドルに群がって来てしまうのでは、という破壊力だ。
ホールの中の混雑もひどい。
これまで、主賓席に近い長椅子席は、イーサンとその取り巻きたちが占拠していた。しかし、イーサンはこのパーティーには参加しない。
公務に追われているという建前ではあるが、こうした社交の表舞台には、当面、あるいは二度と出てこないだろう。
これまで、イーサンたちが使っていた席にアレクサンドルが座ると、会場がさざめいた。イーサンからアレクサンドルへの王太子の交代を象徴的に表した行為だからだ。
ヴィヴィアン達が腰掛けると、ニールとアンナがやって来る。
「ご機嫌よう!」
挨拶を交わすと、二人もローテーブルを囲んで腰掛ける。
「まあ、これで僕たちも、殿下の取り巻きとして、周知されましたね。殿下、引き続きよろしくお願いします。」
ニールがアレクサンドルに慇懃に挨拶する。
「感謝する。しかし、ニールは、卒業じゃなかったんだな…」
ヴィヴィアンは、アレクサンドルは18歳ぐらいなのだと思っていたが、実は20歳で、ニールもまた20歳と聞いた時には驚いた。
「ああ、子どもの頃、身体が弱くて…入学も三年遅れたんですよ。だから、少々、太々しいんですよ、僕は。」
ニールは、給仕からアンナのための果実酒、ヴィヴィアンのための果実水、二人分の酒を受け取るとそれぞれに渡した。
「これから仕事も増えるし、単位を取り終え次第、卒業してもらいたい。アンナ嬢も先に卒業するのだから。」
アレクサンドルとニールは、この一件を通じて信頼を深めた。ニールの軽口が炸裂しているのを見ると、アレクサンドルが学院に来た意味の一つが、こうした仲間作りなのだと感じる。
「僕一人が卒業できないのは寂しいですが、一年あれば卒業しますからご心配は無用です。さて、ヴィヴィアン嬢は、今日の騒ぎはどう思う?」
突然、話を振られてびっくりする。
「これは、私が誰か、皆さんわかっていないですよね。」
「ふふ。アレクサンドル殿下が夢中の椿姫が学院の生徒だと結びつかないのでしょうね。」
アンナも楽しそうだ。
「ところで、殿下はいつから、ヴィヴィアン嬢にご執心なんですか?僕たち、ゴシップ好きの貴族は、気になって仕方ないですよ。」
ニールが調子に乗る。
「清廉で、頭の軽い学生嫌いのマイヤーが何を言う?」
ヴィヴィアンも、少し聞いてみたい気もしたが、それは二人のときでよい。
「僕から見れば、カフェテリアでスープをひっくり返されたあたりでは、もう恋に落ちてましたよね。なかなか認めませんでしたが、殿下は。」
ニールとアンナが顔を見合わせてにんまりしている。
「え?そんなに前?」
思わず、ヴィヴィアンも口を挟む。
アレクサンドルに冷ややかな目で牽制される。
「さ、ヴィヴィアン、シャッツェに仕込んでもらったダンスを見せてもらおうか?」
ニールの問いから逃げるように立ち上がるアレクサンドル。
アレクサンドルに手を差し出され、ヴィヴィアンは渋々立ち上がる。
論文の後は、毎日ダンスの練習があった。王太子妃レベルのダンスレッスンということで、リリーにも協力してもらいながら、シャッツェのタウンハウスで合宿までした。
「緊張してる?」
アレクサンドルが耳元で囁く。
「してる。」
時間が合わず二人で踊るのは、今朝の出発前のわずかな時間だけだった。それだけでなく、ゆっくりと話す時間さえ取れないままだった。
「王族のダンスで大事なこと、わかる?」
「優雅さとか威厳?」
「いや。幸せとか、夢を与えること。王家についていけば安心だと思わせる、この国が豊かで、明るい未来があると実感させる、とかね。だから、楽しんで、笑顔で踊ればいい。」
二人がホールの中心まで来ると、自然と二人の周りに場所が空く。楽団も、二人がホールドするのに合わせて、自然に曲を仕切り直した。
完全に王族仕様のダンスだ。
アレクサンドルの優しいリードで踊り始める。
「花言葉、覚えてる?」
アレクサンドルが問う。
「通じ合う心、失意…」
ヴィヴィアンは、ステップに合わせて答える。
「「明るい未来」」
囁き声が揃うと、踊りながら二人して笑った。
二人の仲睦まじげな様子は、観る者を幸せな気分にした。
楽しげな雰囲気は伝播し、例年になくダンスホールは盛り上がった。
踊り疲れて、二人で長椅子に戻ってくると、来賓が入場し始めた。
「…御父君…」
ヴィヴィアンが呟くと、アレクサンドルは知っていたようだ。過去四十年、王族の卒業の際であっても、国王は一度も現れたことはなかった。現国王の卒業のときでさえ、先王は出席していないはずだ。
「サプライズだよ。先に挨拶しておこう。僕の後に挨拶したらいい。」
イーサンのいない今、この場で国王の次の序列はアレクサンドルだ。アレクサンドルは、ヴィヴィアンをエスコートし、来賓席の前で待つ。
国王がやってきて、アレクサンドルは握手を、続いてヴィヴィアンはカーテシーをする。
ヴィヴィアンが視線を戻そうとすると、国王が一歩踏み出し、軽いハグとエアキスをする。
国王の振る舞いに、会場中が息を飲む。それだけ親しみこもる異例の挨拶だった。
「ヴィオレッタではない、と皆に知らしめないとな。」
国王は、ヴィヴィアンの耳元で囁いた。
驚いたヴィヴィアンが国王の表情を見つめると、アレクサンドルと同じ悪戯顔をしている。この父にして、あの息子あり。
「…」
言葉を失ったヴィヴィアンをアレクサンドルがエスコートして、長椅子に戻る。
国王への挨拶のため行列ができるが、側近たちが捌いている。
「ねえ、学長…」
王室嫌いを公言する学長が、国王に挨拶をし、堅い握手を交わしている。
「学長は、国王から見ると、父親の従兄弟。」
「え?」
ヴィヴィアンには、サプライズ尽くしの一日になりそうだ。
「学長の父が、当時、真実の愛を実らせて、男爵令嬢と結婚した王弟。」
「だから、学長、真実の愛なんて呼ばれる偽りの愛が嫌いなわけね…」
学長の王家嫌い、政治嫌い、軽薄な婚約破棄嫌いの理由に納得する。
「そう。この和解にも意味があるんだ。」
アレクサンドルは、嬉しそうに微笑む。
暫くして、学長が演台の前に立つと、ホールが静まる。
学長は、参加者を見渡すと、卒業生への祝辞を述べる。邪魔されずに式辞を終えたいと言っていた割に、定型的で、面白みのない言葉が続き、ヴィヴィアンが首を傾げる。
例年ならば、このあたりで、「お前との婚約を破棄する!」とあちこちで断罪劇が始まるところだ。学生たちも、そわそわとし始める。国王の前で、無礼な婚約破棄を始める阿呆がいたら、しっかり見てやろうという野次馬根性だ。
無難に学長の話が終わると、続いて、国王が壇上に上がる。会場内が一斉に膝を折った。
皆が顔を上げると、学院史上、最も高尚で最も無難な祝辞を賜った。国王が、胸から懐中時計を取り出す。
会場の静寂とは反対に、会場の外が途端に騒がしくなる。外からは、「号外だ!」という叫び声が聞こえる。
会場内も何事かと、視線を交わし合う。
「レアル・ミネルヴァ学院の卒業生諸君、ここで、一つ知らせがある。」
国王は号外の発行に合わせるかのように話し始めた。
「本学院の卒業生の一人であり、愛息子でもある、第一王子アレクシスを王太子とすることを決めた。」
アレクシスが、壇上に上がると、さざめきと共に、一斉に皆が膝を折る。
「また、同じく、本学院の卒業生、ヴィヴィアン・シャッツェを、王太子妃として、王室に迎え入れる予定である。」
ヴィヴィアンがその場でカーテシーを取ると、アレクシスがヴィヴィアンを招き、二人で壇上に上がる。
「卒業生諸君は、国の最高学府から輩出される優秀な人材の一人であるという自負と共に、この二人を支え、国のさらなる発展に貢献してくれるものと、期待する。」
国王が合図すると、楽団が演奏を再開し、会場内は歓喜に包まれた。
ヴィヴィアンはその光景を眺め、夢を与えること、明るい未来を指し示すことの意味に納得した。
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