第41話 ルルの部屋のヴィヴィアン



「単刀直入に申し上げますわ。私、外交研究員補として就職するつもりでいますの。ですから、解消するつもりなのです。」



 ヴィヴィアンは、寮のルルの部屋でリリー、アンナ、ルルとでテーブルを囲んでいる。学院は休みであったが、早朝にアンナからの手紙で呼び出されたのだ。


 明け方近くまで、アレクシスと長椅子で話し続け、そのままアレクシスと長椅子で眠ってしまったヴィヴィアンは、頭が重い。

 

 しかし、リリーの発言はそんなヴィヴィアンにも衝撃だった。

 アンナとヴィヴィアンはリリーの突然の告白に、絶句した。リリーは、注意深く固有名詞や、決定的な言葉を避けて話しているが、要するにイーサンと結婚するつもりはない、ということだ。


「まさかの、破棄返し…」

 ルルが小さく呟いた。


「…リリー様、それは、リリー様のご実家もご承知なのですか?」

 ヴィヴィアンよりも早く立ち直ったアンナが尋ねる。



 ヴィヴィアンは、リリーとは、これまで話したことがない。イーサンの不遇の婚約者として、一方的に応援していた。人柄もよく、上品で、才女で、貴族の中の貴族という憧れでもある。

 まさに、王妃とはこういう人がなるのだろう、と思っていた、そのリリーが王太子妃を望んでいない、とは夢にも思わなかった。

 学長から、王族の婚約破棄は何としても食い止めるよう言われていたが、これは想定外だ。




「叔父は承知です。父も、もともと積極的ではありませんでしたから、話の持って行き方次第では反対はしないものと。」

 さらりとリリーが言う。父は婚約に反対だったという意味だ。


「外交研究員補としての就職ご内定、おめでとうございます。それは、学院を通じて?」

 ヴィヴィアンが言うと、ルルとアンナから、そこじゃない、という視線が向けられる。


「いえ、学院を通すと学院に迷惑を掛けますから、内密に叔父を通じて。ご存知かわかりませんが、就職先は叔父の直轄です。ですから、学院にもまだ話していません。先方にもまだ話していないのに、噂が広まると困りますから。」


「しかし、私たちには良いのですか?」

 アンナはニールといるときは、ニールに会話のリードを任せていて物静かに見えるが、社交力、会話力に富む女性だと、最近気がついた。あの、マイヤーが選んだのだから、当然と言えば当然だ。


「ええ。敵の敵は味方ですわ。お二人が競合しているのは周知の事実。あれの揚げ足を取ることができるなら、私、何でもしますわ。お互いに目的は同じではなくて?」


 敵の敵…どこかで聞いた台詞である。腐っても婚約者同士、どこか通ずる部分があるのだろうか。

 ヴィヴィアンには、これが本心なのか、実はイーサンと通じていて、こちらを嵌めようとしているのかわからない。

 ここは、アンナに任せた方が良さそうだ。目配せすると、アンナは小さく頷いた。




「リリー様… 突然のお話に、戸惑っています。」


「私、用意がありますのよ。皆様にお渡しすれば、私の件も安泰です。」

 リリーが、懐から一枚の紙を取り出した。


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 直に破綻

 夕刻、大凱旋門に E

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「こちらは?」

 ヴィヴィアンが受け取った紙をアンナとルルが覗き込む。


「あれが書いた手紙の写しです。あれの使用人が渡し間違えたのです。一度封を切ったのだけれど、書き写した上で、封をし直しました。使用人が、間違いに気づいてすぐに取りに戻ってきたから、使用人の目の前で、『他の女への手紙を読むような屈辱に耐えられると思って?恥知らず!』と大袈裟に罵って突き返したましたの。」

 リリーが鼻息荒く、得意気に言う。


 簡単に言ってのけるが、その機転の速さと対処能力は尋常ではない。


「これはいつ入手を?」

 アンナは次々と質問を繰り出す。

「昨晩遅くです。」


「誰に… どういう意図だと、お考えですか?」

 

「勿論、ライザよ。週末は、私の家に寄ってから、寮のライザに手紙を届けるのが、あの使用人の日課です。あの男は、女宛の手紙しか任されないの。」


 破綻していたと思っていたが、イーサンがいまだにリリーに習慣的に手紙を送っていたことは驚きだ。


「オルトが失脚するような事態に心当たりがあるのではなくて?あれは、ライザを逃がすつもりよ、きっと。私に味方するなら、急いで頂きたいの。この場所に行って例え空振りだったとしても失うものはないでしょう?」

 

「もし現れたら、あのお方も無傷ではいられないと思いますが、リリー様にはためらいはありませんか?」

 最後にヴィヴィアンが尋ねた。


「微塵も。むしろ好都合です。」

 



 リリーが部屋を出ると、三人も寮を出た。ミックとルルは学院近くの小屋を見張りに、ヴィヴィアンとアンナはマイヤーの護衛と共に離宮へと急いだ。





 

「アンナ様、ありがとうございます…」

 ヴィヴィアンは、リリーとの会話での機転に感謝した。


「私の得意なことをしたまでです。社交界はいつもあんなやり取りばかりです。私、マイヤーに随分仕込まれましたの。」

 アンナはにっこりと微笑む。


「男性たちが表舞台で、女性は社交界という舞台裏、みたいな風潮は、やがて終わりますわね。リリー様や、ヴィヴィアン様みたいに、表に出てゆく人がいますから。」


「私はリリー様の足元にも…」

「いいえ。いずれ、出ざるを得なくなります。舞台裏は、私にお任せください。」


「アンナ様は、ご存知なのですか?私のこと…」

 昨日の今日で、誰がどこまで話を知っているのか確認できていない。


「ええ、勿論。他のどなたでもなく、ヴィヴィアン様が私の妹になってくださるのは、大変嬉しく思っています。末永くよろしくお願い申し上げます。あまり、野心の強い家ではありませんから、王太子妃の後見人だ、とか、王妃の後見人だと言って出しゃばることもありません。私たちはしっかりお支えしますから。」

 アンナは、ヴィヴィアンの手を握り、微笑む。


 アンナによると、マイヤーが後見人になりたがっていたが、ヴィヴィアンがマイヤーの操り人形となるのを懸念し、アンナとニールで反対してくれたのだと言う。



「ヴィヴィアン様は、なぜリリー様が私たちをお呼びになったかわかりますか?」

「父君に渡せば事足りるのに?という意味で?」


「そうです。」

「アレクに加担するというリリー様の意思表明…それと、話の持って行き方?に関係していますか?」

 アレクサンドルへの貸しを作っておきたい、ということだろう。



「うふふ。わかっていらっしゃる。」

「アンナ様が、リリー様を誘導したのですか?」


「誰かがお膳立てしたとしても、それを知る必要のない方もいらっしゃいます。それぞれが望むものが手に入れられるのが、最善ですからね。」

 一番の策士は、アンナではないか、という疑念が湧くが、良識ある策士だからこそ、ニールが惚れ込んでいるのだろう。



「私、びっくりしたんですの。リリー様は、聡明な方だし、前に出ることもお好きだけれど、まさか、外交職に就きたいとお考えだったなんて。てっきり、王族として政治をされたいのだとばかり…」

 アンナが馬車の外を眺めながら呟く。


「全国民が驚きますよ。王族という与えられた地位ではなくて、ご自分の力で生きてゆきたいのですね。外交は研究員補になっても、外交官になるまで道のりが長いです。さらに大臣の補佐官や大臣になるには、生涯かかります。」


 ヴィヴィアンの目から見ても、偉大なる才女で、後ろ盾のあるリリーでさえ、研究員ではなく、研究員補としての採用予定と聞くと、いかに難関に挑戦しようとしていたか、その可能性が極めて低かったことを思い知らされる。



「あの方なら、早いと思いますわ。身分も貸しも、存分に使われるでしょうからね。」

「なるほど、そうやって返すわけですね…」

 二人で顔を見合わせて笑った。




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