第40話 ヴィヴィアンの新たな恋人



 アレクサンドルを待ちながら、長椅子に横になる。

 明日のこの時間には、側妃の断罪が終わっているのだろうか。


 昨日の家出騒動からの急展開に頭が整理し切れない。



 小屋の捜索によって、事件が一気に進展した。

 それで頭がいっぱいだったが、アレクサンドルとの曖昧だった関係も、お互いの気持ちを伝え合って、今までとは違う局面に来ていたのだった。


 王宮に就職する将来と、アレクサンドルが側にいる未来が重なるように思えない。





 カチャリと扉が開いたため、身体を起こすと、アレクサンドルが入ってきた。大きなトレイを持ってその後ろについてくるルルの笑顔が気になる。



 長椅子の隣にアレクサンドルが座り、ルルがローテーブルにトレイを置いて出て行った。


「…何?」

「まず、話を聞いて。」


 ヴィヴィアンが頷くと、アレクサンドルは長椅子から立ち上がり、長椅子に座るヴィヴィアンの前に跪き、ヴィヴィアンの手を取る。


 改まった雰囲気に、気圧されて、ヴィヴィアンも姿勢を正す。


「…ねえ…」

 ヴィヴィアンが口を開こうとすると、ヴィヴィアンを握る手に力がこもり、小さく上下に揺さぶられた。先に話をさせて欲しいという意味だろう。

 アレクサンドルを見つめ、話し始めるのを待つ。





「ヴィヴィアン・マーリン、僕と婚約してほしい。」





「…え?」

 ヴィヴィアンの想像を越えた言葉に、頭が追いつかない。

 婚約してほしい?



「ヴィヴィアン… きみ一人を生涯愛することを誓う。だから、僕の妃になってほしい。」



 



「… え…」

 頭の中で、子爵家の自分がどうやったら、王子の妃になるのだろうかという疑問と不安、暫く前からアレクサンドルの遣う言葉への違和感とが入り混じる。



 アレクサンドルがヴィヴィアンの手をもう一度、握りしめ直す。



「一つずつ。僕は、きみを愛している。きみは、僕を愛してくれる?」


「…はい。アレクを愛してる。これからも…」

 アレクサンドルの瞳を見つめていると、彼の望む言葉なら何でも口にしてしまいそうだ。




「次に、僕の妃になってほしい。」

 アレクサンドルは、ヴィヴィアンから視線を逸らさない。


 はい、とうっかり答えてしまいそうになる。


「… それは、私では、不足だわ… 」

 アレクサンドルに捕らえられている視線を、意思を持って逸らした。


「きみが足りないと思っているものは何?」

 まるで、尋問のようだ。

「…家格、品位… あなたに与えられる政治的な基盤…」

 問題は家格だ。家格に見合った品位しか身につけられないし、家格に見合う人脈しか作れない。

 アレクサンドルの強い眼差しに抗えず、また視線をアレクサンドルに戻してしまう。


「それは全て補える。だとしたら、きみは、それをやりたいと思う?」


「…何をしたらいいかわからないわ…」

「僕と一緒に、こんな国にしたい、と思い描いたように仕組みにする。人が幸せになる国に。」


「やりたい。それは、私が政策研究員になりたい理由だわ。」

 まるで誘導されているかのようだ。


「うん。知ってる。研究員よりも、もっと大きな仕事。やり甲斐も責任も。」



「やりたい… でも…」

 生まれた家の問題だ。


「きみは、妃に相応しい。それをやりたいと思う気持ちが大事なんだ。それ以上に、僕を愛してくれることも。」


 アレクサンドルは、握りしめたヴィヴィアンの手に口付ける。

 唇が手から離れると、アレクサンドルの両手がヴィヴィアンの両頬を包み、誘い込まれるようにゆっくりと口付けした。



 今までにしたどんな口付けよりも、甘く、優しく、愛のこもった長い口付けの後、アレクサンドルは額をヴィヴィアンの額に重ねて微笑んだ。




「じゃあ、これに署名しよう。」


 アレクサンドルは、ヴィヴィアンの隣に腰掛け直し、トレイから書類とペンを取り出す。



 長い口付けの後のぼんやりした頭のまま、一枚目の書類に記された文字を目で追う。


 シャッツェ侯爵家との養子縁組の書類だった。縁組の契約内容に問題はない。が、最後に侯爵家当主とマーリンの叔父が既に署名してある。日付は一か月以上前のものだ。


「これ、日付… 叔父の署名まで… 」

「離宮にきみを連れて来たときに、準備した。必要な日が来たら、きみに承諾してもらうつもりで。きみの決心がつかなかったら、この契約はなかったことにできる。シャッツェも、叔父君もそれを了承している。」


 ヴィヴィアンは、二枚目の書類を手に取る。


 目を走らせると、婚約の書類だ。こちらも同じく、一か月以上前の日付で署名されている。


「… シャッツェ当主の署名と…こ、国王の玉璽… 国王も承諾済み? 私の署名なしに?」

 事の大きさと、ヴィヴィアン自身に何も知らされない間に、当事者以外…いや、当事者の親権者も当事者なのだろうが、署名、承諾しているという事実に、驚きと、表現できない何かが込み上げてくる。


「これも、きみの気持ち次第で、なかったことにできる。玉璽だけど、婚約相手の父というだけだから…仕方ない。僕の父なのだから…」


「… 何故、一か月寝かせたこの書類を、今晩、持ち出してきたの?」

 ヴィヴィアン一人、知らない間に進められた話に疑念が湧く。


「側妃だけでなく、イーサンもこの件に絡んでいたら、イーサンと宰相家の婚約は白紙になる。白紙になった時、リリーと僕が婚約するよう宰相家は図るはずだ。その先手に、僕の正妃として、きみを迎え入れるという事実が必要なんだ。」


 ヴィヴィアンの頭は追いつかない。

 もう一度、婚約の書面を読み直す。



「私の、婚約相手… 第一王子 アレクシス、って誰?」

 ヴィヴィアンは、アレクサンドルを見つめる。


「それが、僕の本当の名前。今、きみの隣にいる、アレクの名だ。」

 アレクサンドルは開き直ったのか、両腕をヴィヴィアンに回し、抱きしめる。


「ちょっと待って!! 第三王子じゃなかったの?!第一王子は病で療養… 第一王子の正妃って、将来の王妃って意味じゃない?!」

 アレクサンドルの腕に絡め取られながら、その背中をどんどんと叩く。


 王室典範では、王太子は第一王子が最優先される。初めから、アレクサンドル改めアレクシスは王太子戦に挑む必要がない。


「…訳あって…隠していてすまない。側妃関係で、命の危険があって…アレクサンドルとして生き延びてきた事情が…」

 アレクシスは、ヴィヴィアンを離さず、背中への攻撃を甘んじて受け入れている。


「この部屋に入ってから、って言ってるけど、いつものはどうしたの?いつもと口調が違う…」


「市井育ちの演出の一つかな…」

 アレクシスはしれっと答える。


「きみの愛している男は、僕で間違いない?」

 アレクシスがヴィヴィアンの背中を宥めるようにさする。


「間違いないわよ!!」

 ヴィヴィアンは、自棄気味に答えた。侯爵家からなら、王妃を輩出しても何ら問題ない。

 この養子縁組も婚約も国王は了承している。了承したということは、命令に近いのだろう。ヴィヴィアンに選択の余地はないように感じる。


「怒ってる?」

「…愛してる…」

 

 ヴィヴィアンに言いたいことはたくさんあったが、些末なことはこの先の二人の長い人生の中でいくらでも言う機会があると思って、口にするのをやめた。


 アレクシスはヴィヴィアンを抱きしめる腕を緩めると、ヴィヴィアンに愛ある口付けをした。





「…総論賛成だけど、私、椿姫みたいな、情熱的なプロポーズに憧れてたんだけどな… 書類を目の前に、寝衣でプロポーズって…」


 深夜の二人の笑い声は、幸せに満ちていた。


 

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