第39話 拘束室のヴィヴィアン




 その晩、第二騎士団がハンスを連行した。


 アレクサンドルには反対されたが、ミーレとルーカスと共にヴィヴィアンも騎士団の詰め所に向かった。



「小屋で解毒剤を飲ませたので、効いてきたら話ができるはずです。」

 椅子に拘束されたハンスは、項垂れ、手足を震わせている。身体が痛むのか、脂汗が滲んでいる。


 教室で見るハンスは、整えられた短髪に糊付けされた白衣を着て教師然としていた。しかし今、拘束室にいるのは、薬物中毒に侵され、誰の視線を気にするでもない哀れな一人の中年男性だ。意識があるのかないのか、時折、目を開けるが、うつろで視線が定まらない。その様子は、人の形はしているが、動物的で理性の欠片もない。


 ヴィヴィアンは、自分が中毒症状だった時、こんなに哀れで、人間の尊厳すら失った状態だったのか、と衝撃を受ける。

 三日間、アレクサンドルは、ヴィヴィアンが正気に戻るのを信じて側に居続けたと聞く。この様子を見ると、アレクサンドルは、見守り待つことにどれだけの苦しみを味わったのか計り知れない。



「…ぅぅう…」

 男は、激しく嘔吐した。


「外で待ちましょう。嘔吐が終われば、落ち着くでしょうから。」

 ミーレに促され、ヴィヴィアンとアレクサンドルは部屋を出た。




「…アレク…」

 廊下に出ると、ヴィヴィアンはアレクサンドルの手を握った。中毒症状の恐ろしさと、そこから救ってくれた感謝の気持ちが入り混じる。感謝という言葉では軽すぎて、言葉にできない。

 アレクサンドルは手を握り返すと、ヴィヴィアンの肩を抱きしめた。




 暫くして、ハンスが別の部屋に移されると、アレクサンドルと共にその部屋に入った。




 騎士団長とアレクサンドルが男の向かいに腰掛け、ヴィヴィアンとミーレは入り口近くの壁際に長椅子に腰掛けた。




「説明してもらおうか。」

 アレクサンドルが冷ややかに口火を切った。


「未許可の薬物製造の現行犯。二親等は爵位と財産の没収。この他、薬物を使った傷害の幇助、お前の母の事故も薬物を使って事故を誘発したんだろう。すると、殺人罪も加わるな。合わせると終身刑は免れない。」

 騎士団長が書面を見ながら告げる。



「…母上の件は関係ない。あれは、私への脅迫だ。母上は巻き込まれただけだ。」

 遠くを見つめたまま、ハンスが答える。


「誰が脅迫を?」

 騎士団長が続ける。


「私は…いずれにせよ死刑なのだな? 生き延びたとしても、それを話したら殺されるに違いない。道連れにできるなら、いくらでも話す。」


 ミーレによると、解毒剤は、一時間程度で切れる。そして、中毒症状が改善するまで、意識の混濁を繰り返し、投薬し続ける必要があると言う。

 ただし、慢性化した症状への処方は今回が初めてで、どの程度改善するのか、どのぐらいの期間がかかるのか、長期的な投薬の副作用に身体が耐えられるのか、はわからない。


 アレクサンドルと騎士団長は、最初の一時間が勝負だと言う。



「関係者を話せ。」



「モノ、カネ、場所は側妃だ。流通はオルト子爵家。教団もそれで小遣い稼ぎをしていたが。」

 ヴィヴィアンたちが掴んでいた断片的な情報が繋がっていく。


「証拠は?」


「裏取引に契約書などない。だが、側妃はがめついからな、使った原料と作った薬の量を時折、製造所に確かめに来る。」

 ハンスは、左上の壁を見つめながら答える。


「次はいつだ?」


「取引したい。答えたら、国外に放免してくれ。」

 ハンスがアレクサンドルを見つめる。


「テポウワィーテスにか?」

 間髪入れずにアレクサンドルが言う。


「知っていたか。だが、違う。母の故郷、サントラクールに行く。腐敗したこの国から出れば真っ当な人生をやり直せるだろう。」


 挑発的な言葉だ。

 ハンスは、腐敗したと言うが、世論としても、国外の評価としても、決して悪くはない。現国王の采配は国民に支持されているし、議会制度も機能している。法整備も、他国に遅れを取っている分野もあるが、全体としてはよく出来ている方だ。


 なぜ、嫌悪を表すのか。


 前辺境伯夫人は、サントラクールの貴族で、サントラクールとこの国が諍いを起こした際、混乱に乗じて前辺境伯が強引に連れ帰ったと言われている。

 母の境遇がハンスの思考や行動に影を落としたのか。

 実際に、彼女がどう考えていたかはわからないが、マイヤーに助けを求めるほど、息子を愛していたのは間違いないだろう。



「捕らえられたら、減刑は考慮する。しかし、失敗は許されない。」

 アレクサンドルが答えた。



「明日の晩だ。」

 ハンスは、短く答えた。


 残る聴取は騎士団長に任せ、アレクサンドルらは退出した。



 


 話したいことはあるが、誰の耳に入るかわからないため、部屋に戻るまでは話せない。


「眠い?」

「うん… 刺激が多すぎて、疲れた。」


 ヴィヴィアンの部屋の前でアレクサンドルが立ち止まる。

「寝る準備して。後で来るから。」

 ヴィヴィアンが頷くと、迎え出たルルに引き渡された。




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