第37話 半刻前のアレクサンドル



 馬車の扉を叩きつけるように、後ろ手で閉めた後、ニール、ミック、ルルに憐憫の眼差しを向けられた。


 ニールと共に、ニールの馬車で離宮に向かった。


 道中、ニールは終始黙っていたが、離宮に着くと一言、

「素直にならないと… 関係が壊れるのは容易いですよ…」

と言った。



 わかっていた。わかっていても、何の約束もできない身で、これ以上ヴィヴィアンにどう関わっていけばよいかわからないから、この様なのだ。


 言い訳をやめて、優しい言葉を出そうとするたびに、ヴィヴィアンは痛いところをついてくる。

 どの面を下げて、甘い言葉を掛けるつもりなのか、とその顔で問うてくる。




 ヴィヴィアンを手離せないし、手離したくはない。

 その気持ちを、伝えるべきなのか。


 離宮に戻った後も、ずっと考えていた。


 謝り、よき友人でいてほしい、と言うのか。

 今まで、二人は友人だったのか。

 友人よりも、もっと深い絆をお互いに求めていたんじゃないのか。



 気がつけば、深夜になり、ヴィヴィアンを訪ねることもできなくなっていた。


 逃げれば逃げるほど、修復はできなくなるのではないかという焦燥感を感じたとき、使用人が扉を開けた。


 しかし、すぐに閉まり、人の気配は消えた。


 使用人を呼び付け訊ねると、ヴィヴィアンが寝衣のまま、部屋を訪れようとしていたという。


 ヴィヴィアンに話し合う気持ちがあるのなら、拒絶されることはないかもしれない、という望みが芽生えた。




 急ぎガウンだけ羽織ると、アレクサンドルは廊下に出た。





 ヴィヴィアンの寝室に入ると、寝台でブランケットにくるまっているヴィヴィアンがいた。顔は見えないが、ヴィヴィアンが街で気に入って買った刺繍のたくさん入ったシルクのガウンがブランケットからはみ出ている。


 よく見ると、白く華奢な足も見えている。


 アレクサンドルの部屋に裸足で駆けてきたのだろうか。

 ガウンと一緒に買ったバブーシュは寝台の周りにはない。

 何を思って、会いに来たのだろうか。



 ヴィヴィアンの周りに、二人の思い出がたくさんある。一つ一つが、二人で過ごした記憶を思い起こさせる。



 近づいてみると、ヴィヴィアンの深い栗色の髪も見える。


 肩のあたりを見当をつけて触れてみる。起きているはずだ。




 

 口から出た言葉は薄っぺらだった。上辺だけの修復を望んだわけではない。ただ、顔を見ないで伝えられることの限界だった。時間を掛けて伝えていくしかない、と諦めて立ち去ろうとした。



 しかし、ヴィヴィアンはアレクサンドルを呼び止めた。



 薄っぺらい謝罪には、やはり納得しない。今までだって、違和感を感じたらいつもそうやってヴィヴィアンは本音をぶつけてきた。だから、信用できると思ったのだ。




 続くヴィヴィアンの言葉には、驚かされた。まさか、アレクサンドルがヴィヴィアンを大切に思う気持ちを老婆心と思っていたとは。


 さらに、初めに類型化して話し始めたヴィヴィアンが、それを最悪と呼んだ。互いに照れ隠しで言っているのはわかるだろうに。雰囲気も何もない言葉で語ったことは反省するものの、ヴィヴィアンとて同じじゃないか。





 ヴィヴィアンが求めているのは、好きだとか、愛しているとか、そんな言葉だったのだろうか。

 そんな、使い古された言葉さえ、結局は伝えられなかった。

 いつか、きちんとした約束ができる日が来たら、もっと自然に口をついて出るのかもしれない。



 久しぶりに口付けたヴィヴィアンの唇からは、愛情や絆を感じる。

 ヴィヴィアンが、共にここにいることの喜びだと思っているこの口付けから、愛情が伝わればいい、とアレクサンドルは思う。全ての口付けは、愛を交わすためのものだと言ったら、ヴィヴィアンはそれを拒むのだろうか。




「… アレク…」

 長い愛のやり取りの合間に、ヴィヴィアンが名を呼ぶ。




「…ねえ… これ… やっぱり… 愛が… ある…」

「愛以外に、何もない…」


 一度、深まった愛を埋めて戻すことなど出来なかった。

 

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