第35話 ヴィヴィアンの家出
「ヴィヴィ様、本当に寮に戻るのですか?」
「ヴィヴィ様を離宮に連れて帰らないと、僕が叱られます。」
ヴィヴィアンは寮の前で、ミックとルルと押し問答している。日が長くなったとは言え、辺りは暗くなり始めている。
「離宮に帰る必要はもうないわ。それに寮には、ルルがいるんだから。」
何度となく繰り返されるやり取りに、ミックとルルも疲労感を滲ませる。
試験から一週間。アレクサンドルは、学院に毎日来るわけでもなく、来た日さえ教室で顔を合わせても挨拶もしない。
一週間の内に、王宮の薬学研究室へも勝手に出入りした。ミーレやルーカスが持っている情報は、フレスカ商会やハンスの繋がりを探るのに有用だった。にも関わらず、ヴィヴィアンには伝えられなかった。
もっと早く、ミーレやルーカスと情報交換するべきだったのだ。一人でやれることの範囲は限られている。アレクサンドルが何でも引き受けてくれたために、それに甘んじていたのが良くなかった。
ヴィヴィアンが研究室に出入りすることに、ルーカスやルルはヒヤヒヤしていたようだが、アレクサンドルからの咎めはなかった。
しかし、咎めもないことに、ヴィヴィアンは怒りを募らせた。
薬学研究室で、ミックがテポウワィーテスに行き、ヌエバ・テポウワィーテス商会がライザのオルト家とテンダーの共同名義であったこと、ハンスが別名でテポウワィーテスに工場を作ろうとしていることを調べたと聞いた。
ミックとルルは、アレクサンドルが口止めしたことは決して話さなかった。しかし、ミーレ室長はそれもこっそりと教えてくれた。
また、ヴィヴィアンが依頼した試験薬が完成した。しかし、完成の報告をヴィヴィアンが聞く前にアレクサンドルが学院の薬学準備室で試し、陰性だったことも聞いた。ヴィヴィアンの行動は筒抜け、しかし、アレクサンドル自身は、ヴィヴィアンに何も言わない。
ヴィヴィアンの堪忍袋の緒が切れるまで、一週間はよく保った方だ。
ミーレはヴィヴィアンに試験薬を渡さなかったが、ヴィヴィアンは自発的に一瓶頂戴した。試したい場所があるのだ。
離宮で生活していると、ミックか別の騎士が常に行動を共にするため、自由に外出はできない。寮に戻るのは、それを回避するためでもある。
「じゃあ… 私はそろそろ…」
ミックを振り切って、ヴィヴィアンは寮に駆け込んだ。
その日の晩、約束の時間にそっと部屋を出た。
事前に、アンナとニールに話して、試験薬を使うために護衛を借りることになっていた。
ルルとミックに頼まなかったのは、止められるのがわかっているからだ。
ニールも、アレクサンドルに話さなくてよいかと三度尋ねてきたが、最後は了承し、マイヤーの護衛を寮まで迎えに寄越す、と約束してくれた。
寮の裏口から出て、裏庭を回り、待ち合わせ場所に向かおうとしたときだった。
ヴィヴィアンはどこからか人影が現れたと認識した瞬間に、膝と腰を抱かれるように担がれてしまった。
大声を出して助けを呼ぶべきか、考える。
「俺だ。」
アレクサンドルの声だった。
「… 誰よ!」
わかっていても、わざと尋ねる。
怒りが湧き起こり、アレクサンドルに担がれて、逆さになったままアレクサンドルの背中を拳で叩いた。叩いて、叩いて、叩き尽くした。
「…………」
「…………」
アレクサンドルの馬車に乗せられたきり、沈黙が続いている。
車室には二人きりだ。馬車に乗る前、ニール、ミック、ルル、他にも誰かいたように見えたが、誰も乗って来ない。
アレクサンドルはヴィヴィアンの横に座るのが常だったが、今はヴィヴィアンの正面に座っている。
「ヴィヴィアン、何をしようとした?」
長い沈黙の後、アレクサンドルが口を開いた。
ヴィヴィアンは、その言葉尻を噛み締める。出会って間もない頃の、上から目線で距離を取った言い方だ。少しでも歩み寄る姿勢が見えて、一言、悪かったと言えば… たとえ、非を認めなくとも、事情を説明しさえすれば、ヴィヴィアンにも歩み寄るつもりはあった。
それが、この言い様だ。
「……」
そのまま口を開いたら、怒りが吹き出しそうだ。ヴィヴィアンが怒りを表せば、アレクサンドルは不本意ながらも、なだめすかし謝罪や説明をするかもしれない。しかし、それは、目の前のヴィヴィアンをあしらうためのものだろう。
強要されたその場しのぎの謝罪も説明も、そんなものは要らない。
欲しいのは、真摯な態度だ。
ヴィヴィアンは、静かに息を吐き出して、怒りを鎮める。
「ミックに話します。」
思っていた以上に、冷たい言い方になった。あなたに話すことはありません、と言わなくて良かった。
アレクサンドルは、ヴィヴィアンの腰掛けているすぐ横を蹴とばすと、大きな音を立てて車室から出て行った。
必要な情報も与えられず、籠の鳥のように離宮に閉じ込められるのは御免だ。ましてや、第三の女なんて真っ平だ。
これでいい。
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