第34話 ヴィヴィアンの独り歩き
「それで、ヴィヴィアンは何か見つけたかい?」
学長が執務机から尋ねる。
一週間続いた試験の最終日、ヴィヴィアンは学長室にいた。二時間前から、学長室のローテーブルの上に、一年分の薬学研究室の経費書類を並べ、床に座り込んで書類を精査している。
ハンスの名が上がり、学院に何か手掛かりがないか帳簿を調べに来たのだ。
「…学長、実験器具の発注書と納品書が合わないです。納入業者は、フレスカ商会です。フレスカは、生鮮食品の取り扱いが主なはずです。それに、学内に納品されたものは資産登録されるはずですが、その記録もありません。空発注でフレスカと結託して着服したか、納入品の現物を横領したか、どちらかです。ここからは、推測ですが、薬物の疑いと合わせて考えるならば、薬の原材料となる生薬を実験器具の発注に見せかけて、買っていたかと。」
「フレスカの取り扱いは多岐に渡るから、それ自体は問題ない。空発注か現物横領かの調査は会計係も進めている。」
ヴィヴィアンはこの二時間は何だったのか、と徒労感を覚える。
「…学長、そこまでわかっていたなら、教えてくださっても良かったのでは?」
ヴィヴィアンが学長にここまで言い返すのは初めてだ。アレクサンドルやニールたちと付き合う中で図々しさが増したのかもしれない。
学長は、ローテーブルのところまでやってきて、長椅子に腰掛けた。
「私が、もっと早く疑いを持っていたら、教えてくださいましたか?」
「いや。」
学長はゆっくりと首を横に振る。
「何故ですか?」
「文官の仕事は、決まっている制度の運用だ。それに対して、君が希望している研究員の仕事はなんだ?」
「…露見していない問題を見つけて、制度…法で解決する…ですか?」
「その通り。」
学長の期待通りの答えだったようだ。
「私の力試しですか?」
だとすると、ヴィヴィアンはまだ、文官並みの仕事しかできていない。
「それに近い。ただ、会計の不正を見つけるだけなら、会計係の仕事だ。」
「薬の件と、会計不正の背景を繋げて、薬物の規制や他の法に反映するまでが研究員の仕事だということですね?」
求められていた要求の高さを知って、身体の芯が震える。
「そうだ。」
まんまと学長の掌で転がされていた悔しさもあるが、自分の力不足を痛感した。
「アレクサンドル殿下と一緒に、というのはどういう意図ですか?」
「… 彼にも、実績が必要だからだ。」
「学長は、薬物の件、どこまでご存知なんですか?」
ここまで来たら、学長の手の内をはっきりさせたい。死にそうな目にまで遭っているのだ。
「教団が流通に関わっていたことだ。他は、確たる証拠がないからな。それに、学院内の秩序を守るのが私の仕事だ。国政に関わりたいという野心はない。ハンスを会計不正で挙げるとどうなるかわかるか?」
「いいえ。」
感じてはいたものの、法の運用、執行上のテクニックは、まだ知識が足らない。話を聞けば聞くほど、力無さに落ち込む。
「国王は、教団を解体した。しかし、沙汰が早かったために、教団の薬物への関わり全てが明るみに出たわけではない。」
国王の耳に入ったことで、法を上回る強制力で処分がおりた。それに不都合があったとは知りもしなかった。
「会計不正の咎だけで、ハンスを追い詰めると、薬物の件で逃げられる、ということですね。」
「そうだ。学長の領分として、はみ出る分を君ら二人が解決すれば、それぞれ必要な実績となるだろう。」
「はい…」
もともと、あまり欲を出さないとは思っていたが、王宮と距離を置きたいという学長の意思をはっきり感じる。
「今まで、こき使ってきたが、これでも君を応援している。想像以上に、お転婆しているようだが、アレクサンドル殿下とうまくやりなさい。自分の身を守るために利用すればいい。」
学長は、優しく微笑んだ。
しかし、ヴィヴィアンは、引っかかりを覚えてうまく返事ができない。
今の状態は、アレクサンドルを利用しているようなものだ。仕事の繋がりなら、それでよいのだろう。
ヴィヴィアンとアレクサンドルは、仕事の繋がりなのか。もやもやとした気分で学長室を後にする。
アレクサンドルとは、試験期間であるこの一週間、ろくに話していない。アレクサンドルは、試験の始まる前に教室に現れ、終わると去ってゆく。
ルルに尋ねても、何をしているか知らないという。
学長の話を振り返ると、薬物の件はまだまだ先が長いし、やることがたくさんある。アレクサンドルが何を調べているかわからないと、二度手間になるかもしれない。ただ、こうも避けられていると、そうは言ってられない。
早速、ルルに頼み、薬学研究室の研究員と面会の約束を取り付けた。
ヴィヴィアンが、離宮の客間に入ると懐かしい顔があった。
「ヴィヴィアン嬢、お久しぶり!」
そこには、学院で五学年上のルーカスと薬学研究室のミーレ室長がいた。
「ルーカス様、お久しぶりです。ご卒業後、不義理をしていて申し訳ありません。」
ルーカスとは四年ぶりだ。王宮の研究室に研究員として就職したことは聞いていたが、薬学研究室とは知らなかった。
「離宮に滞在していると聞いて、会いに来ようと思っていたのだけれど、アレクサンドル殿下のガードが厳しくてね… ヴィヴィアン嬢から声を掛けてくれてありがたいよ。」
ミーレ室長は穏やかな笑みをたたえている。
「ミーレ室長もご無沙汰しています。先日の…中毒症状のときには、大変お世話になりました。お呼びたてする形になってしまい、恐縮です。私の方からお伺いすべきところでした。」
「いやいや、あなたを離宮から出したとなると、ルルが殿下に叱られるからね…」
「あんまり、のんびりしていて殿下に見つかると、邪魔されるから、用件から話しましょう。」
ミーレとルーカスの言い方は、アレクサンドルを畏れているという風ではなく、ルルやミック同様、親しみがこもっている。以前は、アレクサンドルは王宮内でも難しい立場で孤立しているのではないかと考えていた。しかし、離宮に来て以来、そうばかりでもないと思い始めた。
「はい。私が中毒になった薬剤ですが、その製造や保管をしている場所で、反応するような試験薬は作れますか?」
ヴィヴィアンが切り出すと、二人が顔を見合わせる。
「ヴィヴィアン嬢、殿下とこの件、話をしているかな?」
ルーカスが尋ねる。
「あ、えっと… この一週間は、ほとんど話す時間がなくて…」
やはり、二度手間だったのだろうか。アレクサンドルの許可がなければ手を貸せないということだろうか。
「じゃあ、殿下も一緒の方がいいな。ルル、殿下は?」
「それが私にも…」
最近のアレクサンドルはルルにさえも、情報を下さなくなってしまった。
「ミックが今日戻るはずだから、夜には集合できるんじゃないかな?」
ミーレが言う。ミックの不在の理由も聞かされていない。
「お手を煩わせて、申し訳ありません。」
言いようのない疎外感と無力感に、涙が出そうになる。
「ヴィヴィアン嬢、きみは悪くないよ。ここにいる皆が、殿下にこき使われている仲間だから… 気にしないで。」
ルーカスに慰められると、余計に惨めな気分だ。
堪えていた涙が溢れた。学長室で、もともと僅かばかり持っていた自信が消失し、ここで一気にゼロ以下になった。
「お見苦しくてすみません。では、また改めて。」
顔を上げられないまま、二人の退室を見送った。
その晩、アレクサンドルに呼ばれることも、アレクサンドルがヴィヴィアンの部屋を訪れることもなかった。
まるで避けられているようだ。
しかし、それならそれで…
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