第32話 アレクサンドルの長い一日



  試験を目前に控えた学院は静かだった。


 ヴィヴィアンは、気持ちを切り替えて、対策に励んでいる。休み時間もノートや教科書を読み返しているため、ろくにアレクサンドルの相手すらしない始末だ。






 アレクサンドルは懸案事項を潰すため、ヴィヴィアンを離宮に送り届けた後、ミックを連れて港湾事務所に向かった。



 王都の外れにある港に設置された港湾事務所で、玉印を見せると、必要な書類が運ばれてくる。


「殿下、あの港の名前、何でしたっけ?」

 ミックは腕は立つが、こういうところがある。

「シャウワッツ共和国の、テポウワィーテス港だ。三回目だぞ、その質問。」


 ミックは、肩をすくめて書類をめくり始める。

「綴り… T…E…P… 合ってるかな…」


 アレクサンドルは、客船の乗務記録を漁る。

 テポウワィーテス港との直通便は週一便。学長から取り寄せたハンスの過去半年の勤務記録を見る限り、対象は一便しかない。


 ロベルト・ハンス の名を探すが見当たらない。もう一度、探し直す。 目に止まったのは、ジグムント・ロベルト・ジェリンスキという名だった。


「ミック… お前の記憶力は心許ないが…ジェリンスキという名に覚えはあるか?」


 ミックはにやっと笑う。

「ありますよ! ニールさんの言っていた前辺境伯夫人の旧姓です。ウチの乳母が隣国の亡命貴族で、ジェリンスキ家の娘が攫われるようにヤード辺境伯に嫁いだって昔話を聞きました。」


「役に立つな。そういう話は、早くしろよな。」

「すみません… ジェリンスキが何か?」


 ロベルト・ハンスが、ジグムント・ロベルト・ジェリンスキだとしたら、母は息子が関与しているかもしれない薬物のことを密告するのか。一つ謎が解ける度に別の謎が出る。

 アレクサンドルは、ミックに乗船記録を書き写させ、テポウワィーテス港からの貨物の記録を見る。



 ロベルト・ハンスも、ジグムント・ロベルト・ジェリンスキも見当たらない。本人名義で輸送するほど軽率な相手ではないということか。


「…ん… ミック、これ、お前の言っていた不正会計の?」

 アレクサンドルは、帳簿をミックに向ける。


「そうです。テンダーの係累ですね。着荷主ですか。発荷主は… ヌエバ・テポウワィーテス商会?ベタな名前ですね…」


「逆は?ヌエバが着荷主はあるか?」

「あります。それは… フレスカ商会が発ですが、輸出手続きにテンダーの名前がありますね。これは、頻度は少ないですが、荷量はかなり… 品目は、野菜…」


「やっと名前が出て来た…」

 アレクサンドルはため息を吐く。


「お前さ、今日の夕方のテポウワィーテス便で行って、現地の港湾で、商会の名義人を調べて来い。」


「殿下… 往復1週間です… 私の試験は?」

「構わん。卒業したくて入学したわけじゃないだろ?」


「私、シャウワッツ語はからきしですよ?」

「港なら、誰か通訳できるだろ。適当な偽名を使えよ。」


 ミックは、諦めて乗船手続きをしに出て行った。









 その夜、アレクサンドルは王宮にいた。



「あの者たちは、教団員だ。教団は解体を命じた。聖女信仰も時代遅れだし、厄介な薬を使っておる。」


「はい。」


「薬の件は、マイヤーに期待しているから、精進するよう伝えよ。」


「はい。 薬の件、追及すると、王家にも火の粉が飛ぶ可能性がありますが。」


「構わん。膿は出し尽くせ。くれぐれも、気をつけよ。」


「承知しました。」



 アレクサンドルは、玉座の間から辞した。







 王宮の長い廊下を歩いていると、正面から騎士らと共にイーサンが歩いてくる。


「やあやあ、アレクサンドル、父君へのおべっか遣いに余念がないなあ。落胤は落胤らしく大人しくしたまえ。悪あがきはみっともないぞ。」


 周りの護衛だけでなく、周辺の貴族にも聞こえるような大音声だ。


「ご機嫌麗しいようで何よりです。先日は、お目こぼし頂き、ありがとうございます。」


「ああ、構わぬ。お前の婿入り先とは懇意にしておくほうが良かろう。あれの弟は、テンダーで引き取ってやってもいい。丁度、馬丁が不足しておる。お前も、婿入りして子爵程度の爵位もつかんのでは、格好がつかんからな。」


 イーサンが高らかに笑うと、周囲からも嘲笑が沸き起こる。イーサンは、アレクサンドルを一瞥すると歩み去って行った。






 ヴィヴィアンとは、馬車と学舎でしか顔を合わせていない。夜は、ヴィヴィアンも遅くまで勉強しているだろうから、訪ねないほうが良い。


 しかし、玉座での会話にも、イーサンとの会話にも、心労を覚えて、ヴィヴィアンの顔を一目見て安らぎたい。長い一日だったと思う。

 アレクサンドルは、ヴィヴィアンの部屋の前で立ち止まる。



 この関係について、ヴィヴィアンとは会話していない。

 イーサンの言うように、側から見れば、そういう仲に見えるだろう。

 しかし、ヴィヴィアンがアレクサンドルに抱いている感情は、家族に対するものと変わらないように思う。何しろ、口づけの意味を、『生きていてくれてありがとう』などと捉えているのだから。



 この先、アレクサンドルとヴィヴィアンの人生が交わることがあるのだろうか。イーサンの言うような婿入りは、アレクサンドルにとって望む人生ではない。

 子爵家から王族に嫁ぐ、というのも聞いたことがない。



 ヴィヴィアンの部屋の前で立ちすくんでいると、気を利かせた侍女が扉を開け、招き入れる。


 考えがまとまらないまま、ヴィヴィアンの部屋に足を踏み入れる。ヴィヴィアンは長椅子に横になって教科書を読んでいた。


「お帰り。」

 ヴィヴィアンが、手元から目を上げて言う。

「ただいま… 」


「だらしない格好でごめん…座っているのも疲れてしまって…」

 ヴィヴィアンが身体を起こして、長椅子の端に寄る。



「王族の真実の愛がまかり通ったことはあるの?」

 うっかり、先ほど考えていたことが、口に出た。


「え? えーっと、あるわ。婚約破棄ショーよりも、もっと昔。50年以上前。王弟だったかしら… 男爵令嬢を妻にしてるはず。婚約破棄じゃなくて、婚約解消だったと思う。なんで?」


「いや、気になっただけ… 」

 ヴィヴィアンの右隣に腰掛け、横になろうとする。頭はどっちに…と考える。靴をヴィヴィアンの膝に乗せるわけにはいかない。



「ごめん、向こう行くよ。」

 ヴィヴィアンが立ち上がろうとする。


「いや。ここでいい…」

 アレクサンドルは、頭をヴィヴィアンの膝に乗せる。気まずいため、横を向いてヴィヴィアンから顔を背けた。


 ヴィヴィアンは、遠慮なくアレクサンドルのこめかみの上に教科書を広げる。



「あれ? 怒らないの?」

「何が?」


「頭の上に、教科書乗せたの。」

 わざとだったようだ。顔をヴィヴィアンに向けると、教科書が取り除かれて、ヴィヴィアンの笑顔が見える。


「ねえ、話があって、来たんじゃないの?」

 ヴィヴィアンが問う。


 ヴィヴィアンに体重をかけないように、ゆっくり身を起こして、ヴィヴィアンの左側の肘掛けに右手をついた。


「…話は、明日でいい…」

 目の前にあるヴィヴィアンの唇に吸い付いた。


「…待って… アレク… 」

 ヴィヴィアンが身体をよじる。


「この、意味、わからない?」

 アレクサンドルは、昨夜よりも深く口付ける。左手でヴィヴィアンの首の後ろに手を回す。

 しばらくすると、ヴィヴィアンからも応えてきた。角度を変えながら、ヴィヴィアンを味わい尽くした。



 『生きていてくれてありがとう』じゃない。


 


 

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