第30話 甘やかすヴィヴィアン
「なぜ、言った通りにしなかったんだ!」
アレクサンドルの馬車で離宮に戻り、部屋でお茶を飲みながら、アレクサンドルの小言を聞いている。
生きて帰ってきたのだから、不問にしてほしいとは、口が裂けても言える雰囲気ではない。
学院を出てから馬車を降りるまでのアレクサンドルは、ヴィヴィアンを、まるで無垢で無力な赤ん坊か、失くしてはならない宝物か、はたまた傷つきやすい桃か苺か、そんな風に抱きかかえていた。
それぞれ部屋に戻った後、着替えてヴィヴィアンの部屋を訪れたアレクサンドルが、ヴィヴィアンが紅茶を飲もうとしているのを見た瞬間から、責め続けている。
「…ごめん、てば… 高みの見物… 私以外にもしてる人がいるんじゃないかと思ったら、つい… 」
アレクサンドルは、怒っているのか、いじけているのか、拗ねているのか、甘えているのか、よくわからない。
長椅子に座って紅茶を飲もうとしていたヴィヴィアンの正面に跪き、ヴィヴィアンの腰を抱いて、ヴィヴィアンの膝の上に顔を埋め、怒りの言葉を放っているのだ。
「ヴィヴィが今、ここにいるのは、イーサンの気まぐれでお目こぼしされたからだ… 帰って来られない可能性だってあったってわかってる?」
「わかってる。死んだと思ったよ… 両親と、マックスと、アレクのことが頭に浮かんで、本懐を遂げられずにごめんなさい、って心の中で謝った。」
ヴィヴィアンは、膝の上のアレクサンドルの艶やかな黒髪を撫でる。前髪を漉くように後ろにかきあげると、普段は隠している美しい額と眉、それに瞳が現れる。
アレクサンドルも、自分の顔が嫌いで隠しているのだろうか。ヴィヴィアンは、顔を見て相手が態度を変えるのが嫌で眼鏡をかけるようになった。アレクサンドルには、アレクサンドルの理由があるのかもしれない。
ぼうっと、アレクサンドルの髪を触っていると、その手にアレクサンドルの手が触れた。
「俺のこと、少しでも…思い出した?」
アレクサンドルが頭をもたげ、膝の上からヴィヴィアンを見上げる。
「思い出したよ。しっかり。この顔を…」
マックスがまだ小さかったときにしたように、両手でアレクサンドルの顔を包む。
「アレクは、私の…」
弟みたい… という言葉は、続けられなかった。
なぜなら、手に包み込んでいたその顔が、ヴィヴィアンの顔に近づいてきたからだ。アレクサンドルに手繰り寄せられて、唇が重なった。
いつものような触れるだけの口付けとは違った。
アレクサンドルは、何度も何度もヴィヴィアンの唇を啄んだ。息をするのも忘れるほど。
アレクサンドルは、マックスとは違う、家族じゃないんだ、とぼんやりする頭で思った。
これは、生きていて嬉しい、ここに居てくれて幸せだ、という意味だろうか。
だとしたら、ヴィヴィアンもアレクサンドルが、生きていて嬉しいし、ここに居てくれて幸せだ。
繰り返される啄みに、そっと啄み返した。
アレクサンドルは、一瞬啄みを止めたが、また啄み返す。
止まらないそれに、思わずヴィヴィアンが声を上げる。
「ねえ! もう、わかったよ! ここに居てくれてありがとう。」
そっとアレクサンドルの肩に手を当てて、顔を離すと、アレクサンドルはきょとんとした顔をしている。
しばらく見つめ合った後、どちらともなく、大笑いしながら抱きしめあった。
「帰ってこられて良かった。」
アレクサンドルの頭を抱きしめたままヴィヴィアンが言う。
「本当に…」
アレクサンドルもヴィヴィアンの背中に手を回したまま言う。
「なあ、何がわかったの?」
「え? ここに一緒に生きてることが嬉しい、ってこと?」
ヴィヴィアンが、回した手を解くと、アレクサンドルはそのままヴィヴィアンを見上げる。
「…まあ、そうだな。ヴィヴィがこの腕の中にいるのが嬉しい。」
さっきまでの怒ったり、拗ねたりしていたアレクサンドルはもういない。
アレクサンドルは、長椅子に上がるともう一度ヴィヴィアンを抱きしめ直す。
「もう、そんなにぎゅっとしたら、痛いよ!」
二人でしばらく笑い転げながら、抱きしめたり、逃げたり、啄み合ったりを繰り返す。
「ところで、ルルは? アレクと一緒じゃなかったの?」
落ち着いたところで、ヴィヴィアンが尋ねる。
「あぁ…」
アレクが答えようとすると、開け放たれている扉の向こうから、声がする。
「お二人とも! やっと思い出してくれましたか?!」
ルルの声だ。扉はずっと開いていたし、廊下で二人の声を聞きながら、待っていたのかもしれない。
「ルルは、もう、お部屋に入ってもよろしいですか?!ニール様とミックもお待ちかねです!!」
アレクサンドルとヴィヴィアンは顔を見合わせた。
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