第26話 殿下の隣の部屋のヴィヴィアン
ヴィヴィアンは、寝支度を済ませ、アレクサンドルを待っていた。
寮にいた頃は日付が変わる頃まで起きていたが、離宮に来てからは就寝が1時間ほど早くなった。身の回りのことを侍女がやってくれる生活に慣れてしまうと、元の生活に戻れるか不安になる。
お金の心配なく暮らすなんて生まれて初めての待遇だ。アレクサンドルは、卒業要件も就職の手引きも任せろと言うが、下駄を履かせてもらって得た仕事では、成功する気がしない。
所詮、しがない子爵家の娘だ。王宮で、王子殿下の隣室で左うちわの生活をするのは分不相応だ。
身の丈に合った生活をする…
あるいは、ここまでとは言わないが、もう少しラクな生活ができるよう、自分を高める…
文官や研究員として働いても、独身なら一生、官舎住まいだ。出世したとしても、叙爵されなければ、王都に小さな家すら持つことは難しい。
過去に実績を認められ、叙爵された女性貴族は、慈善活動家か、政界で要職を得ていた事例しかない。
貧乏貴族の娘は、階級を持たない商家か資産家などと縁組
するのが一般的だ。しかし、その場合は文官を続けるのは難しい。
ヴィヴィアンのマーリン家は、四代前の曽祖父はファーガソン伯爵家の三男だった。宮廷医で学者肌の人だったと聞く。こどもの罹る伝染病の特効薬を見つけたという功績で子爵位とささやかな領地を晩年に得た。しかし、息子だった曽祖父もまた医師として王都で働いていたから、領地は上手く管理できなかった。
祖父も医師になったが、領地で開業した。貴族も平民もその命の価値は等しい、が口癖だった。祖父は領地経営のわかる妻をファーガソン伯爵家筋から娶った。祖母はよくやっていたが、祖母の兄がたびたび領地に出入りし、不正を働き、わずかな収入を掠め取った。
先代の父もまた医師だった。王都と領地の両方で患者を持ち、時には従軍医もして収入を確保した。今度は、ファーガソンと縁もゆかりもない子爵家から嫁を貰い、領地を管理した。収支はとんとんだったが、累積した借金は返せないままだった。
ヴィヴィアンが、学院に入学する数ヶ月前、父は過労が祟ったのか他界した。爵位は、父の弟が継いだ。
ヴィヴィアンは医師を目指し、弟は領地経営をする算段だったが、叔父の直系に相続権が移ると見込んで、ヴィヴィアンは王都で職を得る方向に転換した。
名誉である爵位に、報酬となる領地経営を組み合わせると、領地経営できない貴族が出てくる。領地を持たず金銭で報酬を得る宮廷貴族もいるが、爵位継承の条件が厳しく、うまく運用できていない。
貴族制度そのものが、時代に合わなくなってきている。国の根幹となる仕組みを変えたい、それがヴィヴィアンが政策研究員になりたい理由だ。
ぼんやり、そんなことを考えていると、アレクサンドルがやってきた。
「まだ起きてた?」
「考えごと。」
「何について?」
「仕事と結婚。それと貴族制度について。」
「え?」
「仕事か結婚かの二択で、仕事を選ぶなら、一生侘しい官舎暮らし。だから、今の贅沢な生活に慣れたら、お終いだな、って思ったところ。」
夜、アレクサンドルが訪ねて来るようになって、侍女がアレクサンドルの寝酒を用意するようになった。
アレクサンドルは、法的にも酒を飲める歳なのだ。
いつものように、グラスに酒を用意したほうがよいか、アレクサンドルを見ると、首を横に振る。
水差しを取り、グラスに注いで、アレクサンドルに手渡す。
「ヴィヴィ一人ぐらいなら、望むような生活をさせられる。」
「それじゃだめなのよ。アレクの援助がなければ生きていけない、なんてね。」
「援助、な… そうだ。ニールの話をしようか?」
アレクサンドルの説明を一通り聞いた。
「ねえ、マイヤーがアレクを支持する、ということは、王太子戦に参戦する、ということ?」
最初の疑問はそれだった。歌劇場でも、マイヤー公爵夫人は真っ先にアレクサンドルの元にやってきた。
「ニールにも明言しなかったところだ… 」
アレクは、グラスを空にすると、自分で酒を取りに行く。
「あなたが賢いのは、わかっているけど、政治の基盤を作るの大変よね?」
「
「そうよ。」
「…まあ、マイヤーが付けばな。」
「今回の件で、恩を売って、宰相家も味方に付かせる?アンナの侯爵家も?」
「…それもな。意外とセンスあるな。」
「でも、足りないでしょ? ウチ、マーリン家も微力ながら…」
「微力すぎる。」
二人で声を上げて笑う。
「ご落胤の将来は、王太子を狙う、以外にあるの?」
嫡男と女子は、家を継ぐ、結婚する、などの将来は家で決められる。次男、三男と嫁ぎ先未定の女子の進路問題は切実だ。
「どこぞに婿入りして、王籍を抜ける。」
「入ったばかりで、王籍をまた抜けるのは間抜けよね… あ… だから、王太子戦に出馬する前提なの?」
「やっと気づいた? とは言え、負けたら王籍を抜けて婿入りしかない。」
「爵位って持ってないの?」
「王族として、公爵位は持ってるけど、マイヤーみたいな世襲じゃないから、王籍を抜けたら返上。」
「アレクの将来も、私と同じで茨の道ね。」
「だから、勝つしかない。」
「勝ったら、私を研究員にして。それで、私が功績を上げたら、叙爵して。」
「…そうだな。女伯爵?」
「そうね。使用人の一人二人持てるような暮らしがしたいわ。」
「ずいぶんと慎ましやかだな…」
「じゃあ、教団とナントカ家の関係、それにハンスの背景を探るぐらいが私の役割か。私に側妃の実家の件は手に余るわ。」
「… 今のな、俺には何の権力もないから、物語の中みたいに勧善懲悪で成敗することはできないし、動かせる兵もない。正当に法の裁きを受けさせることを考えて。」
「そっか、『沈黙の軍馬』の読みすぎか… 小説みたいに、都合よく情報は揃わないし、犯人がわかってぱぱっと捕まえたりできないよね…」
気づいたら、いつもより随分遅い時間になっている。あくびを噛み殺す。
「危ないことはしなくていい…」
アレクサンドルはヴィヴィアンに手を差し出し、長椅子から立ち上がらせる。
「文句の出ないような実績が欲しいの。」
アレクサンドルに手を引かれて寝台に向かう。
「野心家のお嬢さんだな。もっと気楽に生きればいいのに。」
誘導されるがまま枕に頭を乗せると、アレクサンドルにブランケットを掛けられる。
「もう… 風邪を引いて以来、なんだか気力が落ちてるから、気持ちを盛り上げたいの。」
本当に気落ちして、やる気が出ない。薬の後遺症なんだろうか。
「体調が戻ってないときは、空回りするだけだから、大人しくしててよ… おやすみ。」
「おやすみ…」
目を閉じると、ほんのりとお酒の甘い香りが唇から移ってきた。
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