第16話 研究室のアレクサンドル
カフェテリアで夕食を取り、ヴィヴィアンを寮に送ったその足で馬車に乗った。ニールから預かった小瓶を研究室に持ち込むためだ。
三か月前、王宮を出て以来初めての帰宮だ。
本宮には入らず、自室のある離宮を抜け、さらに奥の別館に直行する。
離宮からも近い別館は、時折訪れていた場所で、勝手知ったる場所でもある。
「殿下! お久しぶりです。お元気そうで。」
研究室の扉を開けると、室長のミーレと、研究員のルーカスがいる。
ルーカスは男爵家の次男だが、ヴィヴィアンと同じように学院の特待生で主席で卒業し、王立研究所に薬学の研究員として働いて3年になる。大抵は、専門官として採用された後、研究員に昇格するのだが、学生時代の論文などの実績によっては、研究員としてキャリアをスタートできる。
学長が研究員として働く女性はいない、とは言っていたが、ルーカスのような男性の前例はあるのだ。
ルーカスは、子どもの頃、近くに住んでいたこともあり、幼い頃、共に遊んだ幼馴染だ。そして、事情は違えど、またこの王宮で顔を合わせるようになり、アレクサンドルの数少ない味方でもある。
ミーレとは付き合いは浅いが、信用がおける。亡くなった正妃の従兄弟でもあり、本来なら、政治に巻き込まれる立場であるが、政治に忖度しない人物だ。研究畑であることを上手く利用し、立ち回っているという点では、やりたくないだけで、実は政治に向いているのかもしれない。
「久しぶり。急ぎの分析を頼みたい。」
アレクサンドルは、二人のデスクの間の椅子に腰掛けると、早速、例の小瓶を出した。
「ああ、何の世間話もなく、要件ですか… 相変わらずですね。」
ルーカスは呆れ顔だ。
「我々、いつもこの時間まで研究室に残っているとは限らないのですよ、殿下。」
「悪いな… 学院の中で出回っている薬なんだが、ちょっと気になる。調べてもらえないか?」
「二週間ぐらはいただきたいですね。」
ミーレは瓶を手に取り、眺めた後、ルーカスに渡す。
「見た感じは、新興宗教で使ってる小瓶と似てる。中身が入ってる状態でここに持ち込まれたのは初めてだよ。殿下!お手柄!」
ルーカスは、瓶を机の上に置くと、サラサラした明るい栗色の長髪を束ね直し、ニヤりと笑う。
「そりゃ、どうも。俺というよりは、学院の特待生女史がな。」
ミーレは、茶を淹れに席を立った。若い親友同士、気を使わずに話をさせてやろう、という気遣いだ。
「ヴィヴィアン嬢だろう? 才色兼備の子爵令嬢だよな。」
ルーカスは、頬杖をついてニヤつく。
「才色兼備?」
ルーカスの様子に、語気強く返事をしてしまう。
「… 瓶底眼鏡、掛けてる?」
ルーカスは、眉を上げる。
「掛けてるよ。ないと、何も見えんのだろう?」
「ああ、そうだった。何も見えないな。」
歯に衣を着せた言い方だ。
「面識があるのか?」
「ヴィヴィアン嬢が学院に入学したとき、メンターだった。」
アレクサンドルの食い付き方にルーカスは訝しげだ。
「お前の話を彼女からされたことはないぞ…」
「まあ、五年前の一年間、月に一回ランチしてただけだからな。もう忘れてるんじゃないか?」
「ランチ…」
「やけに突っかかるな… 惚れたの?大人っぽい顔立ちだからな…かわいいより美しい系になってるだろうね。」
ニヤつくルーカスが癪に障る。
「あの瓶底に惚れる?!」
「苦労性だし、努力家だしな…わからんでもない。」
それは認める。皆が認めるところだろう。
「お前の好みか?」
「いや、僕は、もっとふわっとした女の子らしい方が好みだな。」
確かにルーカスの妻は、小柄で柔らかな雰囲気の女性だ。それと比べるとヴィヴィアンはたまに勝気なところもある。
「ヴィヴィもふわっとしてるけどな…」
誰と誰を張り合わせているのかわからないが、ヴィヴィアンを擁護しなくてはいけないような気持ちが湧き起こる。
「
「学院で唯一の友人。」
仕事のパートナーでもある。
「…」
お茶を片手にミーレが戻ってきて、そこでヴィヴィアンの話は終わった。
アレクサンドルが研究室を出て、離宮の自室に立ち寄ると、第二王子の婚約に関する報告書が届いている。ヴィヴィアンに頼まれていたものだ。
中身に目を通すと、懸念していた通りの内容だった。
すぐにヴィヴィアンに話しに行こう、と椅子から立ち上がったものの、ルーカスに茶化されたことが気になり、何も夜の遅い時間に会いに行く必要はない、と自分に言い聞かせた。
わざわざ、今、行く必要はない。
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