第13話 三人目の男に捕まるヴィヴィアン



 ヴィヴィアンとアレクサンドルは、大抵の授業は同じだが、アレクサンドルが物理と外交、ヴィヴィアンが美術と社会学を選択している時間は、別行動だ。

 ヴィヴィアンにとって、美術は唯一成績と関係ない授業で息抜きだ。この授業は学年問わず選択できるため、他学年の情報収集にもなる。


 先月から、静物画の実技が始まった。

 部屋の中央に、花瓶や果物が置かれているため、皆が中央を向いて座っている。ヴィヴィアンも片隅にイーゼルを置き、先週の続きを始める。


 先週まで視界に入っていたニールがいつもの場所にいないことに気づく。皆、ほぼ定位置で絵を描いているのに、だ。



 他に観察対象もいないし、気楽に絵を進めていると、筆を持って歩いていた女子学生が、ヴィヴィアンの目の前でよろけた。


 ヴィヴィアンは慌てて腰を上げ、避けようとしたが間に合わない。

 白いシャツに、絵の具がベトりとついた。


「ごめんなさいね!」

 この前のカフェテリアと同じ生徒だった。第四学年の伯爵令嬢ユリアだ。


「お怪我はありませんか?」

 ヴィヴィアンが尋ねる。

「私は大丈夫ですわ。」

 ユリアはニヤりと笑って答える。

 まるで、ヴィヴィアンが悪いような会話に聞こえるだろう。他の生徒たちも筆を止め、こちらを覗いている。


「おい。絵の具、ヴィヴィアン嬢についた。謝るのは君の方だ。」


 ヴィヴィアンの後ろのキャンバスから顔を出したのは、ニールだった。


「あら、ごめんなさい。ヴィヴィアン嬢。」

 みんなに聞こえるよう、大きな声でユリアが言う。

 そして、ヴィヴィアンの耳元に顔を寄せ、小さく呟いた。

「いつも、男に守られてるのね。」

 ユリアは意地の悪い笑みをこぼし、立ち去って行った。


 あっという間のやりとりに呆然としつつ、後ろのニールに、小さく礼を言う。


「たちの悪いのに絡まれて災難だな…」

 ニールも小さく答えた。



 今までのヴィヴィアンは、常に傍観者だった。こうした小さな嫌がらせは、何度も目にしてきたが、自分が当事者になるのは今年が初めてだ。

 それも、あのアレクサンドルが現れたせいで。



 授業の後半は、何を描いたか覚えがない。今まで見てきた嫌がらせされていた女子学生たちもこんな気分で過ごしていたのだろうか。

 時間になって、画材やイーゼルを片付け、部屋を出ようとすると、声を掛けられた。


「ヴィヴィアン嬢、話がある。」


 振り返るとニールがいた。



「…はい。」

 今まで、話したこともないニールが、目立たない存在のヴィヴィアンの名前を知っていたことにも驚いたが、接触してきたことには、もっと驚いた。


「用件は… 今日の放課後、この教室で。」

 ニールはそれだけ言うと、部屋を出て行った。






 先日のスープ事件以来、アレクサンドルはヴィヴィアンから離れなくなった。

 その方がお互い自衛になるから良いのだが、度が過ぎているようにヴィヴィアンは感じる。


 そろそろ試験の準備に入る時期だと言うのに、いつも勉強を教わりに来る女子生徒たちから声がかからない。


 今、アレクサンドルの周りは、牽制し合う女子学生が乱立していて、ヴィヴィアンに嫌がらせをする者と、ヴィヴィアンに仲を取り持ってもらおうとする者とがいる。良識的な学生は巻き込まれたくないようで、余計にアレクサンドルとヴィヴィアンを避けるようになった。


 貴重な小遣い稼ぎのネタがなくなったのは残念だが、身の回りの物はアレクサンドルがそれとなく用意してくれるし、お金の心配はほとんどなくなった。気が引けるが、断ると本当に困窮する。



「今日、この後、ニールに美術室に呼ばれたんだけど…」

 隣に座っているアレクサンドルに小さな声で話し掛ける。


「アンエリに参戦する気?」

 手元の本から目を逸らさずにアレクサンドルが答える。

「まさか!」


「行かなくていい。」

「そういうわけには…相手は公爵家長男よ。」

 身分差を気にしたほうが良いとき、しなくて良いとき、学院内でも微妙な匙加減がある。今回は、どちらか判断しづらいのだ。


「きみにとっても、悪くない相手では?美男子だし、変な家じゃない。」

「婚約者のいる人は、あり得ない。」


「…ついて行ってほしい?」

 アレクサンドルは本を閉じ、ちらりとヴィヴィアンを見る。

「うん。失礼にあたるかな?」


「庶民派だけど、一応、俺は王族だからな。」

 アレクサンドルは、荷物を纏めると立ち上がった。


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