第10話 サンフィールドのヴィヴィアン



 それから暫く、穏やかな日々が続いた。

 誰かに後ろからぶつかられたり、小さなトラブルはあったが、ヴィヴィアンが一人でいる時にだけ、それは起きるため、アレクサンドルが誰かと衝突することはなかった。



 学院の休日、アレクサンドルに外出に誘われた。

 初めて二人で出掛けた後も、ヴィヴィアンのリストを元に週末の巡回は続けていたが、今回は巡回ではないという。

 アレクサンドル関係のやっかみに対する罪滅ぼし、と言ったところだろう。



「おはよう!」

 馬車に寄りかかって待っていたアレクサンドルに声を掛ける。街に出かける日同様、学院内のもっさり髪型ではなく、きれいに整えられている。

 学院の外で見ると、王子様らしい眩しい出で立ちで、見慣れない。



「おはよう。今日は、近郊のサンフィールドに行く。着くのは昼過ぎになるかな。」


 アレクサンドルのエスコートで車室に乗り込む。


「もしかして、サンフィールドの花祭り!?」

「ああ、知ってるのか。行ったことは?」


 サンフィールドの花祭りは、街中を花で飾り、人々が花を配り、贈りあうパレードで有名だ。


 未だ寒さ残るこの時期に、サンフィールドに花が咲いているわけではなく、温暖な地域から花を大量に仕入れているという話だ。多くの人が訪れるため、仕入れ以上の観光収入となるらしい。領地経営学の町おこしモデルケースとして、教科書に載るほど有名だ。



「ない!行ってみたかった!」

 当然ながら、王都に出てきて、遊びらしい遊び、観光らしい観光をする余裕のないヴィヴィアンには縁がなかった。

 やはり、アレクサンドルは罪滅ぼしをしたいのだ、とヴィヴィアンは納得する。


「明日、予定がないなら泊まってもいいし、夜にはなるが、今日戻ってもいい。どうする?」


 王都からサンフィールドは、なんとか日帰りできるが、滞在時間は限られる。王都の貴族は宿を取って滞在するのが普通だ。


「ゆっくりできるに越したことはないけど…」

 二人で出掛けて泊まるとは、たとえアレクサンドルとであっても、いくら罪滅ぼしであっても問題がある。アレクサンドルのことだから、使用人なども連れて来ているだろうが、それでもさすがに問題だ。


 いや、アレクサンドルは泊まってもいい、と言った。大賑わいの花祭り期間は、当日に宿が取れるわけがない。つまり、既に予約しているということだろう。


 よく考えれば、いつもレストランやカフェが予約されているのも、警備の都合だ。普段から、予定を組んで警備計画を作っている文官の一人や二人いるに違いない。

 その仕事を無駄にするのかと考えると、泊まらないと申し訳ない気持ちになる。

 アレクサンドルのことだから、宿も数部屋押さえているだろうし、使用人に割り当てる部屋に仲間入りさせてもらえばよい。

 泊まるための荷物も何もないのが心許ないが、普通の貴族はそんな心配はしない。使用人が用意するのが当たり前だ。これも、アレクサンドルなら、ヴィヴィアンの分も用意させているに違いない。


「じゃあ、お言葉に甘えて…」

 ヴィヴィアンが答えると、アレクサンドルは、御者台の御者に合図した。


 


 



 正午を少し過ぎた頃、サンフィールドに着いた。

 アレクサンドルとヴィヴィアンは繁華街近くで馬車から降りる。

 馬車の最後の休憩のときに、同い年ぐらいの侍女がヴィヴィアンの髪を結い直してくれた。三つ編みではないだけで、誰だかわからなくなるからだ、という。それに、仕立て屋で見せて貰ったような、お洒落な瓶底眼鏡も用意してくれていた。



 オレンジ色の瓦屋根に白い壁の二階建て、三階建ての建物が並び、どの建物にも、花が満開の鉢がハンギングされている。道の左右には、花や小物を売るワゴン車や、飲みものや軽食を売る屋台が並び、その全ての屋台が花で飾られていて、花祭りというにふさわしい。

 行き交う人々が、花を愛で、買い求め、贈り合っている様子を見るだけで幸せな気持ちになる。


「少し歩こう。」

 ヴィヴィアンが口元を緩ませて街並みを眺めていると、アレクサンドルが肘を出してくる。

 初めての街歩きで、どうやってエスコートするのか、とモタモタしていたのが懐かしい。アレクサンドルの腕に手を掛け、ふと後ろを振り返ると、あの時の護衛がいる。


「ああ、ミックだ。この人混みだからな… 念の為、顔と名前を覚えておいて。その後ろにいるのが、ルル。」

 ミックの背後から、同じ歳ぐらいの少女が、顔を出して、頭を下げた。髪を結い直してくれた侍女だ。


「よろしくお願いします。改めまして、ヴィヴィアンです。」

 王族に近い使用人であれば、下手をするとヴィヴィアンより格の高い貴族だ。居心地が悪いが仕方ない。



 アレクサンドルとヴィヴィアンは歩き始めた。


「まずは帽子でも買うか。」

 街ゆく人々は、帽子を被っているか、ケープを頭に巻いている人が多い。

「あちこちから花が投げられるから、被っておいたほうがいい。汚れるというのもあるが、花に手を伸ばす人たちの手から、頭を守るという意味もある。背が低いと、後ろから頭を小突かれるぞ。」

 ヴィヴィアンにアレクサンドルが説明する。

「何度も来てるの?」

「こどもの頃な…」


 アレクサンドルは、帽子の屋台を見つけ、ヴィヴィアンを連れてゆく。

「これ?これ?」

 ヴィヴィアンの頭に幾つか帽子を当てがってみる。

 白いつばの広いキャプリーヌ、生成りのクロッシェ、麦わら帽子、と次々と手に取る。

「それかな?」

 水色と白のキャプリーヌを手に取ったアレクサンドルに言うと、そっと被せてくれる。


「悪くな… いいと思う。」

 続いて、アレクサンドルは自分にチロリアンを一つ選んだ。


 売り子が帽子にミモザを飾りつけると、アレクサンドルがヴィヴィアンに被せた。


「ありがとう…」



 その後、昼食を取り、散策を再開する。

 アレクサンドルが立ち止まる度にルルの荷物が増えていった。ヴィヴィアンが屋台や露天商に気を取られる度、アレクサンドルは足を止め、断ろうとするヴィヴィアンのために、それらしい理由をつけては品を選んでいった。


「前にナイトガウンを買ったのはいつだ?」

「寮は寒いが、室内履きを使ってるか?」

「サンフィールドの保湿剤はよく効く。」

「結った髪を飾るものは幾つあってもいいだろう。」


 もし、母が生きていて、一緒に買い物をしたら、こんな風にあれこれ世話を焼いてくれたのかもしれない。母や父が生きていたら、今ほど困窮はしていなかっただろうから、このぐらいの買い物はできただろう。


 今だって、後見人の叔父に言えば、多少の小遣いは貰える。父の早逝によって、叔父は自分の仕事を辞め、子爵を継いだ。減収するにも関わらず子爵を継ぎ、さらに姪と甥の養育を担ってくれている叔父に、これ以上の負担をさせたくない。


 ヴィヴィアンが財布を取り出しても、頑なにアレクサンドルが支払った。



「ルルとあの店を見てきたらいい。」

 アレクサンドルが立ち止まると、ヴィヴィアンの背中を押す。どの店かと尋ね返す前に、ルルが後ろからやってきて、ヴィヴィアンの横に並ぶ。

 


「さ、さ、行きましょう。ヴィヴィアン様。」

 ルルに導かれるがまま入った店は、下着店だった。


「ルルさん… さすがに、ちょっと…」

 店の入り口近くでルルの袖を掴んで小さく呟く。


「ヴィヴィアン様、私のことは、ルルと呼んでください。殿下のことは、世話焼きの…なんですかね…母親とか?父親とか?と思って、買い物をしたらいいんです!それに、今晩の替えの下着も要りますから。」

 ルルは、にっこり微笑むと店の奥にズンズンと進む。


 慌てて追いかけて、ルルの耳元で尋ねる。

「… あの、そういう意図…じゃないですよね?」

 聞くのも図々しく、それに値する女かと問い返されたら、不敬罪で投獄ものかもしれない。だが、念の為、聞いておかないと死んだ母が泣くだろう。


 ルルに、伝わるだろうか、と必死に目で訴えた。

「…殿下から、今晩お召しがあるとか?」

 ルルのはっきりした物言いに、思わず俯いてしまう。


「大丈夫です!殿下は…まあ…見ての通りですから…ご安心ください。私、ヴィヴィアン様のお部屋付きですから、不埒な真似はさせませんよ。」

 ルルは、自信満々に答えた。

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